見つめるべきものを知る者の生活」 

マタイ24:29−47節.(29−42節、45−47節)

◆人の子が来る
24:29 「その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は 揺り動かされる。
24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の 子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果 てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
◆いちじくの木の教え
24:32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいた事が 分かる。
24:33 それと同じように、あなたがたは、これら全ての事を見たなら、人の子が戸口に近づいてい ると悟りなさい。
24:34 はっきり言っておく。これらの事がみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
24:35 天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」
◆目を覚ましていなさい
24:36 「その日、その時は、誰も知らない。天使達も子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだ りしていた。
24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場 合も、このようである。
24:40 その時、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:41 二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
24:42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには 分からないからである。
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◆忠実な僕と悪い僕
24:45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせる事にした  忠実で賢い僕は、いったい誰であろうか。
24:46 主人が帰って来た時、言われた通りにしているのを見られる僕は幸いである。
24:47 はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるに違いない。
ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

   
  
見つめるべきものを知る者の生活

     マタイ24:29−47節.(29−42節、45−47節)、2006、6/11

 この所、神の言である聖書について学んでいます。今朝は、”神の民は、神の約束する一点を見つめて生きる者である事”を学んで参ります。

 35節に、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」とありますが、この”永遠に変わる事のない神の言が約束する、私共が見つめて生きるべき一点”が、42節に記されているのです…「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」…今朝は、この”主イエスの再臨を見つめて生きる”という事を学んで参ります。

 この主の言葉は、十字架を目前にして語られたものでした。人は死を前にする時、本音を語ります…ですから、この”再臨の預言”は脅しではなく、主イエスの本音だったのです。

 その主の再臨が何時なのかは誰にも分かりません。けれど世の終わりがあるという事は、科学的には常識なのです。

太陽の年齢は、今、50億歳だそうです。丁度人生の半ばで、後50億年経つと、死を迎えた太陽は、膨張して地球や火星を飲み込み、最後は縮小に転じて白色矮星という小さくて重い死んだ星になる事が分かっています。また我々の銀河系から230万年光年離れた所に、隣の銀河であるアンドロメダ星雲が、やがて銀河系に衝突して合体する事が判明しました。太陽も地球も無いであろう遙か未来の事です。その様に天地は永遠ではないのです。

 しかし、キリストの再臨は、自然現象としての終わりよりずっと〜早く訪れると思っています。

 30節に次のように書いてあります。「その時、人の子の徴が天に現れる」…昔から、この”徴”は、”十字架のキリストが現れる”と理解されてきました…ですから、”主イエスの十字架は、更に言うなら、十字架と復活、それに続く昇天という十字架の一連の出来事は、主イエスの再臨のカウントダウンが始まったという徴だった”のです。

 32節以降には、”主イエスが再臨される時には前兆がある”とも記されています…「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいた事が分かる。それと同じように、あなた方は、これら全ての事を見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」とあります。「人の子」というのは、キリストの事です…キリストが再臨される時には前兆がある。「いちじくの木の枝が柔らかくなり、葉が出る季節が到来した事が分かるように徴があるというのです。

 今朝読みませんでしたが、3節以降には、次のような徴もあると預言されています…自然災害が次々と起こり、偽キリストが現れ、そして人々の心から愛が冷えて来るというのです…正に現代は、その時のように思います。その様な時が到来したならば、キリストの再臨が近づいた事を悟りなさい」と言うのです。

 そして、この2つの徴があった後、「キリストが戸を叩く時が必ず来る。だから、あなたは戸を開ける備えをして生活しなさい」というのです。

 ”天地が滅びる事を信じる者は、主イエスの言葉は滅びない事を信じる者でもある”のです…主イエスは、この所で、何度も「人は食べたり飲んだりしていた」と語られました…何か、嫁いだり飲み食いする事が咎められているような気がします。しかし、主は、決して、それらを「いけない」と言われたのではないのです。

 主イエスは、「あなたは、日常の生活の中で、”世の終わり=滅びの時=クリスチャンにとっては、救いの時となる主イエスの再臨”を、心に刻んだ生活をしているか?」と問われたのでした。

 牧師として駆け出しの頃、礼拝出席人数が4名の時がありました。やがて祝福されて行きましたが、その頃になりますと、教会内に次々と問題が起こって来るようになりました。ある先生は、「教会に聖霊が働き出すと、危機感を覚えたサタンも働き出す」と言って慰めて下さいました。本当にサタンの働きというものが見える思いがしたのを思い出します。

 そうしたストレスの中、毎月、決まって40度の発熱をするようになりました。そんな中、ある牧師が「神その中にいませば都動かじ」という御言葉をはがきに書いて下さいました。その御言葉を読んだ時、私は、そこに”神の語りかけ”を感じた事を思い出します…そして、「この事、その事の中にも、昔も今も変わらない神がおられる」という”信仰が上から与えられ”ました。

”変わる事のない神の言に委ねる信仰”を学んだ時だったと思っています。この時の経験によって、主の再臨される時が来る」事が、”確信する者へと変えられた”のでした。

 この”世の終わりに、主イエスが再臨されると信じた者には、必ず一つの変化が生まれ”ます。日々の飲み食いの仕方、お金の使い方、時間の使い方、家庭の築き方、人生設計等の一つ〜にも変化が生まれて来るのです。

 ”キリストの再臨に備える者の姿”について、主イエスは45節以下で、「思慮深い僕の譬え」をもってお語りになりました。「主人がその家の使用人達の上に立てて、時間通り彼らに食事を与える忠実で賢い僕は、いったい誰であろうか?」と…。

 「主人が僕達の為に、思慮深い僕の長を立てた」のです…僕達の食事を準備させる為にです。本日、この後、役員任職式が執り行われますが、”神が役員を立てられる”事も同じなのです…”教会に仕え、群の1人〜が、霊の糧に預かっているか、主の再臨に備えた信仰生活をしているかに心配りする者として立てられる”のです。

 ノアの洪水の前に、”ノアと共に箱舟を造ったノアの家族と同じ”です。”彼等は箱舟を造る姿で、世の人々に洪水が来る事を訴え”ました。”役員の方々の再臨に備える生き様が、この土居教会の群に再臨に備える生き様を示し、世に対しても訴えて行く”のです。

 この「忠実な良い僕」の「忠実」という言葉には、「信用できる」と言う意味もあるのです…イエス様は、「私が信用できる忠実な僕は一体誰であろうか?あなたがたであって欲しい」と訴えられたのです。

 そして、イエス様は、そうでない僕を「悪い僕」とも言われました。”51節では、その悪い僕達の事を「偽善者達」”と言っています…聖書が言う”偽善者”は、”律法学者やファリサイ人”など、”神様を信じているような顔をして、本当は本気で神を相手にしていない人”の事を指しているのです。

 そういう人々は、”キリストの再臨を恐れない”のです。その結果、”神の言に聴いて生きる姿勢が曖昧になる”のです…しかし、”主イエスの再臨という一点を見つめ、神の言葉に生きる者に対してイエス様は、信頼して下さり、命と愛とを注ぎ、人生が終わる時も、又、世が滅ぶ時にも再臨の救って下さる”のです。