苦しい時は必ず終わる
<疲れている人々へ…>
1998年、日本の自殺者が3万2千人を越えました。前年度に比べ、40〜50代の男性で、44,6%増、20代の男性で約40%増、そして10代の男女で53,1%増だそうです。この数値は同時代に生きる私達に、自分の存在意義を問いかけているのではないでしょうか?
強まる自殺の肯定
日本の社会では最近、自殺を肯定する傾向が強まっています。インターネットで自殺志願者を募り、知らぬ者どうしが一緒に心中したり、自殺が肯定されて来たように思えます。
西洋では古代から自殺を肯定する思想がありましたが、それはキリスト教的人生観への反動であり、決して主流にはなりませんでした。
一方、恥文化の日本では、昔から自殺は、責任をとる潔い行為、誉れある抗議の行動とされてきました。
それでも鶴見済著『完全自殺マニュアル』のような、虚無的、厭世的な自殺肯定論が支持される事はありませんでした。
鶴見氏は、『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』で、「オレの前で自殺のどこが悪いのか、きちんと説明しろ」と主張します。彼には絶対論駁されない自信があるようです。
概して日本人は現世主義的で、キリスト教のような絶対者(唯一神)を持ちません。そのような社会では、彼の論理を崩すのは困難です。私自身「今がよければいい」という生き方をしていた頃がありました。裏を返せば「何時死んでも良い」という投げやりな生き方をしていた時でもありました。現世主義的な生き方は、「今が悪ければ、今を去ればいい」という事になりますし、また、絶対的な創造者がいないという事は、「自分が生まれてきたのは偶然で、自分の命には、意味も目的もない」という結果を招きます…それは、”生命の尊厳に根拠がない”という事になるのです。
私にはコースを変える自由がある
自由競争(能力主義)に追い立てられた、現代は、益々、現世主義と自殺容認へと傾いて行くでしょう…そういう時代を生きるために、三つの事を提案致します。
一つは、「いま歩いているコースを降りて、別のコースを選ぶ自由がある」ということです。つらくなったらコースを変えてみては如何でしょうか?…そんな風に考える心のゆとりが大切なのです。
より価値の高いものを守るため、今までの人生のコースを変えるのは、決して悪いことではないのです。進路や、地位や、仕事や責任、人生の目標、名誉など、今、自分が身置いて、追い求めている戦いから、「降りる」事も大切な選択肢の1つなのです!
今まで追い求めてきた、この世の望みが、叶えられなかったとしても、それは、人生の敗者になる事ではないのです。
なぜコースを変える自由があるのか?…それは、”自分が生かされる別のコースが必ずあるから”です。
前進だけが人生ではありません。後退も右折も左折もありです。真の自由とは、そうした「ゆとり」を持って生きている事なのです。
…つらくなったらコースを変える自由を見つめて下さい。人生には、前進だけでなく、後退も、右折も、左折もあるのです…
騙されないで!
ニつ目は、「だまされないでほしい」という事です。
あなたが「死にたい」と思う時、苦しく、辛く、悲しくて、虚しくて、「生きていても仕方がない」と感じた時、「ひょっとして、今、自分は何かにだまされていないか?」と考えてみて頂きたいのです。
現在の苦しみは、何時までも続くものか?…「何時までも続く」と思うのは、何かに、だまされているからではないか?と立ち止まって考えてみて頂きたいのです。
楽しいことが続かないのと同様に、苦しいことも続かないのです。全ての事は、何時か過ぎ去るのです。
また、あなたの命に換えられる程に価値あるものは、この地上にはないのです。
「ある」と思うのも、だまされているからではないでしょうか?この地上にある全ての物は、いつか地上と共に消え去ります。
社会の風潮に、.メディアに、現世主義に、お金や、名誉や、健康や、友人が全てという考え方に、毒されてはいないでしょうか?
「自分には生きる道がない」と感じる時、人は社会の考え方に、だまされているのだと思います。
今は、特にだまされやすい時代です。世間の言う、「幸福」は時代と共に変わります。自殺肯定論さえも廃れる日が必ずきます。だまされたまま死んでしまうのは、あまりにも悲しすぎるのではないでしょうか?
体は生きる事を求めている
最後に、「あなたの意思に反してでも、体は生きようとする」という事を申し上げます。
たとえ私たちの心が生きる望みを失ってとしも、体は、全力で生きようとしているのです。
体は、自分の弱い部分をかばい、傷ロをふさぎ、最も大事な部分を最優先に守り、命を守ろうとします。たとえば「出血が起きると、自律神経の作用によって、血管や脾臓の収縮が起こり、副腎からはアドレナリンが分泌され、末梢血管が収縮して、その部分の血流が少なくし、大量の出血を防ぐ」〈吉岡郁夫著『人体の不思議』講談社新書)と言います。
体はそういう仕組みを持っているのです。
つまり「私の心」が私の命を見捨てようとしても、「私の体」は、私の命を見捨てないのです!
体は最後まであきらめないのです。
そのように、一生懸命体が生きようとするのは、体と命を造られた創造主なる神の意思が働いていると教会は信じます。
そのような体の仕組みの中に、神の願いを見る思いがしないでしょうか?…神は、私たちにどんな事があっても生きる事を願っているのではないでしょうか?
あなたの命が尊い訳
なぜ苦しくても生きていかなければならないのでしょうか?
それは、あなたを愛する神がそう願っておられるからです。
あなたは、自分の愛する人や、我が子に、死なないで欲しいと願われないでしょうか?
なぜ神はそう願われるのでしょうか?
それは、苦しみの中にも、あなたを造られた神は、あなたのためだけに、計画をお持ちであり、あなたを愛しておられる事を体験して欲しいと願われているからです。
あなたの苦しみの時は必ず過ぎ去り、人生に希望を見ることができる日が来ると、神は知っておられのです。
「主(神)は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる」
(旧約聖書イザヤ書58章11節)
人が、社会が、あなたを見捨てたとしても、神だけは、あなたを絶対にお見捨てにはならないのです。
なぜなら、あなたの命のために、神は独り子イエス・キリストを犠牲にされたからです。
そして、そこにのみ、あなたの命の尊さの根拠があるのです。
…苦しい時は、必ず終わる…
