「嵐の中の救い主」
ヨハネ福音書6章15−21節
6:15 イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。
6:16 夕方になったとき、弟子たちは海ベに下り、
6:17 舟に乗って海を渡り、向こう岸のカペナウムに行きかけた。すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。
6:18 その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。
6:19 四、五十丁こぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。
6:20 すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。
6:21 そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ、彼らが行こうとしていた地に着いた。
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Society,Tokyo,1987,1988,1995
「嵐の中の救い主」
新年礼拝 ヨハネ福音書6章15−21節.2007.1/1
新年おめでとうございます。過ぎし一年を振り返りますと、社会でも教会でも様々な出来事がありました。「人生の海の嵐」という賛美があります。正に何時嵐が起きるか知れないのが人生だと思わせられています。
人々はお正月に初詣に行って、「家内安全商売繁盛」を祈願します。見方を変えれば、これも、人生に不安を感じている事の裏返しでないかと思います。一番の安心は、人生の海の嵐において、主イエスが共に居て下さる事を信じられる事だと思うのです。
昨年の夏も同じ箇所からお話しましたが、年の始めにあたりまして、もう一度、”人生の海の嵐において共に居て下さる主イエス”について、共に御言葉に聴いて参りたいと思います。
今朝学ぶのは、キリストが、2匹の魚と5つのパンで五千人を養われる大きな奇跡を行われた、その夜の出来事です。大きな奇跡を見、その余韻に酔いしれていた人々が、イエスを王にしようと思い始めておりました。食料の心配が無くなると思ったのかも知れません。
そうした中、”主イエスは、一人,山に退いて祈られた”のでした…おそらく、”弟子達や人々が、御自分を「パンを与える救い主でなく、霊的なパンである救いを与える救い主として求める様にして下さい」と祈っておられた”と思うのです。
夕方になりました。弟子達は翌日の礼拝に備え、ガリラヤ湖の向こう岸のカペナウムの町に向けて,舟に乗り、ガリラヤ湖へと漕ぎ出しました。5qほど漕ぎ進み、残り1qになった頃、だんだん辺りは闇に包まれて来ました。その時、突然、名物の突風が吹いて来たのです。
真っ暗な夜の海は恐ろしいものです。まして嵐の海です…弟子達が恐れるのは当然でした。なのに、いつもは優しいイエスが、ここでは、恐れる弟子達の不信仰を叱られたのでした。
何故でしょうか?それは、”この弟子達が恐れている姿が、主イエスを、どのようなお方と信じているかを浮き彫りにしていた”からでした…”救い主が神であると信じていたならば、弟子達が嵐に遭う事は分かっておられて、舟に乗る事を命じられたと気づいた筈だ”からです。
実は、この”嵐の夜の海は、私共の人生の嵐を暗示”しているのです…この時、弟子達の信仰は、まだ未熟でした。神であるイエスは、弟子達を嵐の中に送り出された後、背後で祈り、責任を持って救いに行かれたのです。しかし、不信仰だった弟子達は、暗闇の嵐の中、湖上を歩いて救いに来られたイエスを見て、幽霊と思って恐れたのでした。
イエスは、そんな弟子達に、「私だ。恐れる事はない」と語りかけたのでした…それは”聞き慣れたイエス様の御声”でした。弟子達は、その御声に気づいて、初めてイエスだと分かったのでした。
時は、”出エジプトを記念する過越の祭りの時”でした。
BC1600年に、”神はモーセに、燃え尽きない柴の中から「”私はある”という神だ。私はあなたと共にいる」と約束され、その約束ゆえに、神はモーセと共におられて、10の奇跡と紅海を二つに分ける奇跡をもって、奴隷の地エジプトから、イスラエルの民を救い出し、更に、荒野を40年間も守り導いてカナンの地へ入れられた”のでした。
”主イエスは、この出エジプトの時の神の言に重ねられて、「私はあなたと共に有る。だから恐れる事はない」と言われた”のでした。
”主イエスが舟に乗り込まれると、直ぐに嵐は静まって、舟は目指す地に到着した”のでした。この事も、”出エジプトと重なる”のです…”モーセは、神に従い切る事において1度失敗しました。人間モーセの限界がそこにあるのです。
それゆえ目的地のカナンを目前にして、モーセは天に召された”のでした。一方、”主イエスは、目的地カペナウムまで弟子達を導かれた”のでした。これは、”イエスは、十字架の死に至る迄、完全に神に従い切られ、私共を天国迄導く事、救いの道を切り開かれる事を暗示していたのです。
この真の救い主は、今も私共に、「私だ、恐れる事はない」と御声をかけて下さる”のです。地震で倒壊した家を想像して下さい。真っ暗な部屋に閉じこめられた子供が、「お父さんだよ。お母さんよ」と探す声を聴いたら、”どんなに安心するでしょうか?”
私共も、不安の中にいる時、”「私だ。恐れる事はない」という言葉を聴いたら、安心するです…「私だ恐れる事はない」というお言葉を、どう聴くかが、その人の信仰を浮き彫りにする”のです。
何度かさせて頂いた私事のお証で恐縮ですが、ちょうど1年前のお正月の事ですので、もう一度お証しさせて頂きます。昨年のお正月、2度目の父から30年ぶりに電話がありました。
最初の父を原爆の後遺症で失い、2度目の父から虐待を10年間受けました。その父からの電話でした。中3の時に家出した私は、そのまま教会にひきとられ1年半お世話になりました。母は,その間に離婚し、その後再婚しました。
そして昨年のお正月、この証しに、思っても見なかった続編が出来ました。2度目の父から、「私を覚えていますか?今日は昼から、あなたに電話をしようと、電話の前に座り、夜になるのを待っていた。あなたが牧師になったと聞いたので、受話器を放り投げないで聴いて欲しい。私が、あなたの父であった10年間、殴り、怒鳴り続けて申し訳なかった。許して欲しい」という電話でした。
はじめ耳を疑い戸惑いましたが、心を鎮めて「お父さん」と呼んだ時、”親子に戻る事が出来た”のでした。
虐待を受けていた時、同じ市内に住んでいた、叔父叔母が牧師をしており、叔母である牧師婦人は、その10年間、涙の祈りをして下さっていました。叔母は、昨年の初め、肝臓癌の末期におられました。その叔母に、この前父からの電話の報告を意識があった最後の時に報告できたのです。
そして、昨年の4月、今、九州に住んでいる父に、家族と共に再会しました。前父は82歳になっていました。父の昔の面影を見ていて、少し前ならトラウマが吹き出たかも知れません。妻はそれを心配していたようです。私も2日前は緊張して眠れませんでしたが、主が守って下さり、一人で老い、弱っていく寂しさを感じる事が出来ました。
父は、最初に家族と私に謝罪して下さいました。それから、「どうして和幸を辛い目にあわせたのか」と語り出しました。貧しさの中で人に捨てられて苦労した生い立ち、戦争で奪われた青春、それゆえ、お金しか頼れず、また厳しさしか、人と交わる術を持てなかった事を話してくれました。
余談ですが…子供の頃、唯一楽しかった思い出は、家族でジンギスカンの鉄鍋を囲んだ事でした。「あのジンギスカン美味しかったね」と言った時、あの鉄鍋を持ち出して来て、「お前にやる」と…。病気になり、死を覚悟して持ち物を整理した時、その鍋だけ捨てられなかったと言う事でした。見れば、包んでいる新聞紙の日付は、離婚した直後のものでした。その鉄鍋は、私を一瞬に少年の時に戻し、また、父の痛みと愛を語ってくれました。
優しさや、情を表に出す事は決して無かった人でした。ギロッと睨まれた怖い顔しか思い出せません。その父から優しくされる。また、「愛していた」と告げられる時が来るとは思ってもみない事でした…その日が、心の底の癒しのスタートの日となりました。
別れの日まで、「お前と会うのは最後だろう」と言っていた父でしたが、いつの間にか「また、来いよ」と言ってくれていました。私達がフェリーに乗って手を振った時、元、軍人だった父は、まるで特攻隊を見送る様に、大きく手を振り涙していました。初めて見た父の涙でした。
ある方が、「お父さんは、許される喜びを知ったんだね」と言って下さいました。そうであれば幸いです。でも、私にとっても、愛され、受け入れられた時となりました。「私だ」「お父さん」という…この言葉の力を思います。
”イエス様も、私達が嵐の中で、「私だ。私はあなたの救い主だ。恐れる事はない」と語って下さるのです。この言葉を、神の言、救い主の言として聴くならば、今日から始まる新しい年、もし、どんな嵐が襲ってきたとしましても、キリストは、私共の救い主となって下さる”と言われているのです。