「契約に真実な主」
出エジプト5章1節〜6章13節
5:1 その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」 5:2 ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。 5:3 二人は言った。「ヘブライ人の神が私達に出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、私達の神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう。」 5:4 エジプト王は彼らに命じた。「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前達も自分の労働に戻るがよい。」 5:5 ファラオは更に、言った。「この国にいる者の数が増えているのに、お前達は彼らに労働をやめさせようとするのか。」
5:6 ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。 5:7 「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。 5:8 しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。 5:9 この者達は、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せる事はなくなるだろう。」 5:10 民を追い使う者と下役の者は出て行き、民に向かって、「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。 5:11 お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」と言ったので、 5:12 民はエジプト中に散ってわらの切り株まで集めた。 5:13 追い使う者たちは、「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」と言って、せきたてた。
5:14 ファラオに任命された追い使う者たちは、監督として置いたイスラエルの人々の下役の者らに、「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、彼らを打ったので、 5:15 イスラエルの人々の下役の者らはファラオのもとに行って、訴えた。「どうしてあなたは僕たちにこのようにされるのですか。 5:16 僕らにはわらが与えられません。それでも、れんがを作れと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの民の方です。」 5:17 彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。 5:18 すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ。」 5:19 イスラエルの人々の下役の者たちは、「れんがの一日の割り当ては減らすな」と命じられて、自分たちが苦境に立たされたことを悟った。 5:20 彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。 5:21 彼らは二人に抗議した。「どうか、主があなた達に現れてお裁きになるように。あなた達お陰で、我々はファラオとその家来達に嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」5:22 モーセは主のもとに帰って、訴えた。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。私を遣わされたのは、一体なぜですか。5:23 私があなたの御名によって語る為、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」
[ 6 ]
6:1 主はモーセに言われた。「今や、あなたは、私がファラオにすることを見るであろう。私の強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。私の強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」
6:2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。 6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。 6:4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。 6:5 わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。 6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。 6:7 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。 6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」 6:9 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。 6:10 主はモーセに仰せになった。 6:11 「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」 6:12 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」 6:13 主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。
【中心聖句】出エジプト6章6節
6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。私は主である。私はエジプトの重労働の下からあなた達を導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなた達を贖う。
ecutive
Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible
Society,Tokyo,1987,1988,1995
契約に真実な主
出エジプト5:1〜6:13、 6:6、2007年, 1/21
モーセは40年ぶりにエジプトに戻って参りました。そして、義兄弟として育ったファラオのもとに行き、神から預かった「私の民を去らせよ」と言うメッセージを伝えたのです。それは、「民を荒れ野に導いて神の為の祭り(礼拝)をさせよ」というものでした。
その時、ファラオは、モーセの予想通りに反発して「主とは一体何者か?私は主を知らない」と言ったのです。モーセとアロンは、そんなファラオに食い下がって神の言を説明し説得したのでした。
しかし、ファラオには、そんな二人の言葉は、民の労役を中止させようとする言葉にしか聞こえなかったのでした。怒ったファラオは、モーセとアロンにも民と労役に就くように命じ、更に厳しい労役を民に課したのでした…レンガ作りに必要な藁の供給を止めさせ、尚かつ、「作るレンガの量は減らすな」と現場監督に命じたのです。そこで民は、藁を刈った後の株を集めて何とかしてレンガを作るようになりました。それは命を削る様な過酷な労働でした。
余りの過酷さに耐えかねた民は、「労役を軽くして欲しい」とファラオに直訴しました。その時ファラオは、「お前達は怠け者だ。だから、主に犠牲を献げに行かせて下さい等と言うのだ」とモーセとアロンの言葉を引用して民を罵倒したのです…こうして民は、”自分達が、モーセとアロンのゆえに苦境に立たされている事を悟った”のでした。
彼らは、モーセとアロンに詰め寄り、「あなた達のせいで、我々はファラオに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」と抗議したのでした…この言葉にこたえたモーセは、神に向かって無念な思いを吐き出しました。「主よ。あなたは何故、この民に災いを降されるのですか。私を遣わされたのは、一体なぜですか?」と…。主は、そんなモーセの不信仰を叱らず、「今や、あなたは、私がファラオにする事を見るであろう」と言われたのでした。
今朝は此処にある「あなた」「今」「私が…する事を見る」と言われる言葉から、”契約に真実な主”について学んで参ります。
ここにある「あなた」は、ある英語訳では「その時、あなたは…」となっております。「神が、働かれるのは、その時だ」というのです。では、どんな時かと申しますと、”人の力が最も弱い時”なのです。
私共は、嫌な事が起きた時、「あれが原因だ」「誰が悪い」と考えます。しかし、”神は、喜ばしくない出来事で弱った私共に、自分の姿を教えて下さり、悔い改めに促され、そして救って下さる”のです…こうして、”人は神の栄光を現わす者と変えられる”のです。
辛い出来事の中、全てを「〜のせい」とばかりする人は、教会から去って行きやすい人と言う事が出来ます。主イエスはニコデモに、「人は新しく生まれなければ神の国を見る事は出来ない」と言われました。”悔い改めを信仰の土台に持たない人は、神と共に生き続ける事が出来ないから”です。
”神の御前に座し、悔い改める事こそ、神の御臨在の中を歩む道であり、神の救いに預かる道だから”です。ですから、”悔い改めを知らない信仰者は、信仰の命を失っていく”のです。そして、その結果として教会から去って行きやすくなるのです。
その事を学ぶ為、ヘブライ人達は、”自分の限界を超えた試練を通過する必要があった”のでした。ヘブライ人は、少なくとも4世代に渡りエジプトに定住していました。”そんな民が、生活の基盤を捨て、何の保証も無い荒野に旅立つ事は、途方もない冒険だったのです…ファラオの露骨な虐めに遭わなければ、出エジプトで失う物ばかりに目をとられていたに違いなかった”のです。ですから、”ヘブライ人は弱り切って、神に救いを呼び求めるようになる必要があった”のでした。
そんな時、主はモーセに言われたのです…「今や、あなたは、私がファラオにする事を見るであろう。私の強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。私の強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる」と…。ここで”神は、私の(神の)強い手によって救い出す”と約束されたのです。
この「する事を見るであろう」の「する」という言葉には、ヘブル語の「アーサー」…「する。強いる。仕事」が使われています…”ファラオは、王の権威をもって、イスラエル人達に「仕事」を強い”ましたが、”神は、同じ「アーサー」を使われて、「私は、ファラオより、更に強い神の手をもって、ファラオに強いる」”と言われたのでした。こうして”神は、ご自身こそがファラオより上の、王の王=真の王である”と言われたのでした。
ユダヤ人の社会では、”名は、その人の本質を現します”。2節で「主と言う名を知らせる」と言われた神は、続く6節と、8節で、”「私は主である」と、二度、名をなのられた”のでした。
しかも、その「私は主である」という2つの宣言の間に、「私はエジプトの重労働の下からあなた達を導き出し、奴隷の身分から救い出す…そして、私はあなた達を私の民とし、私はあなた達の神となる…私は主である」と、”救いの契約を実行される約束をされた”のでした。
この時、”神はご自身の事を初めて、主(ヤーウェ)”と言われたのです…6:2−3「神はモーセに仰せになった。「私は主である。私は、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主という私の名を知らせなかった」。それ迄神は、「エル・シャダイ=全能の神」としか言われていなかったのです。”ヤーウェ(主)と名のられたのは、「私こそ契約の主(ぬし)である」という事なのです。
”神は、全能の神というだけでなく、アブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約の主(ぬし)として、その全能の力をもって民を救い出すお方”なのです。
今、私共は、”十字架によって、あなたの罪を赦し救う、そして、あなたを神の子供として、あなたと共に生きる。更に、天国にまで導く”という、”十字架による救いの契約の中に置かれています…主の十字架による救いという契約を体験している”のです。
”人は十字架による救いの経験によって、主イエスこそ、契約の主と知る”のです。ですから、ここでも”神は、ヘブライ人を出エジプトさせて救われる事を、労役から導き出し、奴隷から救い、贖うという、やがて建てられる十字架の救いを暗示する三つの動詞で語られた”のでした。
「私は、あなたの主となる」…これは、”契約の主として、神が救い出して下さるという宣言”でした。アウシュビッツで生き残った多くの人々は、極限状況下で、夕日に感動し、泥水に移った景色に名画を思い出し、心の緊張を緩める事が出来た人々だそうです…私共は、今、”主イエスの「私は契約の主である…私は必ずそれをする」と言う主の救いの契約の中に生かされている”のです…それは、”夕日の感動の比でない遥かに確かなもの”なのです…この朝、私共も、”この救いの契約の主に身を委ねて参りたい”と思います。