「殺してはならない」…十戒:第六戒…

出エジプト記20章13節
 「 殺してはならない。」

Tヨハネ3章15節
 「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っている通り、全て人殺し  には永遠の命が留まっていません」

ローマ12章18〜21節
 「できれば、せめてあなたがたは、全ての人と平和に暮らしなさい。愛する人 達、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のする事、私が報復 する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べ させ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積む事にな る。」悪に負ける事なく、善をもって悪に勝ちなさい」
 
ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


「殺してはならない」十戒:第六戒

             出エジプト記20章13節.2007.7/8

 今朝は、十戒の第六戒の「殺してはならない」を学んで参ります。先日、久間防衛大臣が辞任しました。広島、長崎に落とされた原爆を、「あれで戦争が終わったのだからしょうがない」と言った責任をとってのものでした。

 朝日新聞の天声人語を引用します。「…本人は「説明の仕方がまずかった」と謝り…問題は言い回しではなかろう。人類史に残る無差別大量殺害を、物わかりよろしく「整理」できる神経が問われている。
 米国は、2発の原爆が日本の降伏を早め、多数の命を救ったと正当化した。久間氏も、だから「北海道はソ連に占領されずにすんだ」とみる。もっともらしい解説には用心したい。乾いた戦略論にとらわれすぎると、きのこ雲の下に思いが至らないからだ。

 自らも被爆しながら長崎で救護を続けた永井隆医師は、自宅の焼け跡で、溶けたロザリオが絡まる緑(みどり)夫人の骨を見つける。享年37。

まだ温(ぬく)いのをバケツに拾い歩いた。「私の腕の中で妻がかさかさと燐酸(りんさん)石灰の音を立てていた。私はそれを『御免(ごめん)ネ、御免ネ』と言ってるのだと聞いた」(『ロザリオの鎖』)。

 核兵器は、勝手に天空から降っては来ない。造る者と使う者と、それを命じる者が必ずいる。ならば止める者になろうではないか。」

 ”聖書も殺人は罪”と言い切るのです。「しょうがない殺人はない」のです。この第六戒から第十戒迄は、「〜してはならない」と言う禁止が続きます。禁止の戒めは、どうしても窮屈に感じます。それでも、”神が敢えて、「〜してはならない」と禁じられたのは、人間は放って置いたら、悪い方に流れるから”なのです。

 所で、何故、人は悪い事をしたらいけないのでしょうか?

 その答えが、Tコリント15章32〜34節なのです。「…もし死人がよみがえらないのなら、「私達は飲み食いしようではないか。明日もわからぬ命なのだ」。間違ってはいけない。「悪い交わりは、良い習わしを損なう」。目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなた方の内には、神について無知な人々がいる」

ここにある、「神に対して無知な人」とあります。それは、”「神は生きておられる。人は死んだら、その神の審きを受ける」という厳かな事実を知らない人”の事なのです。

 また、”「もし死人がよみがえらないのなら」とありますが、「神がキリストを死から復活させられた事」が、死人が甦る証拠であり、神が生きておられる証拠”なのです。”人は神について無知になる(審き主なる神を忘れる)と、罪に歯止めが効かなくなる”のです。だからこそ、”主イエスの十字架と復活を信じて、生きておられる神を畏れて生きる事が大切”なのです。 

 さて、この”第六戒で「殺してはならない」と命じる、「殺人」という罪は、最も重い罪”ですから、殆どの人には無縁な罪にも思えます。しかしそうではないようです。

 Tヨハネ3章15節に「兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っている通り、全て人殺しには永遠の命が留まっていません」とあるからです。

 ここに、「兄弟を憎む者」とありますが、「兄弟」という言葉から、また、「永遠の命が留まっていません」という言葉から、「かつて永遠の命を受けた者」…”教会内の交わり”だと分かります…”かつて救いに預かった者でも、永遠の命から墜ちる者がいる”と言うのです。

 聖書の言う「殺人」には、”誰かの存在を否定する意味もあると言う”のです。「あんな人なんかいない方が良い」と心の中で思う思いをも、”神は殺人”と言われるのです。すると、”誰一人、人殺しに無関係な人はいなくなる”のです。

 私共は、礼拝で「殺してはならない」と十戒を唱えています。その同じ礼拝の中で、「主の祈り」をも祈っています。「我らに罪を犯す者を我らがゆるす如く、我らの罪をも許し給え」…この”主の祈り”を祈る時、”聖霊に、「あなたは隣人の罪を本当にゆるしているか?」と問われた経験”がある方もおられると思います。

同じように”聖霊は十戒を通して、「あなたにも、人を殺す罪があるのではないか?」と問うている”のです。

 おそらく”殺人”と聴かれると、創世記4章の”最初の人間アダムとエバの子供であるカインが弟アベルを殺した物語”が、頭をかすめるのではないでしょうか?…世界初の”殺人の原因は「嫉妬」”でした

 ”神がアベルの献げ物だけに目を留められたから”でした。おそらく”アベルの献げ物には、献身が伴う痛みがあったから”と思われます。その事で兄カインが、弟アベルに”嫉妬し、それがやがて殺意になり殺人に至った”のでした。

 余談ですが”人類は、皆、カインの子孫ですので、全人類は人殺しの末裔となる”のです。

 ”聖書は殺人の動機として、第一に「嫉妬」、第二に「復讐」”をあげているのです。旧約聖書の出エジプト21章や、レビ記24章に「目には目を歯には歯を」とあるからです…”人には誰かにひどい目に遭いますと倍にして返さないと気が済まない心がある”からです。だから「被害を受けたと対等の仕返しに留めなさい」と言ったのです。”十字架が無い旧約聖書の教えの限界”です。

 しかし、”復讐(憎しみ)の連鎖は殺人に至る恐ろしいもの”なのです。現にイスラエルとパレスチナ間の復讐の連鎖は,4100年も続いているのです。

 新約聖書になりますと、”十字架によって神が罪を赦す道が開かれた”ので、”新約聖書では「あなたは神に赦されたのだから、あなたも7度を70倍する迄許しなさい」となった”のです。

 ローマ12章18〜21節に「できれば、せめてあなたがたは、全ての人と平和に暮らしなさい。愛する人達、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のする事、私が報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積む事になる。」悪に負ける事なく、善をもって悪に勝ちなさい」とあります。

 ”誰もが平和を願っている筈”です。なのに、悪を受けると、途端に、自分が十字架で赦された事を忘れ、”復讐心を捨てる事が出来なくなる”のです。反対に、”正義の戦いをしていると勘違いして復讐してしまう”のです。しばしば”戦争を聖戦と言う”のを聞きますが、これも”自分が神の代わりに戦うとの思いから出た言葉”です。

 ”人は自力で悪を正そうと思っている時、時代劇のように、「天に代わって成敗する」気持ちになっている”のです。しかし、その”天(神)に代わるという思いが怖い”のです。”赦された罪人の一人に過ぎない者が、神に代る事など出来ない”からです。

 ”神は、人が平和に過ごす秘訣をここで教えて下さいました。それは、「自分で復讐しない事」”です。”復讐は、罪を審く事が出来る唯一人のお方である神に任せ、あなたは敵を許しなさい。愛しなさい”と言うのです。

 こうして学んで参りますと、”第六戒の「殺してはならない」は、自分にも問うている戒め”だと気づきます。”殺人に至る、妬みと復讐心の罪が、相手の存在を否定する(心の中の殺人)の罪”が、自分の内にもある事に気づくから”です。

”人間の歴史は、「殺してはならない」という神の御心に背いた歴史”でした。ですから、”神に愛され十字架で赦され救われた者には、嫉妬の罪から、復讐の罪から、殺人の罪から、断ち切られるよう、聖化を祈り求める使命が与えられている”のです。”そして、それこそが、嫉妬と復讐と人殺しの罪を続ける、この世に赦しの世界が開かれている事を証し訴える事になる”のです。