御言葉は成就する

ルカによる福音書1章5〜25節.中心聖句1章20節.
◆洗礼者ヨハネの誕生、予告される
1:5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。
1:6 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。1:7 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。
1:8 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、
1:9 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。1:10 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。
1:11 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 1:12 ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。
1:13 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。 1:15 彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、 1:16 イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。
1:17 彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
1:18 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」
1:19 天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。
1:20 あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」
1:21 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。 1:22 ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。
1:23 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。 1:24 その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。
1:25 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


 御言葉は成就する

     ルカ福音書1章5〜25節.中心聖句1章20節.
     アドベント1週.2006.12/3
 クリスマスは御言の成就に満ちている時です…ルカの福音書だけが、バプテスマのヨハネの誕生物語をイエスの誕生物語に先立って記しています。

 このバプテスマのヨハネは最後の預言者であり、旧約聖書が、やがて預言エリヤが再来して、救い主をこの世に紹介すると預言していた人です。主イエスをして「およそ女から生まれた者の内、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」と言わしめるようになる人物です。

 このバプテスマのヨハネの親となる、ザカリヤの妻エリサベトは、イエスの母となるマリヤと親戚でありました。また、ザカリヤは祭司であり、この夫婦は、ルカ1章16節に「神の御前に正しい人であり、主の戒めと定めとをみな落度なく行っていた」とある敬虔な人達でした。

 けれども一つだけ問題がありました。それは、”エリサベトが不妊の女だった”という事でした。2人とも既に年老いており、子供を授かる事は不可能だったのです。

 当時のユダヤ社会においては、”子がないという事は、神の祝福がない事を意味していた”ので、神に仕える祭司ザカリヤにとっては、大きな〜負い目だったのでした。しかし不妊の女性が神の祝福を受けて、奇跡的に子を授かる例は、旧約聖書には幾つか載っています。

 サラ(イサクの母)、ラケル(ヨセフとベニヤミンの母)、ハンナ(サムエルの母)等です。

 神が特別に介入された結果与えられた子供達は、イスラエルの歴史を動かす重要人物になりました。”神が不妊という試練を通されて、親の信仰を練り聖め、神の使命を帯びた子供を託された”からでした。

 バプテスマのヨハネの誕生も同様でした…エリサベトは、神の使命を託された子を産んだ母として、これらの女性達に名を連ねる事となったのです。

●ザカリヤに現れた御使いガブリエル

 御使いがザカリヤに現れたのは、彼が、クジに当たって、神殿の奥にある聖所に入って香を焚く当番になった時の事でした。それは一生に一回の光栄ある務めだったのです。

 その期間は七日間でした。その間民衆は、外の庭で祈りながら、祭司が献げる犠牲が、神に受け入れられるように祈っていたのです。

 ザカリヤは慣れない務めを一生懸命手順を踏んで行っていました。”所がその手順が狂った”のです。”御使いが現れた”のでした。一見、”神が邪魔されたのです。これを神の不意打ちという人もいます…人は予想を超えた神との出会いによって、心も歩みも癒される”のです。

 御使いガブリエルは、ユダヤ教の七大天使の1人であり、旧約聖書のダニエル書でも、ガブリエルはメッセンジャーとして登場しています。

 御使いガブリエルは、おじ惑い恐れるザカリヤに、「恐れる事はない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」と言ったのでした。更に、生まれ来る子について、ガブリエルは次のような特徴を告げました。

 14〜17節@ヨハネの誕生は多くの人々の喜びとなる。A彼はナジル人の伝統を守る人となる(ぶどう酒も濃い酒も飲まない聖い人となる)。B胎内にいる時から神に選ばれ、聖霊に満たされている。C民を主に立ち帰らせる。Dエリヤの霊と力をもってメシヤ到来を世に告げる人となる等でした。

 クリスチャンは、自分にもこうした神の御計画と使命が与えられている事を心に刻んで、日々、主の御心を御言葉に問いながら歩むべきなのです。

●ザカリヤの不信仰

 この時、ザカリヤは、神の臨在の下で祈っていたのです。なのに御使いのお告げを信じる事ができなかったのでした…「何によって、私はそれを知る事ができるのでしょうか。私は老人ですし、妻も年をとっています」と呟いてしまったのでした。

 御使いガブリエルの「あなたの願いは聞き入れられた」との言葉から分かりますように、ザカリヤは「子を与えて下さい」と祈っていたのです。確かに、その祈りは生理的に不可能な事を求める祈りでした。しかし、”人間の不可能を可能とするのが神であり、それを信じるのが信仰の世界”なのです。

 ガブリエルは、ここで初めて自らの身分を明かしました…”自分は神の前に立つ御使いであり、喜ばしい知らせを告げる為に遣わされて来た”のだと…。

 しかし、ザカリヤが「時が来れば成就する」という御使いの(神の)言葉を信じなかった事を、御使いガブリエルは見逃さなかったのでした。それゆえザカリヤに、20節「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話す事ができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」と言った”のでした。

 外の庭で待っていた民衆は、ザカリヤが聖所内で手間取っているのを不思議に思っていました。やっと出て来たガブリエルが口がきけなくなっているのを見て、”聖所の中で何かがあった事を悟った”のでした。

 このバプテスマのヨハネが誕生する迄の10ヶ月間は、”神が強いられた沈黙の時”となりました…”この間、ザカリヤは、御使いのみ告げの言葉に沈潜して思い巡らす事しかできなかった”のです…しかし、それが大切な事だったのです。

 ”神の言が成就する信仰に立つ訓練の期間になったから”でした。「私は信仰の足りない者なので…」という言葉をお聞きする事があります。しかし、これは決して謙遜を意味する褒められた言葉ではないのです。

 何故なら、人は皆、元々信仰が無いからです。また信仰は努力して獲得するものでもないからです。”信仰は、この時の、ザカリヤのように、神の言を思い巡らす者の心に、神が天から与えて下さるものだから”です。

 ”神の言に聴き、与えられた御言を、心の内で思い巡らすなら、必ず人の心に信仰が与えられる”のです。

 ザカリヤとエリサベトの”神の言への信仰が成長した時”、バプテスマのヨハネが誕生したのです…そして妻エリサベトは、「主は今こそ、こうして、私に目を留め、人々の間から私の恥を取り去って下さいました」と、感謝の賛美を献げたのでした。

 神の言葉は、聖所内で、ザカリヤが香を焚いて祈っている時に臨みました。”神体験は聖所において起こる”のです。今日で言うなら、教会の礼拝、祈祷会、あるいは聖会やキャンプでしょうか?あるいは自分に絶望して、密室の涙の祈りの中で砕かれた時かも知れません。私共の教会や信仰生活も、このような神体験の場でありたいものです。

 しかし、神に仕える祭司であったザカリヤでさえ、とっさに「祈りが聞き入れられた」と信じる事ができなかったのでした。 そこで最後に、御使いが語られた事を共に心に刻みたいと思います。

 ルカ1:20「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話す事ができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」…”ザカリヤは、神に強いられた沈黙の中、神の言を、毎日〜何度も〜思い巡らし続ける中、神の言は、時が来れば成就するという信仰を学んだ”のでした。