御子の笑みを見つめる者達
◆羊飼いと天使
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
2:21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
ecutive
Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible
Society,Tokyo,1987,1988,1995
「御子の笑みを見つめる者達」
ルカによる福音書2章8〜21節.
2006年クリスマス説教 12/24
今年もクリスマスを迎えました。今、私共は主イエスの御前に集い、主の御降誕を祝い感謝しています。最初に救い主誕生の知らせを聞き、祝う為に駆けつけたのは、夜、野宿しながら羊の番をしていた羊飼い達でした。
当時、彼らは差別を受けていました。彼等は「地の民」と言う差別用語で呼ばれていたのです。戸籍も無く、人口調査の登録からも対象外とされていたのでした。
何故、それ程差別されていたのでしょうか?…羊飼い達の仕事は、動物相手だった為、安息日(礼拝を守る)事を厳守できなかったからでした。けれども、それは誰かがやらねばならない仕事です。それに、どんな理由があれ、人を差別する事は間違っています。
人々から軽んじられ、誰からも見向きもされなかった、そんな羊飼い達に、神は真っ先に救い主の御降誕を伝えたのでした…これは、「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせる為に、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる為である」という預言の成就だったのです。
●御使いの出現
突然現れた御使いを見た羊飼い達は非常な恐れに覆われました…眩しいばかりの主の栄光の光に照らし出されたからでした。主の聖なる臨在に包まれた方の証を伺った事があります。「心が畏れに包まれた」と言っておられました。怖いという思いでなく、聖なる者の前に汚れた者が出る時の「畏れる」思いです。
御使いは、恐れおののく羊飼い達に「恐れるな」と語りかけました。この言葉は、「神が救いの宣告をされる時の導入句であり、何時も、その言葉の後には、喜びの知らせがありました」。
ルカ2:11〜12「今日ダビデの町で、あなた方の為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへの徴である。」
この”御使いの喜びの知らせ”は、”三つの宣言”からなっていました。@救い主がお生まれになると預言されていたダビデの町に一人の乳飲み子が生まれた。Aこの方こそ主なるキリスト(救い主)である。B救い主の徴は、布にくるまって飼葉おけに寝かしてあると言う3点でした。
Aの「このお方こそ主なるキリスト」という言葉は、「カエサルは主なり」と皇帝崇拝していた世に対抗する「イエスこそが主である」という宣言でした。これは、”後に生まれる教会の命がけの宣言”となって行きました。
Bは、「その救い主を、羊飼い達がどうして発見したらよいか?」についての答えです。羊飼い達に与えられた徴は予想外のものでした。それは、”布にくるまって飼葉桶に寝かしてある乳飲み子”という徴だったのです。
私共が、”救い主の御降誕の徴を考える”としたら、イルミネーションのような華々しい徴を考えると思うのです。しかし、”神は、家畜小屋の飼葉桶に寝かせてある乳飲み子のお姿を、救い主の徴とされた”のでした…人知を超える神のお考えです。
●天の軍勢の讃美
御使いのお告げが終わると、おびただしい天の軍勢が現れて神を賛美したと、ルカ2章13〜14節は記しています。この賛美は二つからなっています。第一は、「いと高き所では神に栄光あれ」という賛美、第二は、「地の上に目を転じ、御心にかなう人々に平和があるように」という賛美です。
”この二つの賛美は、天と地の両方に向けられている”のです。救い主の誕生は、天と地で祝われる出来事だったからです。
ここにある”平和”というのは、やがて、御子イエスが十字架で、人から罪を取り除き、神と人とを和解させて下さる事によって生まれる”シャローム(神との平和による平安)の事”であります。この”神との平和によって、人の心に神の愛と命が満ち溢れる世界が生まれて行く”のです。
●救い主に出会った羊飼い
御使い達が彼らを離れた後、羊飼い達は、「主がお知らせ下さった出来事」を見に行こうとベツレヘムへ行きました。そして彼らは、マリヤとヨセフ、飼葉桶に寝かしてある幼な子を捜し当てたのでした。
その後、彼らは、”この世で最初のキリストの証人となったのでした…乳飲み子の姿から、溢れる神の恵みを受けたから”でした。
今、御一緒に、”マリヤに抱かれたキリストを思い、共に見つめたい”と思います。”この世の全ては、主イエスのものなのに、主は、何一つ持つ事が出来ない、抵抗する力もない、最も小さな乳飲み子となって御降誕下さった”のでした…それは、”他でもない私共の為だった”のです。
何故なら、”乳飲み子が相手なら、どんな人でも恐れる事なく近づく事が出来るから”です…そして、”マリヤの膝に眠る乳飲み子の笑みを見つめるなら、どんな人でも、魂に、救いと慰めと安らぎを受ける事が出来る”のです。
そこに私共は、”神の献身を発見するのです…自分に、救いと慰めと安らぎを与えて下さる為、神が独り子を贈って下さった神の献身”です。
この”乳飲み子の姿以上に、人間の心をゆり動かすものはない”のです…”そこで、人は神の愛の大きさを感じる事が出来るから”です。
”神は、私共を裁く為でなく、救う為に、二千年前の世界ではじめのクリスマスで、世界ではじめのプレゼントとして、独り子イエスを贈って下さった”のでした。
時々、今治から私共の礼拝に来て下さるゴスペル歌手のyukoさんが、土居教会のHPの昨年のクリスマス説教から、クリスマスの歌をつくってプレゼンとして下さいました。HPにリンクしていますが、歌詞を御紹介します。
「12月の思い」 作詞作曲//yuko
静かな冬の空 光るベツレヘムの星
馬小屋で神様が生まれた日
平等に降り注ぐ 深い愛を受けながら
日常の喧騒に掻き消されて
誰も気付かない せめて今日だけは神様を知らない人も
「ありがとう」・・ひとこと
この歌を聞いたならどうか祈って下さい
この賛美のように、羊飼い達は、「幼子について御使いが話してくれたように、ダビデの町に救い主が御降誕され、飼葉桶に寝かされていた。自分は、この乳飲み子イエスから、神の恵みを受けました…神に感謝します」と人々に伝えたのでした。
そして、この時からずっと、御子の御降誕を祝う者に、神は、救いと慰めと安らぎを与え続けられているのです。