主イエスは私たち一人ひとりを必要としています。このことを知らされる時、私たちに生きる希望が起こります。主イエスは大切な時と場所で最も小さな者を用いて下さるのです。
この箇所は、主イエスのエルサレム入城と呼ばれている所です。なぜ入城なのでしょうか。この時、主イエスが王として民衆から大歓迎の中で迎えられたからです。主イエスはこれまでも何度かエルサレムを訪問しました。ある時など、主イエスが人目にたたぬように密かに行かれたこともあります(ヨハネ7:10)。しかし、今回のエルサレム訪問はいつもとは様子が違っていました。
主イエスは弟子たちにエルサレム入城の準備を指示しています。その指示とは、子ろばを見つけたら「主がお入り用なのです」と言って、主イエスの所に引いていくというものでした(2∼3節)。弟子たちはその指示に従い、子ろばを連れてきました。それは、まだ誰も人を乗せたことのない子ろばでした(マルコ11:2)。初めて人を乗せる子ろばですが、主イエスを乗せる力は備わっていました。
子ろばに乗ってのエルサレム入城は、その時の主イエスの思い付きではなく、ゼカリヤの預言の成就でした。5節の「シオンの娘に告げよ。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。へりくだって、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」の言葉は、ゼカリヤ9章9節からの引用です。主イエスがエルサレムに入城されたのは、ローマ軍との戦争の準備のためではありませんでした。そうではなく、全人類の罪を背負って、身代わりの死を遂げるためでありました。「あなたの王が…へりくだって、ろばに乗り」と書かれているのは、平和の王を意味します。戦争を目指した歴代の王は、軍馬に乗って入城しました。しかし主イエスは神と人との間、人と人との間に平和を確立するために、十字架の死を目指していました。
主イエスにとってのエルサレム入城は、非常に意味のある出来事でありました。その時に必要とされたのが、軍馬ではなく子ろばでありました。軍馬は常に脚光を浴びますが、それに比べ子ろばは目立たない存在です。しかし主イエスの大事な時には、普段は目立たない子ろばが必要でした。主イエスは、どんな小さな者であっても、必要な存在にして下さいます。私たちがどのような状況にあっても、「主がお入り用なのです」。