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日本ホーリネス教団

松山桑原キリスト教会

『全て重荷を負うて苦労している者はわたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。』   (聖書)

日曜日10時30分から聖日礼拝をライブ配信しています

※お願い 動画配信で礼拝を守られた方は、LINE、メール、電話等で教会に連絡してください。礼拝出席者としてカウントされます。
 ライブ配信終了後は、メッセージの音声を配信します。

聖日礼拝 2024年4月21日
説教題 「必要を満たされる神」
聖書箇所 出エジプト記第16章1~36節
説  教 安井 光 師

【礼拝式順序】
前  奏
招  詞  詩編第81編2~9節
頌  栄  (60) 天地こぞりて
信仰告白  使徒信条(826頁)
賛  美  (21) 輝く日を仰ぐとき
公同祈祷  主の祈り(826頁)
賛  美  (195) イエスの許に
交 読 文  3番(詩編16編) 
祈  祷
聖書朗読  出エジプト記第16章1~36節
説  教  「必要を満たされる神」
祈  祷
賛美・献金  (204) わが友にます
祈  祷
頌  栄  (63) 父、御子、御霊の
祝  祷
後  奏


先週の礼拝メッセージ

2024年4月14日
説教題 「信じるという仕事」
聖書箇所 ヨハネによる福音書第6章22~33節
説  教 安井 光 師

 

 ガリラヤの五千人の人々にイエスがパンを十分に食べさせた奇跡は、人々に非常に大きな衝撃を与えました。人々はイエスを自分たちの王にしようと思い、イエスを捜し回りました(14∼15節、22 ∼24節)。人々は、イエスがイスラエルをローマの支配から解放し、自分たちを幸福な生活に導いてくれると期待し、イエスの許にやってきたのです。イエスは人々の思いを見抜いておられました(26節)。パンは食べたらまたお腹が空きますが、イエスは食べても空腹にならないパンを人々に与えようとしておられたのです(27節)。

  私たちは生きるために衣食住を必要とします。私たちは何を食べようか何を飲もうか何を着ようかと、自分の命のことで思い煩いますが、神は私たちに必要なものをすべてご存知であり、それを与えて下さる方です(マタイ6:33)。神は私たちにさらに必要なものを、もっと大事なものをお与えになるのです。それは「永遠の命に至る食べ物」であるとイエスは言われます。ガリラヤの人々はイエスに肉の糧を求めましたが、神は御子イエスをとおして霊の命の糧を与えようとしておられたのです。

  人は生活の糧を得るために働きます。イエスは人々に対し、「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言われます。「神がお遣わしになった者(イエス)を信じること…が神の業」であり、永遠の命に至る食べ物を得るためになすべき「働き」であると示されるのです。「御子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)と福音書記者ヨハネは告げています。私たちの仕事は、肉の糧を得ることだけに終始しないのです。神と共に生きるために、霊の命の糧を与えるイエスを信じなくてはなりません。

  イエスを信じるのは、一生涯の仕事であり、楽しい仕事です。イエスを信じるとは、イエスの救いの恵みに生きるということ、イエスの御言葉を信じて生きるということでしょう。私たちは、神の霊によって生きる者として造られおり(創世記2:7)、神の言葉を食べて生かされるのです(マタイ4:4、エレミヤ15:16)。

  ガリラヤの人々は「あなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか」と、イエスにパンを求め、見えるしるしを求めました(30∼31節)。十字架の死と復活こそが神の愛と救いのしるしです。私たちは変わらないこのしるしによって、イエス・キリストを信じようではありませんか。そしてこのお方から永遠の命に至る食べ物を豊かに与えていただきましょう。

集会案内

子ども礼拝  日曜日10:30
礼  拝   日曜日10:30
夕拝(随時) 日曜日19:00
 (電話でご確認ください)
祈 祷 会    木曜日10:00
聖書を読む会 第3水曜日 10:00

日本ホーリネス教団
松山桑原キリスト教会
牧師 安井 光 安井 直子
〒790-0911
松山市桑原2丁目2-14
TEL 089-941-8997

松山桑原キリスト教会は、愛媛県松山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。
統一教会、モルモン教、ものみの塔とは関係ありません。


初めての方へ
人に必要な魂の安息

 日曜日は、多くの人々にとって休みの日(休日)です。カレンダーには通常の日と色分けされ、赤色で記載されています。ウイキペディア(インターネット百科事典)で「日曜日」を調べると、「神が天地の創造を六日間で終え、七日目に休んだとされる創世記が日曜日の起源」とあります。

 確かに、旧約聖書・創世記1~2章には、神は六日の間に天地創造をなさり七日目に休まれ、その日を聖別し祝福されたということが記述されています。

 その日は後に「安息日」と呼ばれるようになりますが、今ではキリスト教国だけでなく日本でも日曜日を安息の日として休みます。神は七日目に創造の業を終えて休まれたのですが、それは神のかたちに創造された人間に休みを与えるために他なりませんでした。

 神が休まれたのですから、人間が休まなければならないのは当然でしょう。休むことをしないで活動をし続けることは、肉体的にも精神衛生上も良くありません。

 神は”魂の安息”を私たちに与えて下さる方です。創世記に示されているエデンの園は、楽園のモデルと言われますが、人は誰でもエデンの園で神がアダムやエバに賜わった安息を慕ってやまない、魂のDNAを持っているのではないでしょうか。私たちには肉体の休息だけでなく”魂の安息”が必要なのです。

 クリスチャンは、日曜日に天地の創造主なる神、神の御子・救い主であるイエス・キリストを礼拝します。礼拝をささげる時、心に安らぎが”魂に安息”が与えられます。

 イエス・キリストは、「すべて重荷を負うて苦労してい者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。・・・あなたがたの魂に休みが与えられる」(マタイ11:28~29)と、すべての人を神による真の安息へと招いておられます。

 神は、魂に安息を与えてくださるお方です。ぜひ教会にお越しください。私たちの教会はあなたのお越しを心から歓迎いたします。