信仰による勝利
ヨシュア記6章2節
そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。
ヘブライ人への手紙11章30節
信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました。
ecutive
Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible
Society,Tokyo,1987,1988,1995
信仰による勝利
ヨシュア記5章〜6章、中心聖句6章2節.
ヘブライ人への手紙11章30節. 2008年2/4
今朝は、”エリコ陥落”を描いているヨシュア記5〜6章から、”信仰による勝利”について説教をして参ります。
出エジプトから40年目、とうとう神の約束が成就する時が訪れました。しかし、イスラエルの民が約束の地カナンに入って行こうとした時、それを阻むように、雪解け水を湛えるヨルダン川が横たわっていたのでした。しかし神は、ヨルダン川の水をせき止めて、イスラエルの民を渡らせて下さったのです。
そうして、約束の地、カナンに入った民の前に立ちはだかっていたのは、エリコの城でした。エリコは、イスラエルの攻撃に備えて、城門を堅く閉ざしていたのです…その時、神はヨシュアに対して、「あなたの手にエリコを渡す」と言われたのです。
その前の5章において、神は民に、「割礼を受けなさい」と命じられ、ヨシュアには、「私の前に靴を脱ぎなさい」といわれていたのです。これらは、”聖別の命令”でした。
”神が民と共にあって、民の為に戦われる時に、神は、民に対して、神の僕となる事を徹底して教育された”のでした。しかし、割礼の後は、何日間は動く事が出来なくなります。ですからこれは、”「敵の前で無防備になりなさい」という命令でもあった”のでした。
”神は御自分の僕に対して、信仰は、神に徹底的に信頼し抜く戦いだと教育した”のでした。
信仰は頑張る事ではありません…”信仰は、恩寵先行、信仰後続”です…”信仰は、先ず神の恵みが先に注がれ、そこで神への信頼が与えられ、神に従う事”なのです。
ヨシュア記6章2節と、8章1節で、神は「恐れてはならない。おののいてはならない…アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す」と言われました…「私は既に与えている…だから、あなた方は、私に信頼して行いなさい」と言われたのです。
私共は人生の中で、この先どうなるかわからないと思う事に多々であいます。しかし、一つ確実に言える事があります。それは、”クリスチャンの信仰の戦いは、必ず勝利する…神は、恵みと共に、私共に必要なものを、既に与えて下さっていると信仰に立つ戦いをするなら、クリスチャンは必ず勝利するという事”です。
どんなに困難に見えても、自分が否定されるような所を通っていても、そこで”神が約束して下さった、御言葉への信頼に立つ時、必ず勝利する”のです。
ですから”信仰は戦い”なのです…”神の御約束の言葉に信頼する戦い”です。ヨシュアは、「エリコを、あなたの手に渡している」という”神の言を聴いた時、ただ信じた”のでした。何故なら、”その前の晩、祈りの座で、主の軍の将軍を見たから”でした。
ヨシュアは、堅固なエリコの城壁を目の前にして必死に祈りを献げていたのでしょう。その時、ヨシュアの前に現れた”主の軍の将軍”は、”神の御使い”でした…この事は、”信仰の戦いは祈りの座の戦い”であると語っているのです。祈りの座で、神の御使いを見た経験が、ヨシュアの信仰を不動のものにしたのでした。
お話しを列王記に戻します…列王記で、預言者エリシャが、ドタンという山にいた時に、スリヤの軍隊に何重にも囲まれた事がありました。
エリシャの従者が血相を変えて、「先生、大変です。敵が私達の山を、何重にも取り囲んでいます」と報告に来たのです。その時、エリシャは神に向かって「神よ、この若者の目を開き給え」と祈ったのです。その祈りが聴かれ、”従者の霊の目が開かれますと、自分達を取り囲んでいるスリヤの軍隊よりも、もっと多くの天の御使いの大軍勢が彼等を取り囲んでいるのが見えた”のでした。(列王記下6:15〜16)
”祈りの座を築いているクリスチャンは、このヨシュアやエリヤのように、祈りは、現実の不安と神の言への信頼との戦い”である事を体験しています。”祈りの座は、神の御心を知ったり、御言葉のお約束を頂く体験をする座だから”です。
”約束の御言葉の無い信仰は頑張りであり、力みに過ぎないのです。信仰は、何はなくとも、聖書の約束のお言葉を神から頂く事から始まる”のです…それゆえ、祈りの御座は、「神様、あなたは御言葉で、こう約束して下さったではありませんか。」と、”御言葉の約束を盾にとって、神と直談判する座”なのです。
ヘブライ人への手紙11章30節を見ると、「信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回った後、崩れ落ちました」とあります…”新約聖書も、エリコの城は、信仰によって陥落したと証言している”のです。
神はヨシュアに、ヨシュア記6章3〜5節でこう言われました。「あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。
七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司達は角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなた達の耳に達したら、民は皆、鬨(かちどき)の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」と言われ、民はその通りにしたのでした。
民は毎日、従いつつ、城壁の周りを回りながら、皆、心の中で、「何故、こんな事を?」と思っていたに違いありません。しかし、”祈りの座で、「履き物を脱ぎ、徹底的に神の僕になるように命じられて、従っていたヨシュアの姿ゆえ、民は不安を超えて従う事が出来た”のでした。”そうして従いきった時、イスラエルの民は、主の勝利に預かり、エリコは陥落した”のです。
ヨシュア記6章で神は、「御言葉の約束に信頼して行いなさい」、「六日の間、町の周囲を一度まわらなければならない。ラッパを吹かなければならない。そうしなければならない〜〜」と、”13回も「ねばならない」と言われました。そして、14回、「そのようにした」とあるのです。また、”5回、「そうすれば出来る」”とも記してあります。
神は、イスラエルの民に、「黙って回りなさい。そして叫びなさい」と言われました。話をしたら不安を語りあって不信仰に陥ってしまうからです。民は13回の命令に、14回、黙って従ったのでした。そして、”「7日目だけ、特別に7回まわりなさいという命令」に従いきった時、鉄壁を誇るエリコの城がぐらぐらと崩れ始めた”のです。
これは、”音響による破壊”と言う説を聞いた事があります…エリコは最古の町と言われます。遺跡の上に幾重にも遺跡が重なっているそうです。土台がもろく、そんな土台の上に立っている城壁ですから、見えないひびがあったようです。そこに共鳴して崩れ落ちたのではないかと思います。
確かな事は分かりません。ただ大切な事は、”7と言うのは完全数ですから、7日間、1回ずつまわった。7日目には7回まわった…つまり、完全に従いきった時、主が戦って下さり勝利が訪れた”と言う事なのです。
”7日間、黙って民を見ておられた神は、「6日間よく従ったな。7日目には不平不満も言わず、よく7回もまわった。そして言われた通りに叫んだな…」と感無量な思いで見ておられたに違いありません。それゆえ、”神は、自らの手で戦って下さりエリコの城を陥落させられた”のでした。
”この勝利は、神の契約に対する真実さを語っている”のです。それは、”神は、常に私共の御言葉に従う歩みをご覧になっておられる”事です。
祈りの座において、神のお約束に対する信頼と、心の内にある不安と戦い抜き、御言葉に信頼し抜く者に対して、神は、今も、真実に立ち上がっ戦って下さり勝利を与えて下さる”のです。