神に出会うクリスマス( マリヤへのみ告げ)

ルカによる福音書1章26〜56節
◆イエスの誕生が予告される
1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
◆マリア、エリサベトを訪ねる
1:39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
1:40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
1:41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、 1:42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
1:43 私の主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 1:44 あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
◆マリアの賛歌
1:46 そこで、マリアは言った。 1:47 「私しの魂は主をあがめ、/私の霊は救い主である神を喜びたたえます。 1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、 1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


  神に出会うクリスマス( マリヤへのみ告げ)
     ルカによる福音書1章26〜56節 
     アドベント2週。2006.12/10
●受胎告知
 御使いガブリエルのマリヤヘの受胎告知は、ザカリヤの妻エリサベト懐妊の告知に続いて記されています。

 ルカ1:26「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた」とありますように、両方とも、”御使いガブリエルが登場”します。

 「六ヶ月目」とは、エリサベトが妊娠してからの期間を指しています。突然、御使いガブリエルが現れマリヤに挨拶したのです。まだ中学生位の年齢だったマリヤにとって、それは許容を超えた出来事だったに違いありません。マリヤはひどく胸騒ぎがして、何の事かと思いめぐらしたのです。

 先週、祭司ザカリヤが、神殿の奥の至聖所という神の御臨在の前で、御使いガブリエルから御告げを受けた時、疑ったゆえに口を閉ざされ、ザカリヤはその沈黙の中で、ひたすら御言葉を思い巡す所に追い込まれたのでした。

 そうした中で、”ザカリヤは、神の言は、時が来た時必ず成就すると言う信仰を学んだ”のでした。”マリヤとザカリヤの違い”がここにあるのです…”マリヤは、戸惑いつつも、御使いの御告げを思い巡らした”のでした。

 この信仰に立つ事が出来たのは、当時、地上にマリヤ一人だけだった”のです。”その信仰ゆえ、神は、救い主の母としてマリヤを選ばれた”のでした。

 ガブリエルは主から授かったメッセージを、マリヤに告知しました。それは「恐れるな」という宣言で始まり、「男の子を生むであろう」という受胎告知に至りました。更に、生まれ出る子の名を「イエスと名づけなさい」と命令したのです。続いて生まれ出る子に関する預言がされました。

 そこには三つの要素がありました。@彼はいと高き者の子、神の子と唱えられる。A神は彼に父ダビデの王座を与える。B彼はヤコブの家を限りなく支配する。

 ”「ダビデの王座」と言うのは、来るべきメシア(救い主)の座を指す言葉”でした。”「ヤコブの家」と言うのは、イスラエルの十二部族”を意味します。

 歴史に於いてイスラエルは、北イスラエルの十部族と、南王国ユダの二部族に分裂する痛みを経験しました。やがて北イスラエルの十部族は歴史の彼方に消えて行きました。

 こうした歴史に痛みを持つイスラエルは、「やがて、ダビデが、真の王メシア(救い主)が再来して、神の愛と神の力をもって、祖国イスラエルを神の民の国として復興する」と信じていたのでした…”今、その預言は、ダビデの子孫として、救い主が誕生して、罪を贖って、新しい神の民を創造して、私共(新しい霊的な神の民)の心の中を、神の愛と神の力で支配する事によって成就されたのでした。

 そして、このメシヤによる神の愛と力による完全な支配は、主の再臨の日に完成する”のです。

 マリヤはガブリエルのお告げに、「自分はまだ結婚していないので、子を宿す事が不可能です」と訴えました。この時、マリヤは婚約中でした。当時は、婚約中に、男性を知らないかどうかの検査があったそうです。ですから、このマリヤの言葉には、検査を受けたという確かな裏付けがあったのでした。

 ザカリヤの時と違って、ガブリエルの御告げを思い巡らしながら語ったマリヤの訴えを重んじて聴いて、御告げの説明をしたのです。「あなたは、これから聖霊、即ち、いと高き神の力によって身ごもり、それゆえ生まれ出る子は、聖なる子であり神の子である」と…。

 そして、その証拠として「親族エリサベトが、老年なのに子を宿した…神に出来ない事は何一つない」と言ったのでした。

 この言葉は、旧約聖書の創世記で、アブラハムとサラが、「子供が与えられる」という主の約束を頂いた時、一笑に付して信じなかった時に、主が語られた言葉でした。

 祭司ザカリヤの妻エリサベトも、そのサラのように祝福されて、もはや不妊を嘆く必要がなくなったのでした。この時、”御使いガブリエルを通し、全能の神は、神の命の力をもって、自然の法則を超え、神の独り子を聖霊によって生み出す…というたった1度限りの奇跡をなされた”のでした。

●主の母上マリヤの信仰
 マリヤは、このガブリエルの二度目の言葉を聞いて、全てを受け入れ「私は主のはしためです。お言葉通りこの身に成りますように」と言って,神の子をお腹に宿す事を受けいれたのです。

 ”旧約聖書を知っていたマリヤは救い主の母となる事がどういう事かを知っていた筈”です。”救い主が全ての人々の罪を贖う為、死ぬ運命を背負っている事、そして、それは”救い主の母となる者にとっても、火の様な試練”となる事と悟っていた筈です。それだけではありませんでした。

 ”世の人々が聖霊によって身ごもる事を理解できる筈などありませんから、マリヤは未婚の母として、社会から、はじき出される事と、もしかしたら殺される危険をも伴っていた”のでした。だからこそ、”救い主の母には、神への献身と、神の言は成就するという信仰が求められた”のでした。

 この”信仰によって、マリヤはキリストの母となった”のです。これは、”私共がキリストを心に迎え、キリストの臨在の中に生きる事にも通じます…神への献身と、神の言を信じる者の心の中に、キリストが生き生きと生きて下さる”のです。

 人は皆、自分を理解してくれそうな人を探します。受胎告知を受けたマリヤは、大急ぎで山里のユダの町にいるエリサベトの元に報告に行ったのでした。 
 ”マリヤの挨拶を聞いた時、エリサベトのお腹の中の胎児が、胎内で踊った”のです。

1:41−43「エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。私の主のお母さまが私の所に来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にした時、胎内の子は喜んでおどりました」…。

 ”キリストをこの世に、救い主と紹介する使命を持ったバプテスマのヨハネは、お腹の中にいた時から、聖霊によってその使命を果たした”のです。エリサベトも、自分より年下で、しかも良く知っている、親戚のマリヤの事を、「私の主の母さま」と言ったのでした。

 それは”聖霊によって、マリヤの胎内に宿る子が「救い主」である事を知っていた”からでした。

●マリヤの讃歌(マグニフィカート)
 マリヤの讃歌(マグニフィカート)は、”救い主なる神が、卑しい身分のマリヤを心にかけて下さった事に対する賛美”でした。いいなづけヨセフはダビデ家の出身ですが、ガリラヤの貧しい大工でした。

 ルカによる福音書は、”貧しい者を顧みて下さる神を強調する書”です…その最たる例がマリヤなのです。

 この”賛歌は、聖なる神は、へりくだる神の民を憐れんで下さるという信仰告白”でもありました。マリヤは、「神は憐れみを忘れる事なく、約束通りイスラエルを助けた、つまり約束のメシアを遣わして下さった」と賛美を締めくくりました。

 それからマリヤは、エリサベトと共に主を讃美し、三ケ月間、つまりエリサベトの産み月迄そこに滞在したのでした。”神への賛美は、神から神ご自身を顕して頂いた人の心に生まれ”ます。

 しかし、神を試みる人、神を疑う人に対して、神は姿を隠されるのです。反対に、”呻き悩む中で、神を求める人に対しては、自分の小ささや、汚れを知って砕かれている者に対しては、神はご自身を顕して下さる”のです。

 ルカ1:47−48「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めて下さったからです。今から後、いつの世の人も、私を幸いな者と言うでしょう」。

 低き所で、神に出会った人は、”神に出会って頂いた人という最も深い栄光が天より与えられる”のです…この様に、”砕かれた者が高くされるのがクリスマス”なのです。


   ルカ福音書1章5〜25節.中心聖句1章20節.
     アドベント1週.2006.12/3
 クリスマスは御言の成就に満ちている時です…ルカの福音書だけが、バプテスマのヨハネの誕生物語をイエスの誕生物語に先立って記しています。

 このバプテスマのヨハネは最後の預言者であり、旧約聖書が、やがて預言エリヤが再来して、救い主をこの世に紹介すると預言していた人です。主イエスをして「およそ女から生まれた者の内、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」と言わしめるようになる人物です。

 このバプテスマのヨハネの親となる、ザカリヤの妻エリサベトは、イエスの母となるマリヤと親戚でありました。また、ザカリヤは祭司であり、この夫婦は、ルカ1章16節に「神の御前に正しい人であり、主の戒めと定めとをみな落度なく行っていた」とある敬虔な人達でした。

 けれども一つだけ問題がありました。それは、”エリサベトが不妊の女だった”という事でした。2人とも既に年老いており、子供を授かる事は不可能だったのです。

 当時のユダヤ社会においては、”子がないという事は、神の祝福がない事を意味していた”ので、神に仕える祭司ザカリヤにとっては、大きな〜負い目だったのでした。しかし不妊の女性が神の祝福を受けて、奇跡的に子を授かる例は、旧約聖書には幾つか載っています。

 サラ(イサクの母)、ラケル(ヨセフとベニヤミンの母)、ハンナ(サムエルの母)等です。

 神が特別に介入された結果与えられた子供達は、イスラエルの歴史を動かす重要人物になりました。”神が不妊という試練を通されて、親の信仰を練り聖め、神の使命を帯びた子供を託された”からでした。

 バプテスマのヨハネの誕生も同様でした…エリサベトは、神の使命を託された子を産んだ母として、これらの女性達に名を連ねる事となったのです。

●ザカリヤに現れた御使いガブリエル

 御使いがザカリヤに現れたのは、彼が、クジに当たって、神殿の奥にある聖所に入って香を焚く当番になった時の事でした。それは一生に一回の光栄ある務めだったのです。

 その期間は七日間でした。その間民衆は、外の庭で祈りながら、祭司が献げる犠牲が、神に受け入れられるように祈っていたのです。

 ザカリヤは慣れない務めを一生懸命手順を踏んで行っていました。”所がその手順が狂った”のです。”御使いが現れた”のでした。一見、”神が邪魔されたのです。これを神の不意打ちという人もいます…人は予想を超えた神との出会いによって、心も歩みも癒される”のです。

 御使いガブリエルは、ユダヤ教の七大天使の1人であり、旧約聖書のダニエル書でも、ガブリエルはメッセンジャーとして登場しています。

 御使いガブリエルは、おじ惑い恐れるザカリヤに、「恐れる事はない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」と言ったのでした。更に、生まれ来る子について、ガブリエルは次のような特徴を告げました。

 14〜17節@ヨハネの誕生は多くの人々の喜びとなる。A彼はナジル人の伝統を守る人となる(ぶどう酒も濃い酒も飲まない聖い人となる)。B胎内にいる時から神に選ばれ、聖霊に満たされている。C民を主に立ち帰らせる。Dエリヤの霊と力をもってメシヤ到来を世に告げる人となる等でした。

 クリスチャンは、自分にもこうした神の御計画と使命が与えられている事を心に刻んで、日々、主の御心を御言葉に問いながら歩むべきなのです。

●ザカリヤの不信仰

 この時、ザカリヤは、神の臨在の下で祈っていたのです。なのに御使いのお告げを信じる事ができなかったのでした…「何によって、私はそれを知る事ができるのでしょうか。私は老人ですし、妻も年をとっています」と呟いてしまったのでした。

 御使いガブリエルの「あなたの願いは聞き入れられた」との言葉から分かりますように、ザカリヤは「子を与えて下さい」と祈っていたのです。確かに、その祈りは生理的に不可能な事を求める祈りでした。しかし、”人間の不可能を可能とするのが神であり、それを信じるのが信仰の世界”なのです。

 ガブリエルは、ここで初めて自らの身分を明かしました…”自分は神の前に立つ御使いであり、喜ばしい知らせを告げる為に遣わされて来た”のだと…。

 しかし、ザカリヤが「時が来れば成就する」という御使いの(神の)言葉を信じなかった事を、御使いガブリエルは見逃さなかったのでした。それゆえザカリヤに、20節「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話す事ができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」と言った”のでした。

 外の庭で待っていた民衆は、ザカリヤが聖所内で手間取っているのを不思議に思っていました。やっと出て来たガブリエルが口がきけなくなっているのを見て、”聖所の中で何かがあった事を悟った”のでした。

 このバプテスマのヨハネが誕生する迄の10ヶ月間は、”神が強いられた沈黙の時”となりました…”この間、ザカリヤは、御使いのみ告げの言葉に沈潜して思い巡らす事しかできなかった”のです…しかし、それが大切な事だったのです。

 ”神の言が成就する信仰に立つ訓練の期間になったから”でした。「私は信仰の足りない者なので…」という言葉をお聞きする事があります。しかし、これは決して謙遜を意味する褒められた言葉ではないのです。

 何故なら、人は皆、元々信仰が無いからです。また信仰は努力して獲得するものでもないからです。”信仰は、この時の、ザカリヤのように、神の言を思い巡らす者の心に、神が天から与えて下さるものだから”です。

 ”神の言に聴き、与えられた御言を、心の内で思い巡らすなら、必ず人の心に信仰が与えられる”のです。

 ザカリヤとエリサベトの”神の言への信仰が成長した時”、バプテスマのヨハネが誕生したのです…そして妻エリサベトは、「主は今こそ、こうして、私に目を留め、人々の間から私の恥を取り去って下さいました」と、感謝の賛美を献げたのでした。

 神の言葉は、聖所内で、ザカリヤが香を焚いて祈っている時に臨みました。”神体験は聖所において起こる”のです。今日で言うなら、教会の礼拝、祈祷会、あるいは聖会やキャンプでしょうか?あるいは自分に絶望して、密室の涙の祈りの中で砕かれた時かも知れません。私共の教会や信仰生活も、このような神体験の場でありたいものです。

 しかし、神に仕える祭司であったザカリヤでさえ、とっさに「祈りが聞き入れられた」と信じる事ができなかったのでした。 そこで最後に、御使いが語られた事を共に心に刻みたいと思います。

 ルカ1:20「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話す事ができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」…”ザカリヤは、神に強いられた沈黙の中、神の言を、毎日〜何度も〜思い巡らし続ける中、神の言は、時が来れば成就するという信仰を学んだ”のでした。