「聖書が教える父(親)の使命」
箴言1章1〜7節
1:1 イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
1:2 これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため
1:3 諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。
1:4 未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。
1:5 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増す であろう。
1:6 また、格言、寓話/賢人らの言葉と謎を理解するため。
1:7 主を畏れる事は知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。
ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


           
   聖書が教える父(親)の使命

   箴言1章1〜7節、幼児祝福式礼拝.2006.11/12

 今朝の礼拝は、幼児祝福式礼拝です…聖書には「父」という言葉が頻繁に出て来ます。聖書は、3つの意味で「父」という言葉を使っています。神を指す「父」、先祖を意味する「父」、そしてもちろん父親の意味で使われています。今朝は、”聖書の語る父(親)の使命と責任”について耳を傾けて参ります。

1) 神への信仰を伝える
 旧約聖書にある”箴言は格言集”です。深い知恵のあった事で有名な、ダビデ王の子ソロモンが書いたと言われます。また、”箴言は、父の、子に対する戒め”という形で書かれています。その中で、”父(親)の最も大切な使命”として記されているのは、”信仰を継承する事”です。

 箴言1章1〜7節に、その事が記されています。箴言1章1〜7節「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。 これは知恵と諭しをわきまえ…未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与える為。 これに聞き従えば、賢人もなお説得力を加え/聡明な人も指導力を増すであろう…主を畏れる事は知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」

 ここに、「主を畏れる事は知恵の初め」とあります。”「神の祝福に満ちた道を歩む為の知識こそが、知恵の初めだ」というのです。そして、それは、「主を畏れる事」”なのです。この”「畏れる」と言うのは恐がる事ではありません。「神を心から敬い、神を信頼して、神に聴き従う事」”なのです。

 父(親)は、子供に様々な物を与えます。愛情は勿論の事、躾け、教育、お金を注ぎます。しかし”最も大切な事は、神様を知り、神様を畏れる事を教える事なのです。それを教えなければ一切が虚しい”のです。そして、それは、”父(親)の最も大切な使命”なのです。

 しかし、それは簡単な事ではありません。ユダヤ人は、物心ついた頃から、旧約聖書の律法を書いたものを、子供の首にかけて暗記させ、暗記したら、その紙を食べさせて、子供の心に刻ませ、子供を神の祝福の下に歩ませようとしているそうです。 

2) 諭し、育てる
 創世記には,「人は、神と交わる事が出来る、神の像(かたち)を持つ者として造られた」と、神が人をお造りになった場面で語ります。この”神の像というのは、容姿ではなく、神と交わる心(魂)の事”です。

 4〜5世紀に活躍した、哲学者であり、神学者であるアウグスチヌスは、母モニカの涙の祈りによって、放蕩生活の中から回心に導かれ、救いに預かって、やがて哲学・神学の両面で世界史に残る業績を残した人です。

 アウグスチヌスは、「人の心には神によってしか満たされない空洞がある」という有名な言葉を述べました。神の被造物である人間は、神を求める者としてつくられているからです。

 事実、地上の全ての民族が神を持っている事を思います。ですから神を知らぬ人々は「何か良い事無いかな」と、心を満たす物を求める旅をしているのです。

 かつて日本では、母は家で家事と子供の教育を担い、父は外で働いて家計を支えるという風潮がありました。この傾向は、父親と子供の関係を希薄にし、逆に母と子の関係を密着させすぎ、様々な問題を生み出しました。しかし”聖書は、父の役割は働くだけではない”というのです。

 その父の第一の使命は、”信仰を継承する事”なのです。10月29日の説教で、このような事をお話しました。

 16世紀の宗教改革者ルターは、「今、とても大事な事は家庭における信仰教育を回復する事である」と言いました。ルターは、”信仰の教育は何よりも家庭において始まる”と真剣に考えていたからです。それゆえ父親達には「家庭においては、あなたが牧師なのだ」と言ったのです。

 親が信仰を継承出来たなら、親亡き後も、子供は、神に責任をとって頂く人生を送る事が出来るのです。ですから、この神への信仰を伝える事が親として最大の責任と言えるのです。

その為には、先ず”親は子供に信頼”されなければなりません。聖書は、それは決して立派な親になる事ではなく、”諭す親になりなさい”と言うのです。箴言13章24節に「鞭を控える者は自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える」とあります。

 エフェソ人への手紙6章にも、「父親達、子供を怒らせてはなりません。主が躾、諭されるように、育てなさい」とあるのです…”子供を頭ごなしに叱るのではなく、諭す親になりなさい。そうすれば、子供は親が伝える神を信じる様になる”というのです。

 「子供は怒られる事によっては成長しない。褒められる事によって成長する」という言葉を聞いた事がありました。私自身、厳しい体罰の中で育てられましたので、諭す事の難しさを覚えます。

 ある時子供に、「お父さんは褒めてくれない」と言われ、家内も頷いておりましたので、心の中で反省して、以後、気がついたら褒めるようにしているこの頃です。子供を認めつつ、間違いがある時には、涙の祈りをもって時を待ち、愛と信仰をもって諭す親となりたいものです。

3)真の親になって下さる神
 毎日のように幼児虐待のニュースを聞きますが、そんな親を持つ子供は、神を信じる事が出来ないのでしょうか?確かに親を憎む人は神を信じる事が困難になります。しかし、”神を求めても見い出せない人には、神の方から出会って下さる”のです。

 非行少年を預かる、北海道家庭学校の谷校長は、「重大な非行を犯した少年少女は父親を憎んでいる」と言われました。確かに親へのわだかまりや、赦せない気持ちを抱かざるえない状況下にいる子供達がおります。

 「何でこの人(親)を愛さなければいけないの?私は愛されて来なかったのに」と親を憎まざるえない仕打ちを受けた人の気持ちは分からなくもありません。しかし、”憎しみに縛られている限り、本人が幸せになれないのです。

 私共、親自身も、いろいろ傷つき痛みをもっています…良き羊飼いである神は、子供にも親にも、私共の真の天の父として、親代わりに愛を注ぎ、救い、そして心の傷を癒して下さるのです。

 ”神が、独り子イエスを十字架にお架け下さり、十字架で罪を無条件で赦して、私共を子として迎え入れて下さった”のでした。ここに、”神の痛みの愛がある”のです…”愛に飢えている人には、この十字架の神の痛みの愛が分かる”のです。

 私共は、ここで、”神から親代わりの愛を頂ける”のです。そして”その愛が分かった者は、親への憎しみが溶かされて行く自分を発見する”事が出来るのです。「赦せない」という気持ちは長く持ち続けると,固着して溶けにくくなってしまいます。”けれども十字架の神の愛で溶けないものはない”のです。

 ”親も子供も、父なる神の愛に心の深い所まで愛され、癒される者となりたい”と思います。

 ”神はどんな人にも、真の父となって救いの御手を差し伸べて下さいます…しかし、今、神の御前におられる方々は、神に託されている子供達に、確実に、愛の神と共に生きる人生、神への信仰を手渡したい”と願われていると思います。

 その為に、”父(親)に与えられている大きな責任を覚え、「神様、子供達に、神を畏れ、愛の神と共に生きる信仰を伝えさせて下さい」と祈りたい”と思うのです。