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新人生劇場

ブライアン・ピプキン

 私の名前は、ブライアン・ピプキンです。カリフォルニアから来ました。私は19歳で、1996年に高校を卒業したばかりです。高校を卒業して、6ヶ月後に、ハワイのミッションスクールに入学しました。
 母親は熱心なクリスチャンで、私はクリスチャンホームで育ちたました。私は教会に行って、教会の人たちのする全てのことをしていましたが、本当にイエス・キリストとの個人的関係がありませんでした。賛美歌を歌ったり、聖書の言葉を暗記したり、お祈りもしてはいましたが、イエス様との個人的な関係が欠けていました。
 教会に行くことを自分で決断できる年になった時、すぐに、教会に行く事は時間の無駄だと決めてしまいました。私には、2時間近くの礼拝で誰かがイエス様の話をするのを聞きに行くよりも、何かほかのことをしていた方が良いように思われました。神様と両親に2年ほど反抗した後に、私はこの世界には絶対に生きる目的がない事に気がつきました。子供の頃には生きる事の答えを持っていたのに、それをすべて捨てていたことに気づきました。そして、わたしはひざまづいて神様に悔い改めました。その日以来、神様は私に豊かな命を与えて下さいました。神様はすっかりと私の心と精神と生活を変えて下さいました。


【牧師婦人(佐伯由起)からの一言】

 ブライアンが私たちの教会に来られた時、出身地がカルフォルニア州のサンノゼであることが気になっていました。なぜなら、約15年ほど前に、私はサンノゼにある小さなバーリー・クリスチャン高校に通っていたからです。当時の高校は、アメリカでは珍しいほどの厳しい高校で、中学を卒業したばかりで渡米した私にとって、辛くもあり良い訓練の場となった忘れることのできない学舎でした。
 渡米数ヶ月後にステイ先の夫婦が離婚し、私の持ち物も金銭も全てが持ち去られるという事件に巻き込まれました。途方に暮れて困っている私を、助けて下さったのが、バーリー・クリスチャン高校でした。
すばらしいクリスチャンホームに迎え入れられ、日本人教会を紹介して下さり、私が神様を信じるきっかけを作って下さいました。
 まさかとは思いましたが、私の高校のことを聞いてみたところ、ブライアンの卒業した高校は、私の通っていたバーリー・クリスチャン高校であったのです。しかも、母親はその高校の聖書の教師をしているということでした。世界はなんと狭いことでしょう。遠く極東の地に派遣されたこの若者の中に、私の後輩がいるとは、神様の何らかの導きを感じないではいられませんでした。