信仰の友
ヨシュア記13章〜14章15節.2008.4/13
【ヨシュア記13章1〜7節】
13:1 ヨシュアが多くの日を重ねて老人となった時、主は彼にこう言われた。「あなたは年を重ねて老人となったが、占領すべき土地はまだ沢山残っている。
13:2−3 残っている土地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域とゲシュル人の全域、 エジプトの東境のシホルから、北はカナン人のものと見なされているエクロンの境まで。ここには五人のペリシテ人の領主の治めるガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロンの人々がおり、アビム人の領土が
13:4−7 その南にある。またカナン人の土地全域、シドン人のメアラ、アモリ人の国境アフェカ、 更にゲバル人の土地、ヘルモン山の麓バアル・ガドからレボ・ハマトに至るレバノン山東部全域、 およびレバノン山からミスレフォト・マイムに至る山地の全住民、すべてのシドン人。わたしは、イスラエルの人々のために、彼らすべてを追い払う。あなたはただ、わたしの命じたとおり、それをイスラエルの嗣業の土地として分けなさい。 この土地を九つの部族とマナセの半部族に嗣業の土地として配分しなさい。ヨルダン川から西の海まで、海沿いの地域をこれに与えなさい。」
【ヨシュア記14章6〜15節】
14:6 その頃、ギルガルのヨシュアのもとにユダの人々が来た。その一人ケナズ人エフネの子カレブがこう言った。「主がカデシュ・バルネアで私とあなたのことについて神の人モーセに告げられた言葉を、あなたはご存じのはずです。
14:7 主の僕モーセが私をカデシュ・バルネアから遣わし、この地方一帯を偵察させたのは、私が四十歳のときでした。私は思ったとおりに報告しました。
14:8−9 一緒に行った者達は民の心を挫きましたが、私は私の神、主に従い通しました。 その日、モーセは誓って、『あなたが私の神、主に従い通したから、あなたが足を踏み入れた土地は永久にあなたと、あなたの子孫の嗣業の土地になる』と約束しました。
14:10-11 御覧ください。主がモーセにこの約束をなさって以来四十五年、イスラエルがなお荒れ野を旅した間、主は約束どおり私を生き永らえさせてくださいました。今日私は八十五歳ですが、今なお健やかです。モーセの使いをしたあの頃も今も変わりなく、戦争でも、日常の務めでもする力があります。
14:12 どうか主があの時約束して下さったこの山地を私にください。あの時、あなたも聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々がありますが、主が私と共にいて下さるなら、約束通り、彼らを追い払えます。」
14:13−14 ヨシュアはエフネの子カレブを祝福し、ヘブロンを嗣業の土地として彼に与えた。 ヘブロンはケナズ人エフネの子カレブの嗣業の土地となって、今日に至っている。彼がイスラエルの神、主に従いとおしたからである。
14:15 ヘブロンはかつてキルヤト・アルバと呼ばれていたが、それはアナク人の中で最も偉大な人物アルバの名によるものであった。この地方の戦いはこうして収まった。
ecutive
Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible
Society,Tokyo,1987,1988,1995
信仰の友
ヨシュア記13章1〜7.14章6〜15節.2008.4/13
【中心聖句】ヨシュア記14章12節「どうか主があの時約束して下さったこの山地を私にください。あの時、あなたも聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々がありますが、主が私と共にいて下さるなら、約束通り、彼らを追い払えます。」
今朝で、ヨシュア記からの最後の説教になります。ヨシュアは「約束の地」に入ってから戦い続けてきました。エリコの戦いから、アイ、ギベオンなど31の王と戦い、それらの都市を奪い返してきたのです。
そうした月日を重ねる内、ヨシュアは、既に九十歳になっていました。ヨシュアといえど、「もう年だから引退して休もう」と言う思いとの戦いがあったかも知れません。
しかし神はヨシュアに、「あなたは年を重ねて老人となったが、占領すべき土地はまだたくさん残っている」と檄を飛ばされたのでした。土地取得の戦いはほぼ完了した感がありましたが、”神の目にはまだ多く残っていた”のです。
ヨシュア記13章6節で、主はヨシュアに、「私は、イスラエルの人々の為に、彼ら全てを追い払う。あなたはただ、私の命じた通り、それをイスラエルの嗣業の土地として分けなさい」と言われたのです…ここで、”主なる神は、老いたヨシュアに、「私が追い払う」と約束された”のでした。
この時から、約束の地を奪い返す戦いは、「戦う」から「追い払う」という、”人による戦いから、神の御手による平和の業となって行った”のでした。神はヨシュアに、信仰の戦いから、最後まで退かないように諭されました。
と同時に、”神は愛の配慮をもされたのです…神ご自身が敵を追い払われ、老いたヨシュアに、主が与えて下さった地を受け取り分け与える役目を与えられた”のでした。
「攻撃は最大の防御」と言いますが、信仰に於いては、それは真理です。神がヨシュアに、「取るべき地はまだまだ多くある」と言われた時、その”お言葉を聴いたヨシュアの友人のカレブが立ちあがり、神の祝福に預かっていく”のです。
イスラエルが、まだモーセに導かれて荒野を旅していた時、この時から45年前、モーセは、イスラエルの十二の部族の代表者を選び、約束の土地を探りに行かせた事がありました。簡単に言うとスパイです。
偵察を終えて帰って来た、十二人中の十人のスパイは、「約束の地には、アナク人という巨人がたくさん住んでいて、その場所を征服するのは無理だ」と言い、民衆の心をくじきました。しかし、残りの二人のスパイだったヨシュアとカレブは、そうではありませんでした。
彼等も事態の困難さは認めていました。「確かに、敵の巨人から見たなら、自分達はイナゴのように小さく見えるであろう。けれど、神が行けと言われている。神が足の裏で踏んだら下さると言われているではないか」と言ったのです。
これは無鉄砲ではありません。”現実を冷静に分析しつつ、神の言の御約束に信頼して立つ御言葉信仰”なのです。
”信仰は、神が約束して下さった御言葉に信頼して立つ事から離れますと、必ず不健全になっていき”ます。カレブが御言葉信仰に立ったのは、彼の性格によるものではなかったのです。
10〜12節迄の間に、「主が御約束して下さった」〜と4回出て来ます。カレブはそこで、「神は言われた通りに今迄して下さった。神は、これからも、その様に私達を導いて下さる」と言っているのです…”カレブの信仰は、神のお言葉への信頼から生まれたもの”だったのです。
45年前は、10人のスパイの、2mの巨人であるアナク人を恐れた言葉の方が強く、イスラエルの人々は、心挫かれて不信仰に陥り、荒野を四十年間、ぐるぐる放浪する事になりました。
しかし、それから45年後、85才になったカレブはヨシュアに言いました。
「どうか主が、私が40才の時、お約束して下さったこの山地を私にください。あの時、あなたも聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々がありますが、主が私と共にいてくださるなら、約束どおり、彼らを追い払えます」と、”変わらぬ神の言への信頼を語り、信仰によって立ち上がった”のです。
”信仰は、神に対してたかをくくりますと、それ迄になってしまい”ます。「なーに、神ならそのへんまではお出来になる。でも、ここから先は…」と、”自分の計算で神を低く見積もってしまう事が、神に対してたかをくくるという事”なのです。それは神と共に歩む終点を自分で決めてしまう事になってしまいます。
しかし、神を低く見積もってしまうのは、誰もが持つ人の弱さです。だからこそ、”信仰者が、神の約束に立ち続ける為には、信仰の友が必要”なのです。
カレブの信仰を聴いていたヨシュアは、カレブを祝福して(神が共にいて下さるように祈り)送り出しました。そして”聖書は、カレブが神に従い続けた結果として、神は、その土地を約束通りにカレブに与えたと記している”のです。
”カレブはヨシュアの信仰の友でした。別な言い方をしますと、ヨシュアとカレブは、信仰の友を持つ事の出来る信仰者であり、また人格をも持っていた”とも言えます。
”教会の存在理由の1つに、信仰者が個人個人がバラバラでなく、そうした信仰の友と出会い、キリストの躰(共同体)とされている事を体験する場”という事があるのです。
教団の先人に、小島伊助牧師がおります。小島牧師は、「砕かれたる聖徒の姿は水滴のようなものである。石ころと石ころは、何時まで置いても二つの石ころのままであるけれども、水滴と水滴とは触れるが速いか、一つの水滴になる」と言われました。
”信仰者と信仰者の出会いというのはそういうもの”なのです…”信仰の歩みは、祈り合い支え合う事です。人は弱いので心や信仰が萎えた時に、神を見上げる事を助けてくれる友を必要とするから”です。”信仰ある者は、必ず信仰の友を求めるようになり、また信仰の友が与えられる”のです。
けれど小さな教会には、人がいないという事もあります。しかし”信仰者なら、キリストの内に真の友人を発見する筈”です。
何故なら、”キリストだけが、誰も理解してくれないような、自分の心の内を理解して受け止めて下さる御方だから”です…ですから、”信仰の友の存在の有無は、今の自分の信仰の試金石になる”のです。
マルコ2:3〜5に「四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行く事とができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。
イエスはその人達の信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。」とあります…”中風の人が、自力で主イエスの下に行けなかった時、身体も魂も主イエスの下に連れて行った友の姿がここにある”のです。
正に”信仰の友は、肉体の命を支え合う事のみならず、霊の命をも支え合う”のです。
ヨシュアとカレブは、いつも祈りあい励ましあって、神がお約束された御言葉に立ち続けました。それゆえ生涯、信仰のはせばを走り抜く事が出来たのです。
私共も、自分の信仰を吟味しつつ、「信仰の友」を祈り求め、神が御約束して下さった御言葉に、信頼して立つ…そのような信仰生涯を走り抜いて参りたいと思います。