新人生劇場

神の豊かな祝福

安岡宣博(36)
(高知グレースチャペル)

 私は高知市生まれ。両親ともクリスチャンで、特に父は信仰深い母(私には祖母)に育てられたそうです。その祖母の両親から信仰の系譜は始まり、私は四代目です。
 幼い頃から慣れ親しんでいたキリスト教でしたが、成長につれ反発心も芽生えてきました。迫害の歴史を知ったことが主な原因でした。クリスチャンになって殉教するのはいやだと思ったのです。また人間は努力
すればなんでも道は開かれる。だから信仰はあえて必要ではないとも思いました。
 高校生になり、軟式テニス部へ入部。思い切りスポーツをやりたかったし、日曜日にも試合や練習があるので教会を休む理由ができると思ったからです。ところが年度始めの尿検査でひっかかります。原因はわかりません。ただ「この状態が続くなら授業以外の運動はやめるように」とのことでした。「絶対テニスをやめない」と親とケンカしたこともありましたが、何回再検査しても異常は消えず、とうとうドクターストップ。さらに更に入院して手術を受けなければならないとのことでした。この時、人間の努力だけではどうしようもできない部分があることを身をもって知りました。
 その後、目的を失い、うつろに過ごしていた私は、友達に誘われたことがきっかけで、合唱の魅力を発見しやがて夢中になりました。ふと気がつくと教会の中にも合唱の好きな先輩や青年が多数いました。また教会のキャンプで他の高校生とふれあい、信仰についての考え方が変わっていきました。神様の存在は自分にとって当然。なのにどうして抵抗しているんだろうと気づかされたのです。迫害への恐れもコリント人への第一の手紙第10章13節の御言葉で解決されました。さらに腎臓の異常も数午後には消え、神から離れて迷いの道に入らないようにとの、愛の配慮であることがわかりました。今も生きて働いておられる神を認め不信仰を悔い改めて、この方にこれからの人生をお任せしようと決心しました。そして、その後も、進学、就職、結婚といろいろとおりにふれ祝福を与えられてきました。
 特に結婚後、子どもがなかなか与えられず、夫婦の祈りでしたが、主の祝福に預かりました。妻は結婚前ヘルニアを思ったことがあり、子どもを持つのは90%難しいと言われたこともあったそうです。ところが祈られている中、開かれた教会のチェロ・コンサート直後、演奏されたボーマン先生が「誰かに対しての御言葉が与えられていたが、あなたへのものであることが今わかりました」とイザヤ書第54章を開いて下さったのです。その翌年、なんと子宮外妊娠。手術、卵管摘出です。神の意図は自分たちから生まれる子どもではないのかもしれないと思うようになりました。ところが約二年後妊娠がわかり、待ち望んでいた長男が誕生しました。結婚後七年目のことでした。そして今は、娘も与えられました。
 その他にも、数えられないほど生きて働かれる神のわざを体験させていただきました。神の恵みを受けるばかりでお応えすることの乏しい者ですが、信仰の証人として用いられればと願っています。(ローマ八・28)。