新人生劇場

森岡茂子(85歳)越知教会員

 私は高知県高岡郡佐川町黒岩中野という所で、明治45年に生まれました。佐川町は越知町の隣町で、越知町同様、山に囲まれた農村地帯です。その頃の私の名は川田茂子といいました。父母は農業をしており、水田や養蚕が中心だったので、私も小さい時から田植えや稲刈り、蚕の世話の手伝いをするのが楽しみでした。そして、気がついてみますと、私も年ごろ20歳になっていました。
 その頃、淡路メソジスト教会員で、私の親友でもある麻田豊枝さんが佐川町へ帰ってくるたびに、私を越知町にある教会に誘ってくれました。越知町には、小学校の前に木造平屋建ての教会があり、安岡幸蔵先生という歯科医が中心になって集会をしていました。普段は説教を中心とする集会というよりも、有志による聖書研究が主なものです。私も時々出かけてゆき、四福音書の聖書研究を聞いて、イエス様がどういうお方であるかが段々分かるようになりました。集会には20〜30人位がいつも集まっていました。時には高知市から有名な牧師が来て説教してくださって、私は大変恵まれたことも度々でした。それでもなかなか、入信の決断ができずにいました。
 しかし、親友の麻田さんの強い勧めで入信を決意しました。洗礼式には高知からブレーデ宣教師が来てくれて、6人の兄姉とともに滴礼の洗礼をうけました。私は何か新しい生涯が始まったような気分でうれしかったです。この時には明確な罪の悔い改めも、御言の確信もないままでしたのに、自分では一人前のクリスチャンだと思っていました。
 その頃、自分の家の近くに浜田一二(いちじ)さんというクリスチャンが東京から帰ってきて、いかけ業や傘修理等をしながら伝道していたので、私も家庭集会にでかけました。浜田さんは大変熱心な信仰の持主で、靴のない人をみると自分の靴をぬいであげるというほどの愛の人であった。私も大変感激して、こんな人になりたいと思った。私は日曜日の夜には伝道集会に出かけて、信仰生活をつづけていました。
  30歳になった時、知人の紹介で、越知町の森岡猪三実(いさみ)に嫁ぐことになりました。その時主人はすでに洗礼をうけたクリスチャンでした。しかし、本当のことをいうと日曜礼拝には出かけたことがない隠れキリシタンのようであったのです。私は主人と一緒に集会に行けないのが悲しかったけれども、とにかく一人で集会に出かけていました。5、6年たつと、第二次世界大戦が始まり、恐ろしい世相となり、信仰者は迫害されだしてきて、私も信仰どころではない、と思うようになりました。そして終戦。戦争が始まってから24年間、私は教会へいくことも、信仰生活も忘れてしまいました。そして、心はたいへん荒れすさんでいました。 昭和40年越知教会に中村郁子先生という若い婦人伝道師が来てくれて、私の家を訪ねてくれました。中村先生の説教の中で語られた「わたしにつながっていなさい。…わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」(ヨハネ15:4〜5)という御言により、数年間の不信仰の歩みが思い出され、ユダの様な自分に泣けて泣けて仕方がありませんでした。そのときに本当に悔い改めてイエス様に従っていく決心をしました。

(牧師のコメント)

 現在、森岡茂子(85歳)さんは、越知町内の老人ホームで過ごされています。誠実で責任感が強く、ホームの中でも誰にでも愛されている存在です。昨年は転倒により、大腿骨を骨折される大事故に遭いました。半年間、歩行不能でに入院され、再起が危ぶまれましたが、強い癒しの信仰に支えられ、医者も驚くほどの奇跡的な回復が与えられました。現在は週に二回、約2キロの道のりをシルバーカーを引きながら教会に集われています。彼女の信仰の強さに私たちも学ばされます。