「闇を打ち破る光」 …年末感謝礼拝…

ヨハネによる福音書1章1〜5節
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

ヨハネによる福音書1章9〜10節
1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
1:10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。1:5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。
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(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

   
    「闇を打ち破る光」 …年末感謝礼拝…
【口語訳】ヨハネによる福音書1章1〜5節、9〜10節 .2004.12/26

 早いもので、年末感謝礼拝の主日になりました。毎年、1年を振り返って、その年を象徴する漢字が選ばれます。今年は「災」という字が選ばれました。災難の災という字です。確かに、この1年は災難が多い年でした。
 今年の新年礼拝は、ノアの箱舟の所から説教をしました。或る方は「何故、ノアの箱舟の箇所が牧師に与えられたのだろうか?」と考えながら説教を聴いておられたと伺いました。今年は7つも台風が四国に上陸し、かつて無い被害をもたらす年となってしまいました。

この土居教会の屋根も台風18号で破損しました。家内から「あなたが新年礼拝でノアの箱舟の所から語ったからじゃない?」と皮肉られてしまいました。苦笑いしながらも、その時厳粛なものを感じた事を忘れる事が出来ません。正に教会は天国を目指すノアの箱舟だからです。

 この一年を振り返りますと、教会のリニューアル工事から始まり、4月にはF兄が手術を受けられ、5月にはO姉が体調を崩されました。そして8月にはW姉が天に召され、9月には、土居教会の恩師になる那覇教会の高橋牧師が天に召されました。

 また先程も申しましたが、教会の屋根が台風で破損しました。皆様も様々な所を通られた事と思います。そして11月にM兄が入院されていらい教会で祈って参りましたが、先週の12月20日(月)午後10時43分に天に召されまして、先週この教会にて葬儀が行われました。

 10月は台風が各地に大きな被害をもたらし、10月の末には中越地震がありました。犯罪や事件も目を覆いたくなる事が相次ぎました。本当に災いの多い年であり、そして災いというものが如何に闇であるかを痛いほど思わせられた年となりました。

 そうした事々を心に留めながら、共に聖書の御言葉に耳を傾けたいと思います…ヨハネ1章5節(口語訳)「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」。この御言葉は、この度、U兄が入院された時に与えられた御言葉でもあります。

 この御言葉は、聖書の最初にある創世記1章1〜3節を思い起こさせます。創世記1:1〜3「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」こうして、光があった」

 正に宇宙は初め無であって、光も時間も物質も無かったのだそうです。そんな無の中に、ある時、突然揺らぎが生じて光が生まれ、ビッグバンという大爆発が起き、その光によって時間と全ての物質の元が生まれたのでした。そして宇宙は誕生して1秒後には太陽系程に膨らんだと言います。

この世に光より速いものは存在しませんが、その時だけは例外で。誕生した宇宙が光速より速く膨らんだというのです。想像を超える光の業です。また、この事を発見した物理学者は、神父だったとお聞きした事があります。聖書の言葉にこそ真実があるに違いないと考えて研究し始めて発見したのでした。

 無から有が生まれるという事は想像を超える出来事ですが、今、世界で主流を占める考え方です。しかし、があくまでも説の1つです。どちらにしましても最初に光の大爆発があった事だけが確かなようです。太陽から太陽光線が輝き出るように、神から光が輝き出て宇宙を生み出したのでした。

 ヨハネ1章4節に「…この命は人の光であった」とございます…この闇を打ち破る光は、神の命の力に満ちていたのです。もう1度4節をはじめから読みまと、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」…この”光”を、”神の言”とも言っているのです。

 何故かと申しますと、”神が、「光あれ」と言う、神の言によって天地万物を創られたから”です。この神の言というのは14節を見ると、「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」とあります…これはクリスマスに神の独り子が人となって地上に御降誕されたキリストの事を言っているのです。

 光と闇とを、二つ並べてみると、闇の方が優勢で、闇が世界を支配しているように見えるかも知れません。しかし実は”将来を指し示しているのは光の方”なのです…5節に「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」とあるからです。これは、闇の方が光よりも劣っている、闇は光に及ばないということであります。光の方が闇に勝っているからです。

たとえ”私たちが闇に包まれているように見えても、光の方が将来を指し示しており、光が闇を支配する事こそが、神様が天地を創られた目的”だからです。そして、神はそれをはっきりと私たちに伝えるために、神の独り子イエス・キリストをこの世界に遣わされたのでした。

 ヨハネ福音書の最初の部分は、”ここまではすべて過去形で書かれ”ています…しかし、”5節になって突然現在形の文章が現れる”のです。「光は暗闇の中で輝いている」…”あの歴史のはじめに最初に天地を照らした光は、この世界を照らし続け、今日も私たちを照らし、神の命の力をもって、私共の闇を打ち破って下さる”のです。

 この”闇を打ち破る、命の光に預かる1つの道”があります…9〜10節「すべての人を照す真の光があって世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた」。

 ここに「世は世を照す真の光(キリスト)を知らずにいた」とあります。ここで言う「知る」というのは、「認知する」という事に留まりません。「服従し、信頼する」という事でもあるのです…ですから”神の言に信頼し服従する事こそ、私共が自分の内にある闇を打ち破って下さる光に預かる道”なのです。

この”世が知らない、神の命と力に満ちた光に預かる道を教会は知っている”のです…この”1年を思い返しても、教会が神の言への信頼と服従に歩んだ事によって、どれだけ光であるキリストに闇を打ち破って頂いたか”を思わせられます。

 台風に於ける屋根の破損においては、全国の教会が祈り献金をして下さいました。全国の教会が1つのキリストの躰である事を改めて教えて頂き励まされました。また年の初めに補修をしていなかったら、ずっと大きな被害が出たと思われます。入院された方々の為に祈る中で、共に痛む愛を神に頂きました。中越地震の際には献金を申し出下さる方がおられ、「ああ共に痛み共に生きる共同体という信仰が浸透してきたのだなあ」と思わせられました。

12月20日に天に召されたM兄も11月に入院された時には、ラザロの復活から永遠の命を信じますと涙を流して告白され、お医者さんの診断よりも、ずっと長く生きられました。2〜3日の命が手術に成功して、2〜3週間という事でしたが、1ヶ月と20日間も家族の為に生きられました。最後も1晩の命と宣告されながら、翌日の夜まで主イエスに生かされたのです。そして、絶望の死が、キリストによって、天国への勝利の凱旋へと変えられて導かれたのでした。

 一年を終えるにあたり、私共は”忘年会ではなく、私共1人1人を覆った闇に勝利を与えて下さり、命の力をもって照らして下さった主イエスに感謝の礼拝を献げたい”と思います。そして、今、闇の中を通過中の方がおられましたら、キリストは必ず、この闇をも光に変えて下さるという事を御言葉への信頼と御言葉に従う決心をもって新しい年を迎えて頂きたいと思います。