敗北の原因
ヨシュア記7章14〜23節
7:14 明日の朝、あなたたちは部族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた部族は、氏族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた氏族は、家族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた家族の男子は、一人ずつ進み出なさい。
7:15 滅ぼし尽くすべきものを持つ者がこうして、指摘されたなら、その人は財産もろとも火で焼き尽くされねばならない。彼は主の契約を破り、イスラエルにおいては愚かなことをしたからである。」
7:16 翌朝、ヨシュアは早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させると、ユダ族が指摘を受けた。
7:17 ユダの諸氏族を進み出させると、ゼラの氏族が指摘を受けた。ゼラの氏族の男子を一人ずつ進み出させると、ザブディ家が指摘を受けた。
7:18 ザブディ家の男子を一人ずつ進み出させると、ユダ族のゼラ氏族に属するザブディ家のカルミの子アカンが指摘を受けた。
7:19 ヨシュアがアカンに、「わたしの子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主をほめたたえ、あなたが何をしたのか包み隠さずわたしに告げなさい」と言うと、
7:20 アカンはヨシュアに答えた。「わたしは、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました。わたしがしたことはこうです。
7:21 分捕り物の中に一枚の美しいシンアルの上着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ板があるのを見て、欲しくなって取りました。今それらは、わたしの天幕の地下に銀を下に敷いて埋めてあります。」
7:22 ヨシュアの出した使いたちがアカンの天幕に走って行って見ると、果たして彼の天幕の中に、銀を下に敷いて地下に埋めてあった。
7:23 彼らはそれを天幕から取り出して、ヨシュアとイスラエルのすべての人々のもとに運び、主の前にひろげた。
ロ−マの信徒への手紙2章4節
「あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導く事も知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」
敗北の原因
ヨシュア記7章14〜23節.
ロ−マの信徒への手紙2章4節. 2008.2/11
この朝は、先週に続いて、信仰の戦いについてヨシュア記7章から2回目の学びをして参ります。今、私共は、”信仰の戦いの歩みは連戦連勝である事”を学んでいます。しかし、現実には敗北をきしてしまう事があるのです。それは、”信仰の戦いに敗北したのではなくて、祈りの座から一歩退いた事に敗因があると学び”ました。
ですから、その”敗北の原因を究明し、祈りの座を築き直せば、私共の信仰の戦いは連戦連勝に戻る”のです。今朝は、”敗北の原因を究明する”事、次週は、”除き去る”事を学んで参ります。
ヨシュア記7章13節に、主はヨシュアに、「立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなた達の中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去る迄は敵に立ち向かう事はできない』と言われるからである」と言われたのです。
ここの「立ちなさい」「清めなさい」「除き去りなさい」と言う御言葉に従い、ヨシュアは、何を清め、除かなければならないのかを調べたのです。それが19節です「ヨシュアがアカンに、「私の子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主をほめたたえ、あなたが何をしたのか包み隠さず私に告げなさい」と言うと、アカンはヨシュアに答えた。
「私は、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました。私がした事はこうです。分捕り物の中に一枚の美しいシンアルの上着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ板があるのを見て、欲しくなって取りました。今それらは、私の天幕の地下に銀を下に敷いて埋めてあります。」
ここに、”敗北の原因があった”のです。アカンは罪を告白できずにいたのでした。旧約聖書時代、神の御心を知る為にクジをひきました。この時は、犯人を知る為にクジをひいたのです。そしてアカンがクジに当たったのでした。
本当なら、もっと前に、神の前に出て、罪を悔い改めるべきだったのです。けれどもアカンは、追い詰められて始めて泥を吐いたのでした。アカンは、神が罪を御存知である事を軽んじ、隠し通せると思ったのです。
私共の心の中にも、このアカンの罪があるのです…神は、「その罪を除き去る迄は祝福を与えない」と言われたのです…”聖霊に罪を示されても、悔い改めずに放っておきますと、自分自身だけでなく、自分が躰の一部とされている教会迄、神の祝福を受けられなくなる”のです。
ここで、”アカンの罪”を、もう一度整理します…それは、”頑なな心”です。問い詰められる迄、”悔い改めない心=自我”です。悔い改めれば、神に赦して頂けるのに面子が許さないのです。神がアカンに対して怒られた事は、戦利品を隠した事よりも、この”頑なな心=自我”だったのです。
そして、その”頑なな心”が罪を生んだのでした…21節「分捕り物の中に…金の延べ板があるのを見て、欲しくなって取りました。今それらは、私の天幕の地下に銀を下に敷いて埋めてあります。」
ここに、「見て、欲しくなって、取って隠した(埋めた)」とあります…これは、”頑なな心(自我)が生み出した実”なのです。”アダムとエバが堕落した時”、サタンの象徴である蛇から誘惑されたエバが、木の実を目に見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付けたので、「欲しくなって、取って、食べて隠れた」とありました。
”「見て」「欲しくなり」「取って隠れる」事から罪が誕生した”のです。新約聖書ヤコブの手紙の1章にも、「欲望が、はらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」と同じ事が書かれているのです。「見て、欲しくなって、隠す」…これが、”堕落の過程”なのです。”これがあると神は祝福(神の臨在=神が共にいる)を与える事が出来ない”のです。
にもかかわらず、”悔い改めて、祈りの座を築き直し、神の臨在を取り戻そうとしないのが自我”なのです。
この自我に心が支配されますと、”腹の中は、「見て、欲しくなって、取って、隠す」事ばかりになる”のです。自分が栄え、自分が良くなっていく為には、人がどうであろうと余り考えなくなるのです。しかし、”神は、そんな心を見ておられる事を忘れてはなりません。
人が自我を悲しみ、悔い改めて聖められ、心が透明になりますと、必ず私共の生涯は変わる”のです…「あの時、聖められなかったら、私の人生がどうなったかと考えると恐ろしい」と思える人生になるのです。
では、どうしたら、自我に勝利でき、自由になれるのでしょうか?…その罪の誘惑に打ち勝った御方がおりました。イエス・キリストです。
主イエスが公生涯に入られる前に、荒野で誘惑に遭われた時、40日間の断食中で空腹の中におられました。サタンは、主イエスを誘惑して、「石を変えてパンにして見ろ」と言ったのでした。
更にサタンは、幻をも見せ、「この世の栄華をあなたに与える」と言って、”救い主を、神の国の王から、世の王に引きずり下ろそうと誘惑した”のです。”もし、この時、主が誘惑に負けていたら、私共の魂の救いの道はなかった”のです。
主イエスとて、パンを食べたかったと思います。また、”世の王になる事は、十字架から解放される事、また権力を得る事、世の賞賛を得る事を意味していたので強烈な誘惑だった”に違いありません。
では、”どのようにして、主は、サタンの誘惑に勝利されたのでしょうか?…主イエスは、神の言をサタンに対して宣言された”のでした。”この勝利が十字架の道を開いた”のです。
同じ事が此処にもあるのです…神は、以前にヨシュア記6章18節で、「あなた達は、ただ滅ぼし尽くすべき物を欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべき物の一部でもかすめ取って、イスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ」と言われていたのです。
”神は、誰かが、その罪を犯すと予測しておられたから”でした…”人が自我を持っているから”です。 神は、人々が神の言をしっかり握り、誘惑に対して、神の言を宣言して勝利して欲しいと願っておられたのでした。
しかし、神が心配されておられた通り、その神の御言葉から離れてしまった人がいたのです。アカンが御言葉から離れて罪を犯してしまった”のでした。
ロ−マの信徒への手紙2章4節に「あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導く事も知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」とあります…”ですから、御言葉から引き離そうとするクリスチャンは、自我が、キリストと共に十字架に架けられて、聖められる経験を求める”のです。
既に”聖化を経験した者も、様々な弱さや失敗を通して、更に深い自我が残っていた事に気づいた毎に、聖化の成長を求め続ける”のです。けれども、”しばしば、その自我が生き返ってくる”のです。
原因は、”かつて聖めを経験した御言葉が、いつの間にか希薄になっている事にあります。祈りの座が崩れるとそうなる”のです。”御言葉を離れて信仰生涯を送る事は出来ないから”です。
御言葉を離れますと、調子が良い時は神に従っていますが、調子が悪くなって参りますと、途端に神から離れてしまうのです。そういう姿は、”信仰の戦いの歩みとは言えない”のです。
聖書学院の先生が、友人の牧師先生と、「彼は少し、魂で苦しむ経験をすれば伸びる人なんだがなあ」とはなされるそうです。”魂の苦しみを通る時、そこが祈りの座を築く学びの場”だからです。”挫折の中で、神の御前に出て悔い改め、御言葉の光を頂く時、魂の底の底まで照らし出されて、自分の姿に気づく事が出来る”からです。
ですから神が、そこに導かれるのです。それは、”私共が、神の愛の中に生き、連戦連勝の信仰に生きる為”なのです。