「全てを支配されたもう神」
出エジプト7章1節〜10章29節
7:1 主はモーセに言われた。「見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
7:2 わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう。
7:3 しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、
7:4 ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。
7:5 わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
7:6 モーセとアロンは、主が命じられたとおりに行った。
7:7 ファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。
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10:27 しかし、主がまたファラオの心をかたくなにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった。
10:28 ファラオが、「引き下がれ。二度とわたしの前に姿を見せないよう気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない」と言うと、
10:29 モーセは答えた。「よくぞ仰せになりました。二度とお会いしようとは思いません。」
詩篇103篇19節
主は天に御座を固く据え/主権をもってすべてを統治される。
ecutive
Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible
Society,Tokyo,1987,1988,1995
全てを支配されたもう神
出エジプト7:1〜10:29、詩篇103:19. 2007、2/28
出エジプトの出来事は、一見、モーセとファラオとの戦いに見えますが、聖書の神とエジプトの神々との戦いの記録でもあるのです。主イエスは、モーセとアロンを召し出された理由を語られました。
7章1〜6節を要約しますと「神の化身のように振る舞うファラオに対して、神なる私は、モーセ、あなたを神の代理者として立てた。そして、「ヘブライ人をエジプトから去らせよ」と命じさせる。しかしファラオは心を頑なにする。神であるは自らの手を伸ばし、ファラオを10の災いをもって審き、それを見たヘブライ人達は、私が生ける神である事を知るようになる」と言われたのです。モーセが80才の時の事でした。
この時、”神が10の災いに用いられた物は、皆、当時エジプト人が神々として拝んでいたもの”でした…ヤーウェの神が、それらを用いて災いを下す事によって、ヤ−ウェの神こそが、自然を造り支配している神であるというメッセージだったのです。
今から”10の災い”に目を向けて参ります…これは”10の奇跡”とも言われます。奇跡というのは必ずしも超自然現象を指すのでなく、”神が自然に起こる事を用いて、その時に起される所にある”のです。此処では、10の出来事を神がこの時に集中して起こされた所に奇跡があるのです。
第一の奇跡…神は最初に、”アロンが、杖を投げると杖が蛇に変わる奇跡”をさせられました。しかし、そんな出来事ではファラオの心は神に向かなかったのです。
第二の災い…世界三大河川の一つ、”ナイル川の水を血に変えた災い”です…エジプトでは、”ナイル川は神”でした。ナイル川を拝む為、川に降ったファラオの前で、アロンが杖で水を打つと、ナイル川の水が血に変わったのです。
昔から10の災いについては、沢山の説明がされて参りました。どれが正しいかは分かりません。昨年の10月にNHK教育TVの「地球ドラマチック」という番組でカナダで制作した出エジプトの番組を放映しておりました。とても良くできたもので、皆さんにもお見せしようと録画しておりましたが、間違って消去してしまいましたので、記憶に残る範囲で、その最新の説をご紹介します。
それは、”地中海にあるサントリーニ島の噴火”で地殻変動が起き、地殻から吹き出たガスが、ナイル川の水と化学反応を起こして赤く染まったというものでした。この噴火の規模は、ギリシャのミノス文明を崩壊させた程のものでした。また、この噴煙は地球を1周したらしく、南極の氷の層にも、その痕跡があるそうです。
第三の災い…”蛙の災い”でした。ナイル川の水の変化の影響で蛙が異常発生し、宮殿もかまども、ベットの中まで蛙だらけになったのです。この”蛙も、繁殖力の強さから、出産を助ける女神”とされていたのでした。
第四の災いは、”ぶよ”と”あぶ”の群に襲われる災いでした。エジプト全土があぶに覆われた時、ファラオは初めて折れて妥協案を言ったのです。それは「礼拝をするのは許そう。だが何もわざわざ荒野迄出かけて行く事はないではないか?」と言う妥協案でした。
それは偶像から余り離れるなという誘惑ともとれます…”クリスチャンになっても、ならなくても同じ生活、燃えもせず消えもしない信仰、信仰ゆえの戦いもない、苦しみもない習慣のような信仰生活に留ればいいではないか?”ともとれるのです。
信仰にとって大きな危機は”妥協”です。確かにノン・クリスチャンの社会での配慮は必要です…しかし、”配慮と妥協”は違います…パウロもロ−マ12:2で「この世と妥協してはならない」と言いました。「エジプトを出る」と言う事は、決してモ−セの考えではなく、神のご命令だったので、モーセは、「それは出来ません」とファラオに答えたのでした。
第五の災い…”疫病の災い”でした…神の業を体験し続ける内、「私は口べたです」といつも兄アロンの陰に隠れていたモ−セは、自ら宮殿に出かけ、ファラオに向かって「家畜が疫病にかからない為に、民の開放を促す様に」と神のご命令を告げる迄に成っていたのです…しかし、ファラオは心を閉ざしたまま、エジプトの家畜が尽く死ぬ結果へとなったのでした。
第六の災い…膿の出る腫れ物の災い”でした…この災いは、エジプトの神々に仕える祭司達を、ヘブライ人の神に降参させる事になりました。
第七の災いは”稲妻が伴った雹の災い”でした…先ほどから紹介しているサントリーニ島の噴火説によりますと、立ち込めた噴煙によって、稲妻と雹が降った事が説明できるそうです。
この災いを通しファラオは、モ−セとアロンを呼び出し、「今度ばかりは私が間違っていた。正しいのは主であり、悪いのは私と私の民である。主に祈願してくれ。恐ろしい雷と雹はもうたくさんだ。あなた達を去らせよう。これ以上ここに留まる事はない」と”初めて罪の告白をした”のでした。しかし、神がこの災いが止められた時、再びファラオの心は頑なになったのでした。
第八の災い…”いなごの災い”でした…この災いは小さな物を用いて大きな神の力を示される神の偉大さを物語っているのです。モ−セの語調は、だんだん厳しく成っていました。ファラオが悔い改めの約束を翻すからでした。
何時しか両者の関係は一変していました。もはや、ファラオはヤ−ウェの神を認めないわけにはいきませんでした。にも拘わらず更に頑なに成ったのです…此処でモ−セは、語調を変え、”ファラオの罪を断罪した”のでした…10:3「ヘブライ人の神、主はこう言われた。『いつまで、あなたは私の前に身を低くするのを拒むのか。私の民を去らせ、私に仕えさせなさい」と…。しかしファラオは、またもや頑なになり拒んだのでした。
第九の災い…”闇の災い”でした…神はファラオに対し、”闇の災い”を降しました。”エジプトでは太陽を神としていたから”です。この災いで、国の活動は麻痺し、神殿でも偶像礼拝が出来なく成ったのです。ついにファラオは、10:28「私の所から去りなさい、心して私の顔を2度と見てはならない。私の顔を見る日には、あなたの命はないであろう」と言ったのです。
モ−セは神の代理者に相応しく威厳を込めて言い返しました。29節「結構です。私は2度とあなたの顔を見ません」と…。しかし、”ファラオの心はまたも頑なになり、ヘブライ人をエジプトの地から去らせなかった”のでした。
最後の第十番目の災い…”初子が死ぬ災い”でした…またも本意を翻したファラオに対し、”神はモ−セを通して最後の宣告をするに至った”のでした。11:4〜8「真夜中頃、私はエジプトの中を進む。その時、エジプトの国中の初子は皆、死ぬ」…あなたの家臣達は皆、私の所に来て伏し拝み「あなたとあなたに従う民は、皆、出て行って下さい」と言うでしょう…。」
この奇跡を、先ほどの番組では、次のように説明していました。「当時、エジプトでは長男は特別な存在で、長男だけ低い一人用のベッドに寝かされていた。それゆえ噴火で地表に吹き出し、地面の低い所に漂った二酸化炭素で窒息死したのではないか?その日、エジプトの家庭はテーブルを囲んで過越の祭りの食事をしていたので被害に遭わずに済んだ」…思わず唸る説でした。
最後に、詩篇103篇19節をお読みします。「主は天に御座を固く据え、主権をもって全てを統治される」とあります…”私共が信じている神は、全てを統べ治められている神”なのです。この”十の災い(奇跡)を通して、私共が知るべき事”があります。それは、”心が揺れる出来事の中で、「主は、この事をも支配しておられる」と信じて、主の御前に座して祈る事”です…そう信ずる時、”神は道を開いて私共を、そこから救い出して下さる”からです。