キリストの御霊

使徒言行録1章3〜5節
1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」


使徒言行録2章1〜4節
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。


ヨハネによる福音書15章26節
15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

 
   
 キリストの御霊」  2004.5/30 <ペンテコステ礼拝>

   使徒言行録1章3−5節.2章1−4節.ヨハネ15章26節.
 今朝はペンテコステ礼拝です。ペンテコステという言葉は日本では聞き慣れませんが、ギリシャ語で50を現す言葉です。今朝の礼拝を、”ペンテコステ礼拝というのは、キリストの復活から50日目に、聖霊が降られて、キリスト教会が誕生した誕生日だから”です。ですからこの朝の礼拝は、”クリスマスやイースターと並ぶ、三大聖日の1つ”なのです。この朝は、使徒言行録1章3−5節.2章1−4節.ヨハネ15章26節から、”教会を生み出した聖霊”について学んで参ります。

 聖霊が二千年前に天より降って来られて教会が誕生しました。しかし、聖霊は、その後、開店休業ではないのです…”聖霊は、今も教会に働いておられる”のです。”イエス・キリストの十字架と復活が、二千年前の出来事でありながら、今、信じる者に救いの出来事が起こるのは、聖霊の御業”なのです…ですから、”聖霊はキリスト者と教会の命の源”なのです。

 2千年前”聖霊は天から降ってきて、弟子達の頭の上で別れて、炎の様な、かつ舌の様な形で、頭の上に留まった”のでした…その様に、”聖霊なる神が、目に見える形で天から降って来られたのは、御自身の存在を、この世に示す為だった”のです。

 イエス・キリストは天に昇られる前に弟子達に言われました。使徒言行録1:4「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」と…。”聖霊は父なる神に約束されたもの”なのです。先にも申しましたが、”聖霊はキリスト者として歩んで行く命と力の源だから”です。ですから、1人1人が待ち望み、神から受け取るべきもの”なのです。

 ここで”聖霊の働き”について見て参ります。

 先ず第1に、”キリストの御霊である聖霊はキリスト者の人格に、アガペーの愛をはじめとした、キリストの品性という実を結ばせる”のです。”聖霊なる神が、パワー(力)としてだけ強調される”事がありますが、”主イエス御自身が聖霊を「キリストの御霊である」と紹介された事を忘れてはなりません”。”聖霊が力”なのは勿論なのですが、それよりも先ず、”聖霊は、キリストの御人格を持たれた、キリストの御霊”なのです。

”聖霊がキリストの御霊であるゆえに、聖霊を受けた者は「キリストに似た者となる」”のです。ガラテヤ5:22−23には、「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とあります…これらは皆、”キリストの品性”です。”キリストの御霊である聖霊はキリスト者の人格に、アガペーの愛(神の愛)をはじめとした、キリストの品性という実を結ばせていく”のです。

 聖霊の第2の働きは、「人にキリストを救い主として解らせ、人をキリストの証人と変える」事です。ヨハネ15:26に「私が父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、即ち、父のもとから出る真理の霊が来る時、その方が私について証しをなさる筈である」とあります…ここに”聖霊はキリストを救い主と証しする”と記されているのです。

 この「証しをする」というのは、”裁判などの証言”を指した言葉です。イエス・キリストは私共に、「あなたは、聖霊を受けた時、あなたは私(キリスト)の証言者となる」と言われたのです…確かに、”弟子達は聖霊が注がれる迄、主イエスを救い主として証言する事は出来なかった”のでした。

今上映中の、”キリストの十字架の受難を描いた「パッション」”を見てつくづく思った事ですが、キリストが鞭打たれ、ドロローサの道を十字架を担いで、倒れては起きて担ぎ倒れては担ぎながら十字架に向かわれたキリスト。また、十字架に架けられながら、その断末魔の苦しみと痛みの中で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と執り成し祈られた姿に、「何故、人々は神の愛を見出さなかったのか?」と言う疑問です…”その光景にサタンは勝利を勘違いした程だった”のでした。

 でも、そこで思った事は、”そう気づく事こそが聖霊の御業”と言う事でした…”聖霊が沈黙されておられたゆえ、十字架の時に、誰もキリストの内に救い主を見い出す事が出来なかった”のでした。

また、”3年間もキリストと寝食を共にして来た弟子達も、聖霊を受けていなかった為、キリストを救い主と悟る事が出来なかった”のです。ですから復活の主イエスにお会いした弟子達が、喜び勇んで人々にキリストを伝えに出て行こうとした時、キリストはストップをかけられ、「お前達は、このままでは私の証人になる事は出来ない。約束された聖霊を受ける迄待っていなさい」と言われたのでした。

 3番目の聖霊の働きは、ヨハネ16章の14〜15節に,「その方(聖霊)は私(キリスト)に栄光を与える。私(キリスト)のものを受けて、あなた方に告げるからである」とあります。これは、”聖霊はキリストの栄光を現す御方”という事なのです。”キリストの栄光は人が救われる事で現される”のです。そして、この事こそ、”聖霊の働きの内で最大の働き”と言えるものです。

 殆どの方は、はじめて教会に来られた時、聖書のお話が分からなかったのではないでしょうか?しかし、”
クリスチャンの交わりに惹かれて、教会に留まられた方が多いと思う”のです。そこに、”聖霊がおられたから”です。主イエスは,マタイ18:20で「二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいるのである」と言われました。それは、”キリスト者の交わりの中に聖霊がおられる”という事なのです…聖霊に導かれて教会に留まった者は、”「キリストの十字架によって、罪が赦される救い」を体験する”のです…この事こそが、”聖霊による奇跡”なのです。

 教会に或る程度通いますと、知識としてはキリストが分かって参ります…しかし、”それだけでは信仰に命と力はない”のです…聖霊を受けていないからです。”聖霊を受ける道は唯1つ”なのです…それは、今も申し上げましたが、「キリストの十字架によって、私の罪が赦された」と信じる事”なのです。

 ”罪が分かるという事は聖霊による奇跡”です…犯罪と罪は違うからです。勿論、していけない事をするのは罪ですが、”聖書のいう罪は、もっと深い”のです。”神を認めずに生きてきた事が聖書の言う罪”なのです。そこで”自分や欲が主人となって来る”のです。そこから一切の悪い思いと行動が生まれて来るのです。

 ”聖霊は、人の間違っていた歩みを示し、人生の方向転換への決意へと導き、キリストを主として受け入れる様に導く”のです…その時、”聖霊は必ず信じる者の魂に、キリストの救いを体験させて下さる”のです。
 ですから、「聖霊がキリストの栄光を現す」という事は、「罪人が救われる事」とも言えるのです。ですから、この”人の救いこそが、キリストの御霊の最大の働き”なのです。

 F兄が手術前「主イエスに、『ザアカイよ木から降りてきなさい』と語られて木から降りたザアカイのように私も木から降ります」と証されましたが、それは”聖霊によって導かれた言葉”なのです。本人が気づいていなくとも、聖霊が働かなくては、決して出て来ない言葉だから”です。 こうした信仰経験を重ねた方がおられる教会には重みがあります。”人生という舞台で聖霊の導きを体験した証言者だから”です。正に、土居教会がそうなのです。

”キリストは、「キリストを救い主」と信じる者の心に必ず臨んで下さる”のです。また、”キリスト者として生まれた後も、試練や苦しみの中で、祈りの座に追い込まれる所を通して、聖霊が御言葉に働いて自分を導く…神の力強い御手を経験する”のです。

 ”こうしてキリスト者は、キリストの証言者とされて行く”のです。”証言者というのは、二千年前に十字架を見た者ではなく、御霊によって十字架の救いを体験した者”なのです。ですから、このペンテコステの朝、私共は、共に、「キリストの御霊で私を満たして下さい」と祈りたいと思います。また、今から共に預かる”聖餐に於いても、「聖霊様、今、私をキリストの十字架と1つにして下さい」と祈り、更なる”キリストの証言者”として頂いて参りたいと思います。


祈祷>イエス・キリストの父なる天の神様。
 2千年前、あなたは約束された聖霊を、天より注いで下さり、この地上にキリスト者を生み出し、教会というキリストの躰を生み出して下さった事に感謝します。
 今、私共は、教会においてキリストを信じる事により、救いを体験し、主イエスと共にいる事を経験できます。そして、あなたの愛と、聖き心を頂き、全ての事をキリストの眼差しで見て、感じ、この所で、キリストを現して、キリストの証人として生きていける事を感謝します。どうぞ、キリストの御霊によって、全てのキリスト者をキリストと1つにして下さり、キリストに似た者として下さい。
また、躰や心に弱さを覚えておられる人々を覚えて下さり、その人々が頑張れない、その所でこそ、キリストの御霊の臨在によって慰め支えて下さいますように。
 今から、預かる聖餐を祝福して下さり、聖霊様が、私共をキリストの十字架と1つにして下さい。そして、更に、キリストを知り、喜びと力とをもってキリストを証しする者として下さい。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。  アーメン