讃岐うどんの体験記をチョイスしてお載せします…みなさん御一緒に”うまひゃひゃ讃岐うどん”にはまりましょう!

VOL2  おそるべきさぬきうどん巡業?篇(2001年6月〜2001年9月)
   

   どん友
 百合香の担任の某S先生”どん友”と、”おそるべきさぬきうどん”ツアーに行きました。
2001年6月
 去る1ヶ月前、百合香のクラスメートの”ななえちゃん”が、、家に遊びに来た時、ななえちゃん一家も、”さぬきうどん”にハマッテいて、「今度一緒に行こう」と、話しが盛り上がり、「担任の先生も誘おう、あと、あの子とこの子と…」と話が膨らんで、「どこに行こうか、いつ行こうか」と綿密な計画が出来上がっていきました。
 
 そして、とうとう6月の計画実行日がやって来ました…
担任の某、S先生と、友達1人を加えた、計9人、車2台でツアーに出発したのです。

 ななえちゃん家も、筋金入りの”さぬきうどん通”で、車の中は、当然”うどん”の話しで盛り上がり、”店名”だけで、「あそこは麺がイマイチ、こっちは出汁がいい」なんて、チョーマニアックな会話で、これぞ
”どん友”を味わいました。
 
 ななえちゃん家のご推薦で、先ず
”まんど車”へ行きました。朝抜きで、2時間かかったのは少々きつかったですが、”かけうどん”は、小で120円、それにラーメンまであって、ナ、ナント160円!

 「
うどん屋のラーメンなんて…」とあまり期待はしてなかったのですが、主人が頼んでみると、麺は今迄のラーメンでは、経験した事のない”コシ”があり、スープもあっさり・塩系でなかなかGOOD!それも160円のラーメンなんて他にはないでしょう!?

 百合香父は「大好きな”田村”の出汁が薄まった感じの味」と大喜びでした。

 
親父同士の会話・・・
 ななえ父「ここも、前は100円だったんですよ。でもね
 あがりしてね〜」
 ゆりか父(純粋に)「え!20円も上がったんですか」
 ななえ父(すかさず、つっこみ)「値上がりしたって120
 円ですよ」
 ゆりか父「ま、まあね!」
 ななえ父「これなんですよ!この世界なんですよ!上が
 っても安 いのに”上がったんですか!”の世界なんです
 よ。」
 某S先生「へ〜!へ〜!」(感覚の違いに呆然)
      
  
まんど車にてwith S先生

 次は、うどんの合間のティータイム。さぬき地域には珍しい、”ケーキ&喫茶店”レンガづくりで、ヨーロッパ風のすっごく素敵なお店の
KAGETUDO”(テレビでもよく紹介される)

 此処のミニチーズケーキ100円が、うどんの合間になんとも口に良く、コーヒーと一緒にゆっくりと、そこでくつろぐのです。(うどんツアーはとにかく、せからしく、お店にいる時間は10分もないので)
ここで、鋭気を復活させ「さー!次行こう!」となるのです。
 

 
ななえ家は、いつも1軒しかまわらないようで、チバ家のこの貪欲さにビックリしたようです…。f(^_^)ぽりぽり
 

  山内にて     
 既に、1軒行き、ケーキも食べ「もういいわ」と思っているだろう、ななえ家と、先生を引き連れ?
”山内”に行きました。

 ななえちゃんとその友達は、もうギブアップ!
しかし我が家は、まだまだこれからよ!って感じで、家の子供達はうどん1杯づつ、ペロリとたいらげ、私達は勿論、おかわりまで…。

 ななえ家の父母は、「え〜!?」と唖然、でも某、S先生も
”ひやひや大”を食べていたのを…私達は知っています!

 帰りの車の中でも、「チバ家には参った〜」としみじみ言われてしまいました。 ”おそるべし、チバ家”でした。

 私達も”ななえ家のおかげで”さぬきワールド”が広がりました。 (^-^)vブィ!    
                            

涙の再会…青春のうどん
2001,7月
 19年前、聖書学院のインターン生だった加〇望牧師は、その1年間、当時は、まだ伝道所だった土居教会に遣わされておりました。

 今も、のどかな土居ですが、当時は超のどかだった土居の地で若さを燃やして伝道して下さった様で、とても〜濃い想い出が沢山あって、教会の方々と感激の再会でした。

 当時の建物のお風呂は
”五右衛門風呂”で「蓋を下に敷いて入るんだよ」という説明の意味が分からず、直に入って、お尻を”ジッ”と火傷してしまった秘話を私に打ち明けてくださったのですが、礼拝での講師紹介で私に全て暴露されてしまった…加〇先生でした。 m(_ _)mごめんなさい

 お婆ちゃん達は「
先生は昔は若かった(当たり前じゃ)昔は綺麗だった(綺麗という表現はどうも…?)。わたしゃ憧れていた」と告白の時を持ちました…と言う事は今は綺麗じゃない???結構言いたい放題可愛がられておられました。

 さて、
懐かしのご対面は翌日にも控えていたのです!
 
w(゜o゜)wおおっ

 おなじみの
”うどんツアー”に加籐先生を”中村”山越え”山内”と定番にお連れしました。
 
 この2年間で2回も手術をされた加〇先生は
”食べ過ぎ厳禁”な為、おそる〜お連れした、この度のツアーでありました。

 中村にて
 私が大好きな中村…この日は、名物の”こわい親父”ではなく、お兄さんが麺を打っていました。
そのせいか、何時もより、何か1つ足りない気がした…私と聖子さんでした。
 
 加〇先生は、
高松の宇高連絡船時代のフェリーで食べた、あの”伝説のうどん”が懐かしいらしく…思い起こす味とちょっと違っていたようです。確かに食べ物は、想い出の味が一番美味しく感じるものですよね!

 そして、次に行った
”さぬきうどんの聖域…山越”ひやひや90円を食べた加藤先生は、ついに宇高連絡船の”伝説のうどん”の麺に出会ったのでした。
 この時、先生が
”おそるべしさぬきうどん”にはまったのを、私は見逃していません。

 そして、此処で、もう1つの事件が
ありました。さんまの明石家マンション等のTVに出ている、若手芸人”土居よしお”が取材をしていたのです。勿論、記念写真を撮りました。
 そして、最後の
山内…食べ過ぎではないか?と加〇先生の顔を見た所、何か考え事をされており…やはり、食べ過ぎたか?

 奥さんに怒られると店を出てきた私に、おもむろに手を合わせ
「1つお願いがあります」…何事か?と焦る私に…「実は四国学院(19年前、東京聖書学院の卒論を書く為、月曜に四国学院に通っておられたのです) に行った時、必ず寄ったあの”うどん屋の釜揚げうどん”が食べたい」と真剣な眼差し!

 食べ物の思い出というのは深く重いものがある事を知る私は先生の体調を気遣いつつ…19年前の思い出を辿って
うどん屋探しの旅に出たのです。

 何軒か巡った後、ついに〜見つけたのです。懐かしの”うどん屋”は
”大師うどん木村”だったのです。

 代は代わっていたものの…あの
”釜揚げうどん”の味は健在でした。それと何時も一緒に食べていた”関東煮(濃い口おでん)”も全部平らげた加〇先生。先生の眼にうっすら光っていた涙に免じて奥さんには内緒にします…なんないか?
 大師うどん木村にて
 此処のうどんは、
釜揚げうどんの聖域…長田うどんが細くなった感じで美味しかったです。出汁は、讃岐には珍しく”いりこ”ではなく”かつお”でした…でも、さぬきうどん八十八ヶ所に登場しないのは何故なのか? 

 親父が無愛想だからか?…失礼しました。そこが職人らしくて良いんですが… それにしても
”青春のうどんとの再会”には、私達も鳥肌が立つ程、感動させて頂きました。  

                     2001年7月

”おそるべきさぬきうどん”体験しちゃいました!
2001.8月
 遠く仙台から電車とバスを乗り継いで、恵理ちゃんと望美ちゃんの姉妹が遊びに来てくれました。

 早朝、新居浜に着いた2人は、荷物を置いて一休みする間もなく、午前中勝負の、
さぬきうどんツアーに連れ出されたのでした。
 我が家の娘達との再会を喜びながら、うどん屋さんの数を数えつつ讃岐に向かいました。何故か?…
”ふとん屋”さんの数も入っていたようですが…。
?(゜_。)?チンプンかんぷん

 そして、ついに2人は”さぬきうどん”を体験しちゃったのです。

 あの”山越うどん”では、
猛暑の中、お盆行列に30分も並び”かまたま・ひやひや・あつあつ”を食べました。(この夏、冷夏の仙台とでは、最高気温が、7度〜10度も違うのです…秋から夏に旅して来た2人にとって過酷な行列であったに違いありません)。

 でも美味かったです…暑かったけど!(炎天下に並ぶうどん屋って知ってます?)


 2人の感想です。
”山内・山越・讃岐の里”へ行ってきました!!
 今迄のうどん(仙台のうどん)は”ふにゃ・ぐにゃ”だったけど、さぬきうどんは”しゃきっ”で”もちっ”として美味しかった。

 特に、山越うどんの”かまたま”は、カルボナーラのようで、失語症になる程美味しかった。また食べに行きた〜い! 

望美
 普通のうどんと違って、こしがあって、すっごく美味しかったたです!!
 「こ・・・これがうどん!?いままでたべてたものは、なんだったんだ」ってかんじでした。                                  
恵理
 仙台に戻ったらうどんが食べられなくなりました。おいしすぎる!
 ぁぁぁぁぁ!!
エリ&ノンちゃんと 山内にて
 
千葉談>私も東北人ですから、さぬきうどんを食べた時はホントに驚きました。

 みなさんも、とうほく(遠く? m(_ _)m)から、さぬきうどんを食べに来て下さい。うどんは安いが交通費は高い! 

 それから,初めて食べた”讃岐の里”の冷やし,しょうゆうどんは、コシがあるけど、ムニューと伸びる感じで美味しかったです。 

                        
、芦〇先生、御夫妻からもメール頂きました!
  
、佐〇先生と御一緒したツアーの報告です。
2001.8月末 
 
中村 ⇒ 彦江 ⇒ 田村 ⇒ 山越
で分かったのですが、奥深い讃岐うどんの中でも、
「きっと、
中村、山越、山内は外し難いんじゃないかなぁ」という事です。
でも残念な事に…。
★中村
  
私がお湯に浸けすぎたように思う。
  もう一度行ってグミのような食感を確かめたい。
  TVで観たより、以外と街の中だったのでビックリ。
  おじさんが微笑んでた。嬉しかった。 
★彦江
  
駐車場に看板が欲しい。道を教えてくれたおばさん有
  難う。
  少し芯らしき感触があって冷麺らしい味。
  店にも何にも看板が無く、地域の製麺屋さんで、
  おこぼれを貰ってる風情。

看板の全くない…秘密基地?「彦江」にて
★田村
  
元祖さぬきうどんというが、やっぱり塩気が強い。
  背中の曲がった小さなおばさんが、けなげに働いて
  いた。
  ニコニコしたおじさんとおばさんご馳走様。
★山越  
  
前回はもう味が判らない、舌で食べた山越だったが、
  今回は、その良さが十分理解でき嬉しかった。

  
「かまたま」は若者受けするだろう、不思議な美味し
  さ。
  どうやって卵を揚げてるんだろう。
  冷麺も、麺の柔らかさ・だしの味とも良かった。感謝・
  感謝。
  千葉先生が持ってきてくれた「ぬくいだし」の美味しい
  こと!!!
  家ではなかなか出来ないナァ。
  次回は、揚げ物を味わってみたい。
 
★Kagetudou
  
突然中世ヨーロッパが出現したよなケーキ屋さん。
  前回のシュークリームが美味しかった。
  今回は欲深くフルーツいっぱいのパイを頼んで
  それはそれで美味しかったが、もっとカスダードクリー
  ムが食べたかった。
  でも先生達と時間を忘れて語って、楽しかったデス。
 おそるべし讃岐うどん病癒しの旅
    
       、佐〇先生?よりのメールです!
2001.8月末
 ”うどん病”にかかって、半年になろうとしています。この所、忙しくて行けず仕舞いで、うどんを恋する我が胃袋はうずきまくっていました。

 前日夜、ついに我慢も限界に達し、「得得」にてごまかそうと、ぶっかけ2玉を食べました。所がかえって病がひどくなり、千葉師にナースコールをしようと決意いたしました。

 所が、うどんナースなる聖子師より突然の電話!…やった、こちらの気持ちが通じたのか、なんと、ナース自らのうどん治療の誘いでありました。

 気を落ち着け、まずは家内と相談。急の仕事が入り、一時はお断りしようとしたものの、当日の朝になって、問題解決。我々夫婦は夏の宿題に追われている娘を家に残して、うどん治療に出かける事に致しました。

 
 我がスバル・ビビオは救急車と化し、数多くの外車・スポーツカーを追い越して、善通寺インターまで1時間という前代未聞の記録を達成いたしました
(内緒にしましょう…千葉談)。これも、治療のため仕方ありません?
 
 集まった患者は、某、芦〇師夫妻。この沈着冷静なご夫妻が我々と同じ病に犯されていたとは…。

 うどん治療師千葉師夫妻の導きの下に一路向かったのが「中村」。
前回、四件目にたどり着いたこの伝説の
「中村」…前回は、食べ過ぎで舌が麻痺し、味が分からないままでも小二杯をたいらげた「中村」でしたが、 今回は朝抜きの余裕で流行る気持ちを抑えながら、、小一杯にゲソ天を付けて味わいました。「イヤー、うまい」。名古屋出身の私にとって、出汁の鰹ベースが何とも感動的でした。

 うまみ成分のイノシン酸とグルタミン酸の絶妙な絡みといい、あの「すがきやラーメン」の風味に似た出汁は、名古屋人にとっては病み付きになるうまさでした。
中村にて
 次に訪れた店は、坂出の
「彦江」モーセ率いる一行は、駐車場に辿り着くも、店の場所が分からずして、付近を彷徨う事10分間。「中村」でうずいた我が胃袋には、荒野の四〇年に感じた事でした。
 
 通りがかりのお婆さんに訪ねると親切に途中まで案内してくださいました。

千葉談>モ−セなんて言って頂いてお恥ずかしい限りです…最近は”トトロ”とか、ボー(千と千尋の神隠しより)とか”山下きよし”とかばっかりなもので…。

 でも、あのおばあちゃん、「孫はざるを4つ食べた」とか言いながら親切に案内して下さったばかりでなく、私達一行が辿り着くまで遠くで見守っていて下さったのには感動しました。

 荒野の旅を見守る神様みたいでしたね
(旧約聖書:出エジプトより)
 看板も暖簾もないいわゆる製麺所。入り口を入ると、いきなり製麺作業所の様相に戸惑いながら、注文するは、冷やしの小。
 どんぶりを渡され、揚げたてのうどんを一玉頂き、かけ汁は…地べたに置かれた大鍋からしゃもじですくってのセルフサービス。

 地べたはないだろう!…と作業所隣に設けられている部屋に入り、薬味を入れて食べて見るやいなや、そのうまさにすっかり魅了されてしまいました。

 
「中村」に比べれば、遙かに太麺で、歯触りの良い”もちもち感”。出汁は”いりこ”の利いた出汁。出汁は鰹に限っていた私にとっても、うまいと言わせる強い自己主張がありました。

 此処で飲んだ水がまた美味しかった。「うまいうどんには、美味しい水が付き物なんだなあ」と改めて感じた事でした。

 讃岐のうどんの真髄を見たこの店に、次回は迷わずに来る事が出来るだろうか。迷った時は、躊躇する事なくそこら辺の人に道を訪ねてみよう。 人の親切にうどんの味も増すに違いありません…「あのおばあちゃんにまた会えるかなぁ」。

 三件目は、さぬきうどんのルーツとも言われる…伝説の
店「田村」に向かいました。
 讃岐の入り組んだ道を、あちらこちら迷いながら辿り着い
た「田村」は、何処にあるのか未だにわかりません。

 「彦江」で水を飲みすぎたせいか我が膀胱は、満杯状態でした。到着するとすぐに直行したのが「田村」の便所。女性用の隣が何も表示されていない扉。
 
 男性用に違いないと扉を開けると、もうそこはド田舎のワンダーランド。
 足を大股に広げないと用足しできない物凄さで、うどんの事はどうでもよくなってしまいました。うどんを冷静に味わうためにも、先だって便所に入ったのが、間違いでした。

 それにしても、手ぐらいは洗いたかった。なんとも気になって味は覚えていません。その為、「田村」のコメントは控えさせて頂きます。
 同じ膀胱満杯状態にあった患者たちにも耳打ちし、便所休憩はコンビニエンス・ストアーで取る事になりました。

千葉談>食べ物のページに申し訳ございません。m(_ _)m

 私の一人の犠牲がみんなを救ったのだとイエス様の十字架を思い出しながら、向かったのが
期待の「山越」でした。

 到着するやいなや昼のサイレンが鳴り、迎えられるは小学校と保育園の前に立つ
妖怪人間ベムに似た二体の交通安全の像。店の前には、すでに20人ばかりの行列ができていました。
 以前、
「たまたま」←要注意(千葉談)と間違えて失笑を買ったこの店の目玉は、やっぱり釜玉。釜揚げの熱々に生卵を絡めて出汁をかけた、この一品は、前回もうまかったが、今回はツアー最後にして腹八分目でも、やはりうまかった。

 ゴボウ天ぷらと、ゆで卵の天ぷらも絶品。うどん病・癒しツアーには、欠かす事の出来ないのが
「山越」だと改めて思い知らされました。

千葉談>私は”ひやひや”が大好きです。2つに分かれる様ですね!…やはり山越は”聖域”と言われるだけあって、トータルで”最高”かな!?

 お盆中に較べて、並んでいる時の日差しが随意分柔らかくなりました。それと…私達夫婦が”山越”と出会って1年経ちました。出会いに感謝

 最後のとどめは、例のケーキ屋。名前は何だつたっけ?
(KAGETUDOUです。千葉談)

 あれだけうどんを食べたのにケーキは別腹だと…子供の前では決して食べられない大きめの華やかな季節の果物の盛り合わせケーキを頂きました。夕張メロンにマスクメロン。スイカに巨峰にカスタードクリームに我が胃袋は満足の一言につきる満タン状態となりました。

 千葉師夫妻、芦〇師夫妻と別れて、高知への帰路に就きました。何時もの事ながら、眠気との戦いです。同乗者が眠ると睡魔に襲われて運転者は辛いですね。

 途中、自らの顔を叩きながら、無事家に到着したのが三時半。夕食は軽食で、早めの就寝となり、身も心も癒されたうどんツアーでした。

 次回は、何時になるのでしょうか?楽しみですね。「また行きたい」という気持ちだけは癒されないうどん病でした。じゃあまたね。 

ボー
(坊)千葉談>8月は、よく行きました。おそるべし讃岐うどんツアーに!我ながら…f(^_^)ぽりぽり。仕事もするぞ〜。
 
                     
               

 どうだ!行って来たぜ!
”おそるべきさぬきうどん”
を食べに。
  、高〇先生より
   2001.8月
 今週の月曜日、家族で遠出して、”おそるべきさぬきうどん”うどんを食べに繰り出した。TVで名店が出ていたからだ。

 それを見ていつか行ってみようと思っていた。その名は
“あたりや”。どうだ!行ってきたぞ。

 場所は高松。インターネットで場所を確かめたり、その店のランクを調べたり‥。その結果、あたりやは中村や山越、山内などの名店と同じ位の評価であることが分かった。ランク付けではトップ群に位置する。これは楽しみだと思った。

 場所はパチンコ屋の駐車場の奥にある。が、そこに行く為には地下へ一度もぐっていかねばならない。立地条件は悪いと言っていいのではないか。
 
 実は遅く出かけてしまった為、着いた時はもうお昼を完全に回っていた。行列が出来ていた。そして暫くしたら、私の少し後ろの方で、此処まででお終しまいとの事になった。基本的に玉が無くなったらお終しまいだからだ。折角、来たのに食べれず帰った人もいた。私は何とか助かった。

 此処の主人は、あの山内の主人の甥にあたるらしく、山内で厳しい修業を積んだ後、店を出したのである。インターネットで読んだのだが、山内の出来の良かった麺は、あたりやの主人の作ったものだったとの噂があるらしい。

 メニューは、あつあつ、ひやあつ、ひやひや、じょうれん(ざるうどん)の4種類。私達は家族で行ったからひやひや(売切れだった)以外は全部、注文した。さてであるが、やはりうまい。

 御主人は朝4時から山の井戸水を汲みに行き、うどんの生地からだし迄、全てに使っているという。その山の美味しい水も飲めるだ。いずれにしてもかなり一つ一つにこだわりをもって造ったうどんである。

 コシのある麺は、やはり違うと思わせた。でも正直私にはその麺のすごさがもうひとつ分からなかった。
 コシというのはもっとピチピチしているのではないかと‥。まだ勉強不足でよく分からない。ただこういう面は普通のうどん屋では食べれないということだけは認識した。

 長田の麺もこんな感じだったかな?私が一番うまいと思ったのは、出汁である。山内でも感じたけど。本当に此処の出汁はうまいと思った。 これはやはり普通のうどん屋では味わえないのではないか?

 私は”あつあつの大”を食べ、また家族の注文したものも少しづつ食べてみた。満足である。
  実はこの後、高松市内で、もう一軒の名店があり、二軒で食べるつもりだった。探して二軒目も行ってみたのだが、残念ながらお盆のため休み。いつかの日にお預け。

 子連れで行って、当初の予定通り、屋島の水族館に行ってから帰途についた。家についたらもう夜である。高速で行き帰りしたから、とても高いうどん代になるが、でも家族サービスも出来たということでよしとしよう。

 疲れたけど、楽しい一日でした。また、本物の味を求めて香川に行きたいと願っている。

千葉談>某高〇先生も、ついに”はまり”ましたね! 私も、是非、行きます”あたりや”に!。谷川米穀店(11時から時の2時間だけ営業)には誰が1番乗りするのでしょう???

        
さぬきうどん日記
VOL1 ”おそるべき讃岐うどん”との出会い篇(2000年9月〜2001年5月)
VOL2 ”おそるべきさぬきうどん”巡業?篇(2001年6月〜2001年9月)
VOL3 ”おやじの"うんちく"?篇(2001年6月〜2001年9月)

VOL4”某 佐○先生のうどん腹篇” (2001年9月)
VOL5”四国教区うどんツアー篇” 第1章
(2002年11月)
VOL6"おばあちゃんとうどんツアー篇”(2003年3月)
VOL7〃四国教区うどんツア−篇〃第2章(2003年6月)
VOL8 UDONツアー再開!(2006年9月)
VOL9 UDONツアーに行ったお客さん達&お店紹介と地図
    
直線上に配置
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