【No.42】恐れるべきものは何か
2002.10.13 礼拝メッセージ マタイ 10:24〜33  園 謙慈牧師

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「恐れるな」⇔「恐れよ」。相反する言葉の真意は何か?
神を本気で信じるなら、神のみを恐れ、神以外を恐れなくなる。
神を恐れない者は、神以外のものを恐れる。
イエスは、「恐れ」にすぐ支配される弱い私たちを慰め、勇気を与え、
励ましてくださる。イエスの真理の言葉によってのみ人は救われることができる。
@ 恐れなくてもよい4つの理由
1.弟子は主と一つであって、同じ経験をするようにさ れている。
  クリスチャンとは、キリストのように生きる人のこと。
  自分の楽しみだけを追い求める生き方は空しく、何にも残らない。
  私たちはイエスと共に苦しむことも賜っている。
  そこに、主の素晴らしい恵みが与えられるのだから、恐れることはない。
2.どんなに悪がはびこり、真実が隠されていても、やがて必ず明るみに
  出され、最後には神の公平な裁きがな される。
  隠れたことを見ておられる神を意識して、福音を大胆に語り伝えよう。
  神の目にはすべて明らかなのだから、私たちは恐れる必要がない。
3.自分の命を失うことを恐れ、人の目や言動を恐れるなら、
  福音宣教はできない。この世への執着を断ち切り、神のみを追い求めること。
  神は永遠であって、悪魔は永遠ではないのだからら、恐れることはない。
4.一羽五円ほどの価値しかないすずめ、私たちの髪の毛、
  そういった非常に小さいものにも目を留め、顧みていてくださる神。
  神の知らないことは何一つない。すずめ一羽の命が神の御手の中にあるように、
  私たち「死」も神の御手の中にあるのだから、恐れることはない。

A恐れから解放されてなすべきこと
人間は何でもないことを恐れ、小さな問題を大きく捉えてしまう。
だが、神の大きな視点から見るなら、すべては取るに足りない。
自分の決心や努力で恐怖を克服はできないが、聖霊の力によって
恐怖心から解放される。
私たちは人生の最後「死」においても、主を証し、主の栄光を表す使命がある。
葬儀において、主を親族に伝えよう。「私を通して、主イエスが証される」という、
光栄ある生き方がクリスチャンには与えられているのだから。

いつも神が共にいてくださり、力を与えてくださる。
主だけを見つめ、恐れないで、力強く証していこう。