新人生劇場

高雄永-コウウンヨン(27) 

 神の愛は、聖書の中で最も大切なテーマです。それは私の生涯においてもたいへん重要なことです。
 1995年の夏からの一年間は、私に取って最も試練の時となりました。1995年の7月13日に兵役を終えた時に、私の家族は、たいへん難しい状況にありました。父親は失業したために借金に追われ家を後にしました。そのために母は健康を害し、弟は軍隊に入ったために、だれも家族を助ける者がいなくなりました。 それから、私は学費と当座の生活費を稼ぐために、重い労働に就かなければなりませんでした。しかし、状況は悪くなる一方で、とうとう返済期限が過ぎてしまい、父親は牢屋に入れられてしまいました。家族は借金取りからの電話に悩まされました。父親が不在のために、姉は結婚式の日を延ばさざるを得なくなりました。私も6年間付き合っていたガールフレンドと別れることになってしまいました。 1996年2月の大学復学の時が、一番大変な時でした。私の人生に置いて、私の計画がすべて崩れてしまいました。私の信仰もダウンしてしまいました。神様を信じているのにもかかわらず、神様が私と共にいてくださるか、どうか分からなくなってしまいました。 その大変な状況の中で、私は旧約聖書のホセア書を読んでいました。神は預言者ホセアにゴメルと結婚する ように勧めました。そして、ホセアはゴメルと結婚しました。しかし、ゴメルは父親を知らない4人の子供を産みました。そして、ゴメルは彼女の不品行な生き方を繰り返しました。しかし、神様はホセアにゴメルを再び救い出し愛し続けていると言いました。ホセアは再び彼を引き上げられて、彼女を愛し続け、受け入れました。私はホセア書を読んで、泣きました。なぜなら、私の姿はゴメルの姿と似ていました。私は神様を愛するのではなく、ほかのものを愛していました。私の将来と愛するガールフレンドと家族を献げたとしても、神様を愛したとは言えません。もちろん、神様も私の将来と結婚と家族を大切に思っておられますが、神様よりも大切にすることを望んでおられません。私がこのことを理解した時に、私の気持ちもおさまりました。 この後、私の行き方は変わりました。私の父親は家に帰り、私の姉は結婚し、弟も無事兵役を終えました。もちろん、私は私の生涯をイエス様に献げ、神様の愛を伝えるために四国に来ました。今、私の人生の目的は二つあります。一つは、毎日新しくイエス様を愛すること。そして、もっと深くイエス様を知ることです。次に、私は毎日イエス様の為に死 ぬことです。 私の自己中心と私の意志と、私の思いに死んで、神様の御心だけを求めています。

       神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
      それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、
      永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)


 神様はまずこの世を愛して下さいました。神様の愛は、本当にすばらしい。しかし、人々は神様を拒絶してしまいました。そして、神様以外のもの、すなわち、偶像やお金や名誉や快楽を拝んでいるのです。私は日本で多くの人の手によって作られた神社や寺院や偶像を見ました。私の心は、痛みを感じました。天地万物を造られた天の父なる神様の心はもっと悲しまれていることでしょう。
 もし、私たちが真の神を愛さなければ、私たちは天国に行くことはできないと聖書には書かれています。なぜならば全ての人は、真の神様のもとを離れて罪を犯したからです。
 聖書の言う罪とは、単に犯罪を犯したという事にとどまらず、真の神様から離れて自分勝手な生き方をしていることを意味しています。その意味で全ての人は罪を犯したため、神様からの救いを受けられなくなってしまいました。
 しかし、神様は人を救う為に、全ての人の罪の犠牲として死ぬためにこの世に来られました。それは神様のひとり子であるイエス様です。そして、イエス様は神様です。天地の始めにこの世を造られたお方です。 このイエス様は、神の暗いを捨てて人になられました。イエス様は、王として来られたのでも、この世を支配する為に来られたのでもありません。そして、人々に好かれるために来られたのでもありませんでした。
 その方は、大工の息子として来られ、人々の苦しみを負うために来られました。最後には、十字架にかかってくださいました。 私たちの主イエス様は、価値のない私たちのために高価な尊い身代わりとなって下さったのです。イエス様によって造られた者たちのために、謙った姿で私たちの為に命を捨てて下さいました。それ故に、このお方を信じる者は一人も滅びないで永遠の命を受けることができるのです。
 は今イエス様をこよなく愛しています。私は毎日イエス様に生かされ、毎日イエス様の為に死んでいます。皆さんも、ぜひ私と同じようになることをお勧めします。