「 コラの呟き」
民数記16章1節〜17章11節
16:1 さて、レビの子ケハトの孫でイツハルの子であるコラは、ルベンの孫でエリアブの子であるダタンとアビラム、およびペレトの子であるオンと組み、
16:2 集会の召集者である共同体の指導者、二百五十名の名のあるイスラエルの人々を仲間に引き入れ、モーセに反逆した。 16:3 彼らは徒党を組み、モーセとアロンに逆らって言った。「あなた達は分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなた達は主の会衆の上に立とうとするのか。」
16:4 モーセはこれを聞くと、面を伏せた。 16:5 彼はコラとその仲間すべてに言った。「主は明日の朝、主に属する者、聖とされる者を示して、その人を御自身のもとに近づけられる。すなわち、主のお選びになる者を御自身のもとに近づけられる。 16:6 次のようにしなさい。コラとその仲間はすべて香炉を用意し、 16:7 それに炭火を入れ、香をたいて、明日、主の御前に出なさい。そのとき主のお選びになる者が聖なる者なのだ。レビの子らよ、分を越えているのはあなた達だ。」
16:8 モーセは更に、コラに言った。「レビの子らよ、聞きなさい。 16:9 イスラエルの神はあなた達をイスラエルの共同体から取り分けられた者として御自身のそばに置き、主の幕屋の仕事をし、共同体の前に立って彼らに仕えさせられる。あなた達はそれを不足とするのか。 16:10 主は、あなたとあなたの兄弟であるレビの子らを全て御自身のそばに近づけられたのだ。その上、あなた達は祭司職をも要求するのか。 16:11 そのた為に、あなたとあなたの仲間は全て、主に逆らって集結したのか。アロンを何と思って、彼に対して不平を言うのか。」
16:12 モーセは人をやって、エリアブの子であるダタンとアビラムを呼び寄せようとしたが、彼らは言った。「我々は行かない。 16:13 あなたは我々を乳と蜜の流れる土地から導き上って、この荒れ野で死なせるだけでは不足なのか。我々の上に君臨したいのか。 16:14 あなたは我々を乳と蜜の流れる土地に導き入れもせず、畑もぶどう畑も我々の嗣業としてくれない。あなたはこの人々の目をえぐり出すつもりなのか。我々は行かない。」
16:15 モーセは激しく憤って主に言った。「彼らの献げ物を顧みないでください。私は彼らから一頭のろばも取った事はなく、誰をも苦しめた事はありません。」 16:16 モーセはコラに言った。「明日、あなたとあなたの仲間すべて、即ち、あなたも彼らも、アロンと共に主の御前に出なさい。 16:17 あなた達は、おのおの香炉を取り、それに香を載せ、主の御前に持って来なさい。おのおの一つずつ、二百五十の香炉を持ち、あなたもアロンもそれぞれ自分の香炉を持って来なさい。」 16:18 彼らはおのおの香炉を取り、それに炭火を入れ、香を載せ、モーセとアロンと共に臨在の幕屋の入り口に立った。
16:19 コラは共同体全体を集め、臨在の幕屋の入り口でモーセとアロンに相対した。主の栄光はそのとき、共同体全体に現れた。 16:20 主はモーセとアロンに仰せになった。 16:21 「この共同体と分かれて立ちなさい。私は直ちに彼らを滅ぼす。」 16:22 彼らはひれ伏して言った。「神よ、全て肉なるものに霊を与えられる神よ。あなたは、一人が罪を犯すと、共同体全体に怒りを下されるのですか。」 16:23 主はモーセに仰せになった。 16:24 「コラ、ダタン、アビラムの住まいの周りから離れるよう、共同体に告げなさい。」 16:25 モーセは立ち上がり、ダタンとアビラムの所に向かった。イスラエルの長老達もついて行った。 16:26 彼は共同体に言った。「この神に逆らう者どもの天幕から離れなさい。彼らの持ち物には一切触れてはならない。さもないと、彼らの罪の為に、あなた達は滅びる。」
16:27 彼らはコラ、ダタン、アビラムの住まいから離れた。ダタンとアビラムは、妻子、幼児と一緒に出て来て、天幕の入り口に立った。 16:28 モーセは言った。「主が私を遣わして、これら全ての事をさせられたので、私が自分勝手にしたのではない。それは次の事で分かるであろう。 16:29 もしこの者たちが人の普通の死に方で死に、人の普通の運命に会うならば、主が私を遣わされたのではない。 16:30 だが、もし主が新しい事を創始されて、大地が口を開き、彼らと彼らに属するもの全てを呑み込み、彼らが生きたまま陰府に落ちるならば、この者たちが主をないがしろにした事をあなた達は知るであろう。」 16:31 こう語り終えるやいなや、彼らの足もとの大地が裂けた。 16:32 地は口を開き、彼らとコラの仲間達、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。 16:33 彼らと彼らに属するものは全て、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。彼らはこうして、会衆の間から滅び去った。 16:34 彼らの周りにいた全イスラエルは、彼らの叫び声を聞いて、大地に呑み込まれることのないようにと言って逃げた。 16:35 また火が主のもとから出て、香をささげた二百五十人を焼き尽くした。
[ 17章 ]
◆香炉
17:1 主はモーセに仰せになった。 17:2 「祭司アロンの子エルアザルに告げ、焼け跡から香炉を取り出し、炭火は遠くにまき散らすように言いなさい。香炉は既に聖なるものとなっている。 17:3 命を落とした罪人達の香炉を打ち延ばして板金にし、祭壇の覆いを作りなさい。それらは、主の御前にささげられ、聖なるものとされているからである。これは、イスラエルの人々に対する警告の徴となるであろう。」
17:4 祭司エルアザルは、焼き殺された人々が献げた青銅の香炉を集め、打ち延ばして板金にし祭壇の覆いを作った。 17:5 これは、アロンの子孫以外の者が主の御前に近づき、香を献げてはならない事をイスラエルの人々に思い起こさせる為であり、コラとその仲間のようにならない為であった。それは、モーセを通してエルアザルに語られた主の言葉どおり作られた。
◆アロン、民を救う
17:6 その翌日、イスラエルの人々の共同体全体は、モーセとアロンに逆らって、「あなた達は主の民を殺してしまったではないか」と不平を言った。 17:7 彼らがモーセとアロンに逆らって集結し、臨在の幕屋の方を向くと、見よ、雲がそれを覆い、主の栄光が現れていた。 17:8 モーセとアロンが臨在の幕屋の前に進み出ると、 17:9 主はモーセに仰せになった。
17:10 「この共同体から離れなさい。私は直ちに彼らを滅ぼす。」二人はひれ伏した。 17:11 モーセはアロンに言った。「香炉を取り、それに祭壇の火を入れ、香を載せ、急いで共同体のもとに行って、彼らの為に罪を贖う儀式を行いなさい。主の御前から怒りが出て、もう疫病が始まっている。」
Tテサロニケ5:12〜13
兄弟達、あなたがたにお願いします。あなた方の間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。
ecutive
Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible
Society,Tokyo,1987,1988,1995
「 コラの呟き」
民数記16章1〜17章11節、<中心聖句:Tテサロニケ5:12〜13>,2007.年 9/9
コラ達の反乱
”不信仰の代償としての40年の荒野の旅”が始まりました。そして、早速、事件が起きたのです。また、”モーセとアロンヘの反逆が起きた”のでした。今回は、”レビ族のコラと、ルベン族のダタンとアビラムとオンの4人”が、”イスラエルの共同体の指導者250人を仲間に引き入れての反逆”でした。
その内容は、「モーセとアロンが、分を越えて人々の上に立とうとしている…全ての民は平等で聖なる者であり、主なる神だけが、その上におられるべきなのに、何故、モーセとアロンが、上に立とうとしするのか」と言うものでした。
この批判を聞いたモーセは、がっかりし、ひれ伏して神に問いました。そして神から、その批判が筋違いである事を確認したモーセは、その反逆が、”コラとその仲間達と、ダタンとアビラムという二つのグループが一つになった反逆であると突き止めた”のでした。
モーセは、先ずコラとその仲間達に言いました…「主なる神は、明日の朝、主が選ばれた聖なる者が誰かを示される。その事を明らかにする為、次のようにしなさい…香を載せた香炉(火皿)に火を入れた薫香を盛って主の前に出なさい」。
次にモーセは、コラに語りました。「あなたは主なる神により、神に仕える為、聖別されたレビ人として、十分に神に選ばれているではないか?」と…。モーセは、”コラの批判の本音は、自分が祭司として選ばれない事による妬み”だと見抜いていたのでした。
聖書は、このコラを「レビの子コハテの子なるイツハルの子」と紹介しています。イツハルは、モーセとアロンの叔父でした。つまり”コラは、モーセとアロンの従弟”だったのです。かつて、”モーセの兄アロンと、姉のミリアムが、モーセに対する妬みから反逆した”ように、再び、”妬みによる身内の反逆が起きた”のでした。
”レビ人”は、かつて”アロンと民が金の子牛を拝んだ時、その罪に加担せず、主に身を献げて民の粛正に当たった部族”でしたので、”その事件の張本人だったアロンに対して批判的であった事”は事は分かる気がします…しかし、やがて、”ダタンとアビラムによる批判”は、”アロンからモーセへと向けられて行った”のでした。
「モーセは、カナンの地を、乳と蜜の流れる地と呼び、エジプトから私達を導き出した。そうして荒野で私達を殺すだけでは不足なのか?更に、私達の上に君臨して目をえぐりだしたいのか?」と言うものでした…嫉妬が根底にある感情的な言葉である事が分かります。
さすがの”モーセも、この言葉に激怒した”のです…そこでモーセは、コラに言いました。「あなたも、あなたの仲間も、明日、薫香を載せた香炉をもって、アロンと共に、神の臨在の御前に出なさい」と…。こうして、”香を盛った香炉(火皿)の数は、コラの仲間(イスラエルの共同体の指導者)の数250と、それにアロンとコラの分2つが加わって252”となりました。
”翌日、252人は、神の臨在の幕屋の入口に立った”のでした。この時、”主が何もなされなかったなら、モーセとアロンに与えられている主の選びを否定する事が出来た”からです…ですから、これは、”モーセとアロンに対する全面対決だった”のです。
その時、”主の栄光が全会衆の前に現れた”のでした…そして、”主はモーセとアロンに「全会衆を直ちに滅ぼす」と告げられた”のです…それを聴いた、”モーセとアロンは、再び、主なる神の御前にひれ伏して、「一人の罪で、共同体全体を滅ぼすのは惨すぎます」と訴えた”のでした。そこで主は、また心を変えられ、「民はコラとダタンとアビラムの天幕の周囲から離れるように」と命じられたのでした。
こうして、”神の臨在の幕屋の入り口に、家族と共に立っていたダタンとアビラムの家族と、コラと彼に属する人々だけが裂けた地に飲み込まれた”のでした…大地震が連想できる情景です。
また”神の臨在の幕屋の入口で香を供えていた、250人の反逆者達は、主から出た火で焼かれた”のでした…”まだ十字架が無かった時代、罪の罰は償わなければならなかったから”でした。ですから、”十字架による、一方的で無条件な赦しがありませんと、神は厳しい御方と見えてしまう”のです。
”クリスチャンは、十字架によって日々罪赦されている罪人です…ですから、クリスチャンと言えども、聖霊に示されている罪を、十字架の御前で悔い改めませんと、何時の日か、このような神の審きに遭う”のです。
しかし、”民の反乱はこれで終わらなかった”のでした…翌日彼らは、「モーセとアロンが主の民を殺した」と言って非難したのでした…”そんな民に対して、主は栄光の内に再び現れ、民に罰を宣告された”のでした。”三度目の正直”と言う言葉がありますが、今回だけは、”モーセとアロンに執り成す時間がなかった”のでした…”主の怒りは既に降っており疫病が広まっていた”のです。
モーセは、アロンに、「祭壇の火を香炉に入れて香を盛り、民の所に持って行き、罪を贖いなさい」と命じました…その、”アロンによる民の罪の贖いは、アロンの祭司職を不動のものにした”のでした。
芽吹いたアロンの杖
この”アロンの選び”を、”イスラエルの共同体の前で明らかにする為”に、主なる神は、モーセに、「各部族から一本ずつ杖を集めて、代表者の名を記し、神の臨在の幕屋内の「あかしの箱」の前に置きなさい」とお命じになられました。すると不思議な事が起ったのです…”翌日、その芽から花が咲き、アーモンドの実を結だ”のでした。
これは”アロンの杖に命が宿る事、つまり生ける主の臨在が、アロンと共にある徴”でした…”芽吹いたアロンの杖は、主の選びの「徴」となった”のでした。”神ご自身がアロンの祭司職に対する民の批判を払拭された”のでした…この”出来事は、人は審きを主に委ねるべき事、主が人に代わって審かれる事を示している”のです…”人がすべき事は、相手の為に祈り、個人的に愛をもって罪を諭す”事なのです。
Tテサロニケ5章12〜13節に「兄弟達、あなた方にお願いします。あなた方の間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい」とあります。ここに「主に結ばれた者」とあるのは、牧師の事です。
民数記の16章4節で、主がモーセとアロンに対して言われた「主に属する者」と同じ言葉です…かつて、”サウロ王が堕落して、神の臨在を失った時、主の臨在に溢れるダビデを妬み、王座を奪われると思い込み、ダビデの命を狙い続けた事”がありました…しかし、”絶体絶命だったダビデに、大逆転のチャンスが訪れ”ました。”サウロ王の命を奪えるチャンスが到来した”のです。
しかし、その時ダビデは、「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ、殺害する事は出来ない。」と言って、”サウロ王に手をかけなかった”のでした。”神は、ダビデの、この信仰を祝福され”て、やがて”王として油注ぎを与えられた”のでした。”
私共クリスチャンも、主に油注がれた者同士です。勿論、牧師もそうです。お互いに、その働きを重んじあい、愛しあい、許し合い、受け入れ合って行く時、私共も聖霊の満たしという祝福に預かって行く”のです。