後ろの扉を閉められる主

創世記6章5節〜7章24節

6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
6:8 しかし、ノアは主の好意を得た。
6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。
6:10 ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。
6:11 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。
6:12 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
6:13 神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
6:14 あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。
6:15 次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、
6:16 箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。
6:17 見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。
6:18 わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。
6:19 また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
6:20 それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。
6:21 更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。

[ 7章 ]

7:1 主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。
7:2 あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。
7:3 空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。
7:4 七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」
7:5 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。
7:6 ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。
7:7 ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。
7:8 清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、
7:9 二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
7:10 七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。
7:11 ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
7:12 雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、
7:13 まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
7:14 彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、
7:15 命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
7:16 神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。
7:17 洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。
7:18 水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。
7:19 水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。
7:20 水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。
7:21 地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。
7:22 乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。
7:23 地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
7:24 水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

ロ-マの信徒への手紙10章17節
10:17 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
ecutive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

   
 「後ろの扉を閉められる主

          創世記6章5〜7章24節.ロ−マの信徒への手紙10章17節.11/20

 今朝のお話は、あまりにも有名な、「ノアの箱舟」の物語です…大洪水の中、浮かんでアララテ山に辿り着いたノアの箱船は、”罪の世に浮かびながら、神の審きから守られて天国に向かっている教会という共同体のモデル”でもあります…今朝は、この物語を、私共の教会を思いながら聴いて参りたいと思います。

 神が人を造られて後、どんどん子供が生まれて人口が増えていきました。聖書は創世記6章5〜6節で「主は、地上に人の悪が増し、常に悪い事ばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造った事を後悔し、心を痛められた」とあります。

最初,神が世界を創造された時にはとても素晴らしい世界だったのに、人が神の言を聴かなくなってから、世界は混迷と崩壊の一途を辿っていきました。そして、神はその有様を心を痛めてご覧になっておられたのでした。

 けれども神が、ある一つの所を見た時だけは、ほっとされたと言うのです。それは、神を見つめ、神の言に聴く、信仰の篤いノアという人を見ていた時でした。

 ある日、神は、ノアに言われました…「ノアよ」。「はい、神様」。「ノア、私は、この世界を造った事を後悔している。人々は悪いことばかりを心に思いはかり、世界は悪に満ちている」…。

 そして、神は、13〜14節の宣告をされたのでした。「全て肉なるものを終わらせる時が私の前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、私は地もろとも彼らを滅ぼす」と…。

 更に神様は言われました。6章14〜15節「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。

箱舟の長さを三百アンマ(150m)、幅を五十アンマ(25m)、高さを三十アンマ(15m)にし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい」と…。フットボール競技場の長さが90mですから、如何に大きいか分かります。

 創世記6章22節に「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」とあるように、ノアは地上に箱船を造り始めたのです…三人の子供達である、セム、ハム、ヤフェトや、妻達も手伝いました。

ノアは見物する人々に、「神が今から大洪水を起こされる。あなた達も、手伝ってくれ、そして一緒に乗り込んでくれ」と言ったに違いないと思いますが、相手にされなかったようです。ノア達は、どんな思いで毎日作業したかと思います。”ノアとノアの家族にとって、人々の嘲笑の中、箱舟を造ったのは、神の言に聴いて生きる事そのものだった”のでした。このように、”神を信じる事は、神の言に生きる事であり、片手間で出来る事ではない”のです。

 ロ−マの信徒への手紙10章17節に「実に、信仰は聞く事により、しかも、キリストの言葉を聞く事によって始まるのです」とあります…信仰は自分の願いや瞑想や思想から生まれて来るものではありません。”信仰は、イエス様の側に座って、神の言(キリストの言)を聴く事から起きて来る”のです。

 神の言は、神の言に生きようとする者に対しては、神の愛の言葉として、挑戦するように臨んで参ります…しかし、いい加減に聞く者、聞き流そうとする者には臨んで来ないのです。

 キリストの最初の奇跡であるカナの婚宴でもそうでした。当時、1週間続く婚宴の最中で、葡萄酒が尽きてしまうという不測の事態にパニックになっていた時、「水を石がめの口一杯まで満たしなさい」と言われた、”キリストの御言葉に聴き従った時、彼等は、水が葡萄酒に変えられるという最初の奇跡の目撃者になった”のでした…”神の言を信じ、生きようとする者が、神の栄光の目撃者になるという事は、永遠普遍の真理”なのです。

 いよいよ作業が終わった時、神はノアに言いました。「ノア、そして、あなたと、あなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。清い動物は7つがいずつ。清くない動物は1つがいずつ入れなさい」と…。

 その時、動物達が集まって来たのです…”ノアと妻、子供のセム、ハム、ヤフェトと家族は、そこに神の御手を見”、厳粛な思いで箱舟に乗り込みました。そして動物達が箱舟に乗り込み終えた時、創世記7章16節「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」のでした…”この一句は軽々しく通り過ぎるべきものではありません”。「主が戸を閉ざされた=神が、神の審きの幕を降ろされた」という事だからです。ノアが600才の時でした。

 それから、7日の後、雲一つ無かった空に暗雲が立ち込め、ポツポツと雨が降り出したのです。その雨は、”やがて豪雨になり、深淵の源が裂け、天の窓が開かれたような鉄砲水となり、それが40日、40夜降り続いた”のでした。

昨年の台風を経験しました私共は、雨の恐ろしさが骨身に染みています…新居浜では、橋に流木がつまり、川という川が決壊し街中が浸水しました…一人暮らしのお婆さんは、逃げる間もなく、柱によじ登っていましたが、水かさが増して来て、顎まで達して覚悟した時、水が退いていったと伺いました。M兄達とボランティアに行った家の隣の家の出来事でした。その隣の家は、もう住む事が出来ない状態でした。しかし、この時の大洪水の規模は、その比でなく、全地を飲み尽くしたのです…標高5165mのアララテ山が飲み込まれる程のものだったのでした。

 前任地で、ミッション系の幼稚園で、先生方に聖書の授業をしていた時、「このノアの箱船の紙芝居の絵が、残酷で子供が怯える。神は怖いというイメージを子供に与えてしまうが、どうしたら良いのか?」という質問を受けました。なんとも答える事が出来ませんでした…子供にショックは与えたくありませんが、”人が犯した罪を、神が審く事は、避ける事が出来ない厳正なものだからです。

だからキリストが私共の身代わりに、惨い十字架に架かる必要があったのです…ノアの箱船を見つめる時、この十字架の恵みが分かる”のです…”罪をノアの大洪水の時のように、審かなければならない神は、その惨い審きを、十字架上の御子イエス・キリストという一点に向けられ、その痛みの愛で私共を赦して下さった”のです。

 しばしば信仰生活における束縛を嫌う人がおられます。しかし、自由ときままが違う様に、”信仰には、御言葉に生きるという束縛がある”のです…しかし、それは、律法に縛られる事とは違います…御言葉に生きる人は自由です。尚かつ、その道は、”恵みに留まる道(神と出会う喜びに留まる道)”なのです。

 この”信仰の喜びを登山に譬える”事が出来ます…登山家の喜びは、重い荷を背負って、苦しみながら山を登っていく事ではありません。山頂という別天地に立って、下界を見下ろす征服感を味わう事です…”信仰の喜びも、気ままに送っているだけでは味わう事が出来ないのです。苦しくとも、御言葉に生きて、人は初めて、神と共に生きている別天地を味わう事が出来る”のです。

 この物語が、”「主が後ろの扉を閉めた」と記すのは、御言葉に生きる者の信仰生活の事を物語っている”のです…行きたい時だけ礼拝に行く、読みたい時だけ聖書を読む、困った時だけ祈る人は、”「後ろの扉を開けていて、何時でも出られるように扉を開けている人だ」と言っている”のです。

 もし、ノアの箱船の扉が開いたままだったら、乗っている人々は、おそらく何時まで続くかわからない単調な生活に、また窮屈な生活、動物の臭いに耐えかねて外に出て転落しただろうと思われます…”天国というゴールを目指している信仰者も、教会という、ノアの箱舟に乗り、後ろの扉を閉ざして、天国を目指して御言葉に生きる”のです。

 私共が生きている世界は厳しい世界です。更に誘惑も執拗にあります…そして私共は弱いのです…”ですから、神と共に生きる信仰の喜びに留まる為、天国に辿り着く為に、私共は御言葉に生きるという信仰の束縛を生きる”のです…”後ろの扉を閉められる主の愛を拒まず、前を向いて歩んでいく者達、また、教会でありたい”と思うのです。