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牧師19年目の千葉和幸です。
2000年に仙台より愛媛県土居の
地に転任して参りました。

土居は、前は山、後ろは海の景色
が素晴らしく暖かい土地でとても
気にいっています。

名物の突風”やまじ風”には面食らっていますが…。

家族は、妻、聖子さん(永遠の20才)と百合香(高2)と成美(中2)と、2000年秋に拾った雑種犬マロン(4年後マロンは天に召され)、今は、ご近所の方から頂いたミニチュアダックスフンドの”もも”の4人と1匹です。

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牧師の紹介
プロフィール
1961年 山形県長井市に生まれる
1963年 父親が原爆の後遺症を急に発症して亡くなる。
      母の実家に戻り、クリスチャンの祖父母から信仰の種を植えて頂く。
1966年 母が再婚して仙台に移る
      以後、10年間、義父より幼児虐待を受ける
1976年 仙台南光沢教会に引き取られる
1977年 高等学校入学
1978年 再び母と共に住む
1980年 大学に入学  
1981年 イエス・キリストを救い主と信じる
1984年 東京聖書学院入学
1988年 結婚
      初任地、兵庫県加古川教会に遣わされる
1993年 仙台南光沢教会に転任
2000年 愛媛県土居教会に転任して現在に至る。

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          イエス・キリストと出会った証

 
私は、重複を含めて7度、名字が変わりました。

2歳の時,父が原爆の後遺症を発病して急死し,山形の実家に帰り,そこで祖父母や,白鷹教会の故梅津うめ牧師(祖母の姉)から,何時も聖書の話を聞いて育ちました。

 5歳の時,母が再婚し,仙台での新しい生活が始まりました…新しい父は真面目な人でしたが,お金に対する非常な執着心と,暴力的な人で,養育費がかる私は、邪魔な存在で、私は毎日虐待を受けました

 歌を歌っては,うるさいと怒鳴られたり(大声が高音だと思っていた)大工仕事をしている側を通ると,邪魔だと金槌で頭を小突かれ,足を車のタイヤで踏まれたり,TVも見せて貰えず,食事の度に殴られたり,おかわりすると睨まれたりする生活でした。

 そん中、何時も怯えており,朝,父の顔を見るとビクッと躰が飛び上がり…夜は、心に溜まった恐怖と不安感のより、寝る度に恐ろしい夢に襲われ,うなされました。

 また、そのうなされている声が、うるさいと怒鳴られ殴られると言う生活を過ごしておりました。

 
母は,私が,少しでも住み易くなる様,真っ黒に成りながら燃料店の仕事を手伝い,私も殆ど遊ばずに手伝いましたが,小4の時,余りの辛さに母と二人で家を出て市内の団地の米屋さんに住み込みで働きました。

 しかし、母が過労で倒れた為,家に戻る事に成りました…暫くの間は気をつかっていた父でしたが、間もなく,前にもまして暴力が激しくなり,毎晩遅く迄,隣の部屋で,母が怒鳴られ殴られる音を聴いて眠る内,不眠症になって行きました。

 そうした中、私は情緒不安定に成って行き、不眠症になり、両親が寝てから料理酒を飲んで眠る様に成って行きました。

”死にたい”あの車に「イエス様」と叫んで飛び込んだら天国に行けるだろうか?…と何時も、そんな事を考えながら登下校しておりました。
 しかし、そんな時、不思議と毎日祈りて下さっていた祖母が、以前「あなたは、大きくなったら牧師に成る」と言った言葉を思い出し「ああ、牧師になるのなら、死んではいけないなあ」と思って思い留まったのを思い出します。

 また近所で、信者さんが、家庭を解放して、日曜学校を開いて下さっていて、そこに行く事が心の拠り所でした。その方は今も、日曜学校を続けておられ、また私の為にもお祈り下さっています。
 
 中三の秋に,虐待を受けて部屋に戻った私に,母が「今直ぐ,教会に行きなさい」と言いました…市内の教会の牧師婦人が母の姉だったのです。

 真っ暗な中,自転車で家を出ようとした私に,母は,手で行くように合図しながら「和幸行くな」と絶叫しました(生き抜いて行く為)…教会に着いた私の目を見た先生は、そのまま引き取って下さいました。

 教会での幼児期以来に味わう人間らしい生活で,人間回復をして行きました。
 
 そうした中,母も離婚をし,私も大学に入学し1人暮らしを始めました…青年期になった私は,それ迄の心の傷によって,虚無感に支配され,孤独と自殺願望に取りつかれて行きました。

 そんな或る時、昔、ヒッピ−見たいな生活をしていた先輩に出会って感化を受け,下駄を履き,裾の広いジ−パン、頭にバンダナを巻き、学校には余り行かず、毎晩仲間とユ−トピアを造ろうと,甘い夢を描きながら、毎日酒をボトル1〜2本、たばこを100本位吸っていました。

 しかし、やがて、イデオロギ−にも行き詰まり,ボロボロの躰だけが残ったのです。
 
 大学2年の頃、心の内に「今、信じないと手遅れになる」と言う神の声が響いて来るように成り、それを払いのける事が出来なくなりバイブル・キャンプに参加し,そこで,主イエスを信じる決心をしたのです。

 
そんな私の心に,神との交わりが回復し,暖かい愛の光が満ちて来ました…それ迄,何時も冷たく寂しかった心の空洞が,愛で満たされていたのです。
 
 私は味わった事の無い平安の中で泣きました。

 新しく生まれ変わる体験の後,私は聖書を貪り読みました…砂に水が吸い込まれる様に御言が心に染み込み性格も顔も変わって行きました。

 やがて献身に導かれ,聖書学院に入学した私は,荒削りだった為行き詰まり,祈る力も尽きた時「私の目にはあなたは高価で尊い,私はあなたを愛している」イザヤ43:4の御言を主が語って下さったのです。

 始め信じられなかった心に、強く〜迫る、主の迫りの中に降参した時,心が癒されはじめ,献身者としても成長して行ける様に成ったのです。
 
物心ついてから「お前などいらない、邪魔だ、駄目だ」と言うメッセ-ジばかり受けて来た私は,献身所か、人生やさえも棒に振る所を,主は見抜き癒して下さったのです。

「私の目に,あなたは高価でで尊い。私は御子を十字架に架けた程に,あなたを愛している」…この神の招きに,私共が,アーメンと言える時,神との交わりが回復し、心も、人間関係も、人生も回復し、全ての事が益と変えられて行くのです。


2006年のお正月…この証しに、思っても見なかった続編が出来ました。

 それは、神が生きておられる事を感じざる得ない、恵みと畏れを感じる体験でした。
 上に、私は5才〜15才迄の10年間、2度目の父に虐待される日々を送っていた事を記しました…その時、同じ市内に住んでいた牧師夫妻は心を痛めてくださり、特に母の姉の牧師婦人は、10年間、涙の祈りをして下さっていました。

 中3の冬に教会に引き取られた日、残った母は、命の危険を感じていたそうです。その恐ろしかった父から29年ぶりに電話があったのです。

「私を覚えていますか?今日は昼から、電話の前に座り、夜になるのを待っていた。ずっと胸につかえていた事を話したくて…あなたが牧師になったと聞いたので、電話を放り投げないで聴いて欲しい。
 私が、あなたの父であった10年間、殴ったり怒鳴ったりして申し訳なかった。許して欲しい」という耳を疑う電話でした。そこは涙の和解の場となりました。

 その父は、今、私達がいる四国の隣の九州にいるそうなので、家族で伝道に行きたいと願っていますのでお祈り下さい。

 私を教会に引き取って下さった牧師婦人は、今、肝臓癌の末期で、壮絶な痛みとの戦いの中におられます…その牧師婦人が、会話が出来た最後の時に、この報告をする事が出来たのでした。神は幼い頃の涙の日々に共におられて、時を隔てて和解と癒し、そして新しい人生へのスタートを与えて下さったのです。

2006年1月20日


  「前父との再会」

 2006年4月、30年ぶりに前父に再会してきました。

 父は82歳になっていて、浦島太郎の気持ちが分かる気がしました。前父には性格や、話の内容には、昔の面影はありましたが、1人で老い、弱っていく寂しさが伝わって来ました。

 また頼っていた姪い子さんが、1ヶ月半前に肝臓癌で召された事や、父自身も3ヶ月前に軽い脳梗塞になり、また先月は、背中のこぶを除去する大きな手術をされたという心細さが、再会の喜びを大きくしたようでした。

 再会した父は、最初に、妻や孫の前で謝罪して下さいました。それから、「どうして和幸を辛い目にあわせたのか」と語り出しました。

 ”貧しさの中で人に捨てられて苦労した生い立ち、戦争で奪われた青春、それゆえ、お金しか頼れず、また厳しさしか、人と交わる術を持てなかった事”…。

 父が変わったのは、最近だと聞いています。確かに、昔の面影は沢山ありました。少し前なら、見ていてトラウマが吹き出たかも知れません。(聖子先生はそれを心配していたそうです。私も2日前は緊張して眠れませんでした)。

 しかし、私にとって、過ぎし一年は、神様から「和解の福音」を教えられ、体験させて頂き、癒された時でした。それゆえに、父を見て、昔を思い出しても、トラウマにはなりませんでした。

 余談ですが…子供の頃、唯一楽しかった思い出は、ジンギスカンの鉄鍋を囲んだ事でした。

 「あのジンギスカン美味しかったね。タレの作り方覚えてる?」と聞いたら、あの鉄鍋を持ち出して来て、「お前にやる」と…。病気になって全てを整理した時、その鍋だけは捨てなかったのです。見れば、包んでいる新聞紙の日付は、離婚した直後のものでした。

 鉄鍋は私を一瞬に少年の時に戻しました。更に、父の痛みと愛を語ってくれる最高のプレゼントとなりました。

 優しさや、情を表に出す面は昔の父には無い事でした。ある意味、父は180度変わっていました。昔の父から、優しくされる。また、「愛していた」と告げて頂く時が来るとは思ってもみない事でした…心の底が癒される思いでした。いえ、今、癒されていると思います。

 別れの日、フェリー乗り場近くの城跡(キリシタン大名の大友相隣の城)で、思いがけず、父と花見の時を持つ事が出来、思いの内を語り合う事も出来ました。「お前と会うのは最後だろう」と言い続けていた父が、いつの間にか「また、来いよ」と言っていました。

 私達が乗船して、手を振り別れの挨拶をした時、父も大きく手を振り続けながら、「また来いよ」と言い涙していました。初めて見た父の涙でした。

 ある方が、「お父さんは、許される喜びを知ったんだね」と言って下さいました。そうであれば幸いですが、私にとっても、許され、愛され、受け入れられた時となりました。

 最後に、お祈り頂いた伝道ですが、大きな一歩を踏み出せました。30年前は、教会に行っただけで殴られた事を思う時、礼拝後、「教会で待ち合わせしましょう」というお願いは大胆なものでした…しかし父は受け入れて下さり、教会まで迎えに来て下さいました。

 S教会のI先生御夫妻が、父の手を握り暖かく迎えて下さり、父も喜んでいました。食事の祈りも、お墓参りの時も、父は一緒に祈ってくれました。

 旅の前夜に与えられた御言葉「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも、あなたの家族も救われます」を読み証する事も出来ました。

 「自分は20歳の時、イエス様を信じて救われたから、もう良いんだよ。そして、父からお電話を頂いた事も、私の救いの一つであり、お父さんの救いもここに続くんだよ」と…。

 あの父が、私の証を黙って聴いて下さったのです。そして「ありがとう…」とサインした聖書をプレゼントして来ました。思いを超えた大きな伝道の一歩でした。お祈りありがとうございました。これからの伝道の為にもお祈り下さい。

Uコリント5:17−18「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである。 しかし、全てこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、私達をご自分に和解させ、かつ和解の務を私達に授けて下さった」
2006年4月
                     
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