死に勝つ平安ら

ロ−マの信徒への手紙5章2〜21節V 中心聖句9節.21節
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

 
   
 「死に勝つ平安」
ロ−マの信徒への手紙5章12〜21(V)中心成句9節.21節.2004.4/252004.3/28


 今朝も、先週と同じ、ロ−マの信徒への手紙5章12−21節から3度目となりますが、神の言である聖書に聴いて参りたいと思います。

 21節に、「こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」とあります。此処に罪と死の支配を覆し、永遠の命に導く救い主こそがイエス・キリストであると書かれています。今朝は、この御方を救い主と信じる事によって、救われ死に勝つ平安を頂く事を学んで参ります。

 私共の教会では洗礼に先立ちまして、洗礼を志願しておられる方々を役員会に迎えて試問会を開きます。試問の試は試験の試です。ですから志願者の方々は大変緊張されます。しかし本当の所を申しますと、試問会は試験の時と言うよりも、信仰告白を確認する時なのです。役員の方々が、受洗希望者の信仰を吟味し、承認された方は、”土居キリスト教会というキリストの躰に加えられる”のです。人間が神への信仰を吟味するのですから役員の方々も非常に緊張致します。或る意味で人間が背負いきれない責任を神の御前に負う事だからです。しかし、この受洗希望者の試問こそ役員会の一番重要な責任と言っても良いのです。

 では、何を質問するのかと言いますと、「使徒信条を受け入れているか?」という事です。或る方は礼拝式の中で意識しないで使徒信条を唱えているかも知れません。しかし、使徒信条は信仰告白ですから、信じて告白するものなのです。

教会の二千年の歴史を振り返りますと、その中の実に多くの期間が、この信仰告白をする事によって命の危険にさらされてきたのです。信仰告白は、心から、また命がけでするものだと思いながら、この使徒信条を見直しますと、信仰を告白する事は簡単な事ではない事が分かって参ります。

 では、「一体誰が洗礼を受ける資格を得る事が出来るのか?」と思わされます。しかし、実は、この”使徒信条には1つの押さえるべき急所がある”のです…その”1点さえ信じる事が出来れば人は救われる”のです。後の事は礼拝生活を続ける中で何れ分かってくるのです。その信仰告白は、この21節の内容と同じです。「イエス・キリストという御方は、罪を赦し死の支配をくつがえし、永遠の命に導く救い主」と信じる事なのです。

 先週の教会の聖書通読箇所で読みましたエゼキエル37章は、「枯れ骨の谷の預言」と言われる所です。預言者エゼキエルが聖霊によって見せられた幻です。

 谷に捨てられた枯れ骨が積み上げられた光景が描き出されている所です…これは、”敵に征服されたイスラエルの民が捕囚として外国に連れ去られ絶望している姿”であり、”人間の力では、もはや回復不能である状態を、干からびた骨として示した”のでした。しかし”神は、エゼキエルに向かって「主の言に聴け」と語られた”のでした。”人がどんな状態であったとしても、神の言を聴いて信じる時、神の息が吹きかけられて回復して生かされる…「だから主の言を聴きなさい」という事”なのです。

果たしてエゼキエルが、その事を信じた時、その枯れ骨に筋が出来、肉が付き、皮膚で覆われ、聖霊が吹き込まれた時、その枯れ骨達は生き返ったのでした。この事を新約聖書は十字架から解釈し直して、「御言を聴き、十字架を信ずる者は、罪赦されて救われ、聖霊が心に注がれて永遠の命に生きる者となる」”と言っているのです。

 ”洗礼を受ける事の絶対条件”は、”自分が神の御前から失われていた者=霊的に死んでいた者”であった事を”御言によって気づき、救いの道を信ずる=「キリストが自分の為に十字架で死んで下さって、私の罪を赦して下さった」と信じる事”なのです…その時、”人は罪赦されて、聖霊が与えられ、神との平和が回復され、永遠の命が与えられる”のです。これが分かれば十分なのです…何故なら、この”1点に於いて、人は救いに預かる事が出来る”からです。

 キリストは過去の人ではありません。”今、生きておられ、この所で私共の礼拝を受け入れられている救い主”なのです…”クリスマスに地上に来て下さって、一人の人として生き抜かれ、私共の罪を贖う為に十字架で死なれた御方、3日目に神によって復活させられた救い主”なのです…”救いは、この御方を救い主として信じるかどうかが問われる”のです。

 そして、キリストを救い主と信じた者は、”天的な命に生きる事が出来る”のです。学び足りない所があっても構わないのです。

 反対の事を言えば、「キリストに対して心閉ざしたままで洗礼を受ける事は不可能」なのです。ですから、”私共は、何にもまして使徒信条の中心である、「救い主イエス・キリストを信ず」という信仰告白を大切にする”のです。そして、”神との平和に預かり、永遠の命の希望に預かる”のです。

 本日の礼拝後、土居キリスト教会の教会総会が開かれます。教会はキリストの霊的な躰です。ですから”教会の総会は、過ぎし1年を振り返り、この地に於いて、救い主キリストの躰として、キリストの恵みに生かされ、キリストの栄光を現して来たかどうかを自己吟味する時”なのです。感謝と反省をしつつ、新たな1年に向かって、”この地に遣わされたキリストの躰として、救い主をしっかりと心に迎え、更にキリストの恵みの支配に生きる教会となるよう祈り求める時”なのです。

 キリストを救い主と信じて救われ、聖霊注がれた者に与えられる2つの祝福を9節と21節から、もう1度見て参ります。

9節「それで今や、私達はキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらの事です」…”キリストを救い主と信ずる者は、キリストの血によって神の怒りから救われる”のです。そして、更に、21節「…主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」…”キリストを救い主と信じる者は永遠の命に導かれる”のです。

 誰かと心が通じ合う時、人は人間に生まれた幸せを感じます。だから、人との間と書いて人間というお話しを聞いた事があります。此処で聖書は、「キリストを救い主と信じる事によって、神との間の平和が回復して、神と心が通じ合う」と言うのです。そして、その幸せは永遠に続くのです。

 先週からO姉の目眩の事でお祈り頂いております…まだ起きて食事が出来ない状態が続いておりますが、聖子師が訪問した時に「『私は世の終わりまで共にいる』」と言われたイエス様が枕元にいるのが分かります」と言われ愚痴1つ言われずに、平安の中におられたとお聞きしました。こうした証からも、”主イエスの恵みの支配が与えて下さる平安が、如何に確かな平安”かと思わされます…不安定な人間に根ざす平安でないからです。”キリストを信じて罪赦された者に与えられる、「神との平和」と「永遠の命」に根ざした平安だから”です。

 詩篇84篇1節には、「あなたの庭で過ごす一日は千日に勝る恵みです」という御言があります。これは”キリストと共にいる平安”を言っているのです…”主イエスの庭で過ごす(主イエスの臨在の共にある)1日は、地上の千日に勝る喜び”だと言うのです…”神の平安の喜び”です。そして、その平安は何ものを持っても取り去られる事はないのです…”この平安こそ死に打ち勝つ平安”だからです。

 キリストをまだ受け入れておられない方は、そうした平安が教会にある事を心の内にお留め頂ければ幸いです。キリスト者の方々の中にも、日々の生活や思い患いの中、また死の力に怯える中、そうした”神の平安を忘れていた、或いは色あせていた”と思われていた方もおられるかも知れません。この朝共に、もう1

祈祷>イエス・キリストの父なる天の神様。
  私共は、今、さまざまな思いを抱いて、あなたの御前に出ております。心に悩みを抱え、肉体の痛みを抱え、愛する者の病を共に痛みながら御前におります。そして礼拝を終えると再び戦いの場所に帰って参ります。
 うっかりすると罪の力に負けそうなまま、死の力の前に脅えたまま、あなたの御前から1週間の旅路に出て行くかも知れません。どうぞ、今、生ける主イエスを礼拝している、この所で、私共の霊の眼差しを、あなたに開かせて下さって、主イエスを自分の救い主として心にお迎えして、神様と平和と、永遠の命の平安を頂き持ち場立場に遣わされて行く事が出来ますように…。
 十字架の恵みに生かされ、アガペーの愛を頂いて、生けるキリストを、この地に証する事が出来ますように、私共1人1人を、そして教会の歩みを聖別して下さい。また、午後もたれる教会総会をも祝福し、教会の過ぎし1年の歩みがその様な歩みであったか自己吟味し、また、迎える新年度の教会の歩みがその様な歩みとなるようにお導き下さいますように…。今、病や重荷を負っておられる兄弟姉妹をあなたの御前に思います。どうぞ1人1人の上に御手を置き、赦し、癒し、支え、お導き下さいますように…。
            主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。 アーメン