「Let It Be”(神さま、あなたのみ心のままに)」
ルカによる福音書1章26〜38節
1:26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
1:27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
1:34 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:36 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995
「Let It Be”(神さま、あなたのみ心のままに)」
ルカによる福音書1章26〜38節、2005年12月11日、アドベント第3週
20世紀を代表するアーチストと言えば、ビートルズである事は誰もが認める所だと思います。学生時代、ジョン・レノンがピストルで撃たれて亡くなった時に、先輩が泣いていたのを思い出します。
ビートルズは4人からなるグループでしたが、ファンの殆どはポール・マッカトニー派とジョン・レノン派に別れていると思います。美しいメロディは、ポール・マッカトニー作のものが多く、一方のジョンレノンに対しては、生き様に共鳴する人々が多いと思います。またジョン・レノンが作曲した歌は、歌詞が良く歌詞に思いついたメロディを付けたような曲が多く感じています。
そんなポール・マッカトニー作のビートルズナンバー(曲)の中で、おそらく、最も知られている曲の1つに、”Let It Be”というものがあります。歌詞を御紹介します。
私が苦しみに出会う時 母マリヤが現れて
知恵に満ちた言葉をかけてくれる ”Let It Be”(み心のままに)
暗闇の中に包まれてしまう時 彼女は私の前に立ち
知恵に満ちた言葉をかけてくれる ”Let It Be”(み心のままに)
すべてはみ心のままに 知恵ある言葉を呟いてごらん ”Let It Be”(み心のままに)
互いの個性の強さゆえに、ジョン・レノンとポール・マッカトニーの間にはいつしか確執が生じ、ビートルズは解散してしまう事になるのですが、この歌は、解散を目前にしたポールマッカトニーが、「もう一度、レノンと一緒にやっていく事は出来ないものだろうか?」という願いを込めて作った歌だといわれています。しかし、一方で、別れてゆくそれぞれの運命を、「それも定めなら仕方がない…」と受け入れようとする、そんな思いも感じられる歌詞なのです。
ポ−ル・マッカトニーの父親は、イギリス国教教会(聖公会)の熱心な信徒だったようで、その影響があるのか、この歌にはカトリック的な信仰の香りが漂います。
この歌に登場する”Mother Mary”は、”イエス・キリストの母となったマリア”の事です。そしてこの歌のタイトルともなっている、”Let It Be”(み心のままに)という言葉は、マリヤが御使いから、神の独り子イエス・キリストの受胎を告げられた時に答えた言葉、「お言葉通り、この身に成りますように…」から取ったもの”なのです。
婚約中の女性が妊娠するという事は、当時の社会では、マリヤは石打ちの死刑になっても仕方がなかった大事件でした。ですから、人口調査の勅令が出て、ヨセフが故郷のベツレヘムに登録する為に行く時、臨月のマリヤが同行したのは、1人ナザレに残る事の方が危険だったからなのです。
そのような世間の冷たい眼差しを受ける決意こそ、「お言葉通り、この身に成りますように…」というマリヤの言葉だったのでした。先週も申しましたが、この時、生きた信仰は地上に殆ど見られませんでした。
”こんな信仰に立つ事が出来た人は、地上にマリヤ1人だった”のです…毎年、当たり前に迎えているかも知れないクリスマスですが、この時、12〜13才位だったろうと言われている”マリヤが、「お言葉通り、この身に成りますように…」と答えなかったら、この世にクリスマスは無かった”のです。”暗闇に満ちた地上に救いの光は来なかった”のでした。
そこで今、皆さんと共に、クリスマスを招いたこのマリアの「お言葉通り、この身に成りますように…」という言葉に思いを巡らしたいと思います。
「お言葉通り、この身に成りますように…」と言う言葉は、”神に従う信仰者の模範”として読まれてきたように思います。「しかし、ホントにそうかのかな?」と思うのです。
マリヤはこの時、”突然現れた御使いに受胎告知をされた”のです…しかも、その”内容は、逃げ出したくなるようなもの”だったのです。マリヤは最初は「どうして、そのような事がありえよしょうか?私は男の人を知りませんのに」と言ったのです。それは、不思議というような軽い言葉でなく、あきらかに戸惑いでした。
けれども、戸惑うマリヤに対して、更に御使いの言葉が続きました…「聖霊があなたに降り、あなたは身ごもったのだ」と…。その御告げを聴いたマリヤは、”直ぐに「お言葉通り、この身に成りますように」と答えた”のでした。
何故,「どうしてそんな事が…」というマリヤの思いが、「お言葉通りこの身になりますように…」という思いへと変えられたのでしょうか?マリヤの心が、まるで水の流れのように、抵抗もなく変わったとしたら、正に、”マリヤは従順な信仰の模範者”です。でも、”私共にとってマリヤは、自分とは違う特別に立派な人”になってしまいます。
”人間には、そう簡単に、「すべての事を、み心のままに…」と言えない弱さがあるから”です。ですから、このマリヤのように、「神に従いなさい」と言われると苦しくなるのです…しかし、”聖書は一言も、「マリヤには罪が無かった(聖母)」とは言っていないのです…マリヤも私達と同じように、神の御心に従う事に抵抗があった1人なのかも知れません。
最近、本田美奈子さんという若い歌手が、白血病に倒れて天に召されました。歌唱力には定評のある人でした…遺作となったアメージング・グレースが何度もTVで流れていました。実は私は、本田美奈子さんの白血病の為に祈っていました。先週、世の光のクリスマス会で賛美して下さったyuko姉が本田美奈子さんのお友達のお友達で、何度かお見舞いに行かれていて「祈って下さい」とお願いされていたからです。
yukoさんがお見舞いに行った時の本田美奈子さんの印象は、「はかなげな印象だった」と伺いました…ミュージカル界で不動の地位を獲得し、さあ、これからという時に発病し、そして手術。彼女の回復を祈っていた矢先の訃報。yukoさんは、本田さんが闘病生活の中で吹き込んだアルバム「アヴェ・マリア」を聴きながら、なんとなく「最後の歌になるなぁ・・」思っていたそうです。彼女には、本田さんのが歌声が、虹のようにはかなく消えて行く淋しい声に感じられたからだそうです。
私事ですが、牧師になりたてのころ、白血病のドナー登録の為のチャリティコンサートに行き、ドナー協力の署名をして帰って来た事がありました。それから暫くの間、「骨髄の適合検査の依頼が来るのかなあ」と思いながら待っていた記憶があります。
全身麻酔をして、お尻に鉛筆の芯ほどの注射針を刺して骨髄液を取り出す為、当時は麻酔のショックで亡くなった方がおられるという事を知っていたので、「ドナー登録を待っている人の為にする」と思いながらも、正直、心に「ザラッ」とした思いがありました。”「人の為にしよう」という思いと、反対の「ザラッとした抵抗感」の2つの思いが心の中にあった”のです…おそらく、マリヤもそうだったと思うのです。
「おめでとう。恵まれた方」…という御使いの御告げによって起きた、”救い主の受胎”という出来事は、”マリヤにとって100%喜べるものではなかった”と思うのです…「お言葉通り、この身に成りますように…」というマリヤの言葉は、「ザラッとした抵抗を持ちながら、しかし、もう1つの信仰の心が呟いた言葉だった」のでないかと思うのです。
ですから”信仰者は完璧でなくとも良い”のです…”弱さがある。不安がある。しかし、そんな者を聖霊が信仰に立たせて下さる”…それが”信仰者の歩み”だと思うのです。
今、私共は、”共に、もう1人の神の御心に従った人”を思いたいと思います…「心の中に、ざらっとした思いを抱える所ではない」…血の汗が滴るような思いの中で、それでも、最後に「”Let It Be”(み心のままに)」と祈られた御方です。
それは…言うまでもなく、”イエス・キリスト”です。キリストは、迫り来る十字架を前にして祈られました。「できる事なら、この杯を私から取り除けて下さい」と…。けれども主イエスは続けて、”「しかし、私が願う事ではなく、御心に適う事が行われますように…」。「”Let It Be”(み心のままに)」と祈られた”のでした。
「主イエスの祈りは、私共と同じ人となり、弱さ痛み不安を同じく味わう者となって下さった者の祈りでした…そうした弱さの中で、聖霊の助けの中、「Lei
It Be(み心のままに)」と祈られた”のです。
私共の人生には、時に、苦しい事、辛い事が起こります。出来る事なら逃げ出したい…”でも、投げ出してしまったら神の御業は何も起こらない。神の栄光の目撃者となる事が出来ない”…そんな時、”聖霊は、マリヤに、そして主イエスにされたように、私共の後ろをそっと支えるように、祈りを導いて下さる”のです。
「Lei It Be(神さま、あなたのみ心のままに)」…”この祈りの言葉があるから、私共は弱くとも、行く手に、神の答えがあると信じて、神に委ねて歩む事が出来る”のです。”神の御子の母となる事を受け入れたマリヤのように。そして十字架を受け入れた御子イエスのように…”。