「虚しさの原因」

ロ−マの信徒への手紙1:21
「なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、
むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


  虚しさの原因

            ロ−マの信徒への手紙1章21節、2003.9/14


 今朝はロ−マの信徒への手紙1章21節の「何故なら、神を知りながら、神として崇める事も感謝する事もせず、かえって、虚しい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」から、共に神の言に聴いて参ります。

 今お読みした御言葉に「心が虚しく鈍く暗くなったから」とありましたが、しばしば教会で耳にします言葉に、「御霊の照明」という言葉がございます。”聖霊の光の中に生きて行く事”です。

前任地の仙台では、年末になりますと、光のペ−ジェントというイベントが行われておりました。街全体のケヤキ並木にライトが点灯されるものでした。娘の幼稚園の同級生の父親が、仲間と共に数本の木にライトを点灯したのが始まりで、その後、街をあげてのイベントになったものです。

イルミネ−ションの光に、人を惹き付ける暖かさがあるからだろうと思います。”神の霊が生きて働く所”に…礼拝も、祈りも、生活も、”満たされ”、また、”聖霊の御業が起き、人々が惹き付けられて行く”のです。

 と同時に”聖霊の光は、私共の隠れた所をも照らし出す”のです…”隠れている心の底が聖められて、人は心におられる主イエスの臨在が清かにされ、更に主との深い交わりに入れて頂けるから”です。今、私共に対しても生きて働く、”聖霊の光は、私共の全てをも映し出す”のです。

 21節に「何故なら、神を知りながら、神として崇める事も感謝する事もせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです」とあります…これは聖霊が私共の心を見て「あなたは神を知っていながら、神を崇め、神に感謝いるか?虚しく、鈍く、暗くなってはいないか?」と心を照らし出している言葉なのです。

  ”虚しさ”は、誰もが経験ある事だろうと思います…私は学生時代、生い立ちの心の傷から虚しさに支配され、そこから逃避する為に酒に溺れておりました。1晩に1升位平気で空け、躰がボロボロになり、その中から神の下に立ち返ったのです。

 よく教会では,「満たされる」という言葉が使われます…”聖霊の満たし”です。”人は神に招かれ、礼拝に集います…神は,そんな者達の心を聖霊で満たして下さる”のです。しかし、その”礼拝から満たされないままに帰る事があるとしたら、それは悲劇であり、とても辛い事”であります。

 此処で使徒パウロは、”神を知り礼拝を献げながら、虚しさの中にいる者の原因を述べている”のです…21節「神として崇める事も感謝する事もせず」と…。”神を崇める事が虚しさから解放される道”なのです。

この「崇める」という御言葉には、「神に栄光を帰す」という意味があります。「神を崇め、神に栄光を帰そうとする事こそが、キリスト者の礼拝の心」なのです。教会にモット−というものがあるとしたなら「神に栄光を帰す」事でしょう。礼拝堂を建てるのも、葬儀もそうです。日常の生活に於いて、仕事も、家事も勉強も、ただ「神の栄光の為にする」のです。

 近年,土居教会では、受洗準備の学び会を終えた受洗予定者に対して、役員会による試問会をおこなっています。それは、”受洗予定者の信仰を教会が確認し、教会の祈りの内に、洗礼が授けられる為”であります。”教会の祈りの内に、洗礼が授けられる事によって、教会籍が生まれる”のです。

”土居教会の教会籍は、「土居教会というキリストの躰」に加えられた徴であり、このキリストの躰なる教会に対して責任が生まれるという事”でもあります。

 或る教会では、”教会員の教会に対する責任の自覚の成長の為”、教会総会の在り方を改革されたそうです…教会の正会員が、教会総会を欠席する場合、総会成立の為に委任状を提出しますが、その委任状を廃止して、正会員(現在陪餐会員)の1/3以上の出席で成立とされたのだそうです。”土居教会の場合は、委任状を含めて2/5の出席で総会成立”ですから厳しい規定です。

しかし、”教会は会議によって成り立つ団体”である事を思う時、”会議によって「神の栄光を現す団体」とも言える”のです。ですから、”キリストの躰として教会の過ぎし1年の歩みを顧み、反省と感謝を献げ、これから歩む道を祈り決める教会の総会への姿勢の改革”として理解できます。

  その牧師は、”総会の規定の改革だけでなく、総会を通して教育をされた”のでした…ある年の教会総会が終わった途端、1人の教会員が「私は、あの決定には反対だった」と言ったそうです。その時、牧師は、「なら何故、総会の議場で言わなかったの?」と聞かれ、その問いに対して「言える雰囲気ではなかったから」との言葉が返って来たそうです。

普通の会議なら、「その場の空気が…」という気持ちも分かります。でも、その牧師は,「教会の会議は、決して少数意見を軽んじません。その事が主の栄光を現すと思ったら勇気を持って安心して述べて下さい」と言われたのです。

 これらの事々を通して、教会員が教会総会に、いえ”全てに於いて「この事が主の栄光を現すか?」と考え、責任を持って発言するように成長した”と伺いました。

 この「主の栄光を現す」事に生きる事こそが、”キリスト者の生きる目的”なのです。キリスト者の御両親は、子供さんに教育される時、何をさて置いても、先ずこの「神の栄光の為に生きる事」を教える事が大切だと思うのです。

 使徒パウロは、「キリスト者は、神を神として崇め、神の栄光を帰す為に、礼拝し生きなさい」と語る時「あなたは」と言いました。パウロは、イスラエルの民にだけ向けて言ったのではありません。

イスラエルの民は、旧約時代、神の民として選ばれながら、何度も〜神を捨て,偶像に走り空しい生活を繰り返したイスラエルに対してだけこの事を言ったのではありませんでした。パウロは「あなたは、神を第一に崇めて生き、神に栄光を帰しなさい」と言ったのです。

 次に、”感謝”についてお話し致します…しばしば「説教で頂いた恵みへの感謝の徴として献金します」という言葉をお聞きします。気持ちは分かります。しかし、「応答としての献金というのはどうかな?」と思うのです。

 ”礼拝の心”と言うのは「先ず感謝をもって神の御前に来て礼拝を始める」事だからです。”先ず感謝の心で、神の御前に出て、神の言に聴く時、聖書の言葉は、初めて人の心に届き、心が満たされるもの”だからです…ですから,ある教会では、この「先ず、感謝をもって礼拝を献げる事を始める」という”礼拝の心を現す為”、礼拝式のプログラムで、”献金を説教の前に置く”のだそうです。

 TV番組に「クイズ100人に聞きました」というのがあります…もし道行く人に、「キリスト者とは、どんな生活をしている人だと思いますか?」と尋ねたら、どんな答えが帰って来るでしょうか?…なかなか難しい問いです…「日曜日に教会に行く人」「礼拝をする人」「愛に生きる人」「神を信じている人」等の答えが返ってくると思います。

 ではキリスト者の皆さんは何と答えられるでしょうか?…「神に感謝しながら生きる人」という答えであったら嬉しいです。それこそが、”良い時も悪い時も、主イエスの臨在の下で生きる秘訣だから”です。

 ハイデルベルクの信仰問答という教理書に次のような文があります。「…キリストは、御血潮をもって、我々を贖ってくださった後に、更に、聖霊によって、更生せしめ、主に似る者としてくださって、我々が、全生涯をもって、この恩恵に対して、神に感謝をあらわし、我々によって、神が崇められるようにしてくださったからなのであります」…。

ここにも、「キリストの血潮によって贖われた私共が、聖霊によって感謝の生活をする事によって神が崇められる」とあるのです。

 先月、四国教区のキャンプに参加する為、仙台から来られ礼拝式でも賛美をして下さった姉妹達がおりました…先週の月曜日、彼女達のお父さんが遭難したという情報が飛び込んできたのです。あちらではTVのトップニュ−スになる程の騒ぎだったそうです。

心臓が止まる様な思いで祈りつつ情報を待ち続けました。「初め4人の不明者中2名が見つかったが、その中にはおられなかった」と情報が入り(誤報だった)、更に祈らせられたのですが、その後、「全員無事に山から降りて来た」という情報が入り、地方版のTVニュ−スをインタ−ネットでも確認しました…便利な世の中になったものです。

 本来なら「良かった〜」で終わる所です。でも気づいた時、「神に感謝の祈りをしていたのです…そして、そこで主の臨在に触れる経験をしたのです。神が、この出来事の上に御手を置いて下さっていた事が分かったのでした…後で、彼の冷静な判断がなかったら他の人々は生きて帰れなかったかもしれなかった事をお聞きしました」…正に、”感謝は神を崇める入り口である事を経験した”のです。

 私共は”「神様ありがとう」と感謝に生きる時、いえ感謝を探して生きる時…私共の不安や、苦しみに、またアガペーの愛の労苦に耐える力が与えられる”のです。この”神を崇め感謝に生きる事は、聖霊の光の中に生きる事なのです…その時、キリスト者の心には、聖霊が満ち溢れ、神が、神の栄光を、その人の人生に現して下さる”のです。

 こうして、「神の栄光を現す」”という人生の目的を果たして行く時、人は虚しさから、鈍く暗い心から解放されて行く”のです。

祈祷>天の父なる神様
 台風も無事に通過し、こうして共に主日礼拝を献げる事が出来ます事に感謝致します。韓国では105名の死者やゆくえ不明者が出たという事ですが、どうぞ、この時、憐れみ御手を置いて下さい。
 この朝、あなたは「先ず神なる私を崇めなさい。感謝をもって私の前に来なさい」とお語り下さいました。私共は、何か起きると、また、重荷を負う時、すぐに心乱され、感謝所でない様な思いになってしまう弱い者です。しかし、あなたは「それでも私を崇め、感謝を探してでも、私の前に出なさい」とお語り下さいます。

 どうぞ、私共の心に「あなたを崇める思いと、感謝出来る心をお与え下さい」そして、「聖霊の光に満たされ、生けるあなたの御業を見て、あなたの栄光を現す事に生きさせて下さい。この素晴らしい光の道の中で、生まれてきて生きている意味を知り、虚しさから解放して下さいますように…。」

 合田千代子姉や御遺族の方々の寂しさをお癒し下さい。躰の弱さを覚えている方々、御高齢の方々、手術後のF姉やS姉の回復の為に、また、四国教区や全国の牧師の中で、弱さを覚えておられる方々を支えお癒し下さいますように…。
 御名によってお祈り致します。             アーメン