「神の力としての福音」

ロ−マの信徒への手紙1:16
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


  神のカとしての福音

            ロ−マの信徒への手紙1章16節A、2003.8/31

 今朝は、先週に続きロ−マの信徒への手紙1章16節から、共に神の言に聴いて参りたいと願っております。

 今朝は、先ず始めに悲しい報告からしなければなりません。私共と共に礼拝を献げて参りましたB兄が、月曜日に容態が急変されて火曜日の午前4時55分に天に召された事です。急な御連絡が続き、驚かれ、心を痛められた方々もおられた事と思います。申し訳ありませんでした。

 B兄が6月に新居浜県立病院に入院された時には、既に胃癌の末期でありました。御家族の方々が奥様のT姉の心労を気遣われ、お話しする事を控えて来られましたので、教会の皆さんに報告しないで参りました事をご理解頂きたいと思います。残されたT姉や、御遺族の上に主イエスの豊かな慰めが与えられます様にお祈り下さい。

 今朝の所で、使徒パウロは「私は福音を恥としない…信じる全ての者に救いをもたらす神の力だからである」と述べております。この神の力という言葉は、原語のギリシャ語では「デュナミス」と言います。

有名なノーベル博士が火薬の実験をしておりました時、ある物とある物を化合したら実験室が爆破してしまいました。真っ青になって実験室から飛び出して来たノ−ベル博士は、「えらい物を発見してしまった。これが平和のために使われたらいいけれど、もしも人を破壊する事に用いられたら世界は壊滅するであろう」と言ったそうです。そして、その火薬の力と火薬の平和利用への願いを込めて、”このロ−マ1章16節の「神のカ(デュナミス)」から、ダイナマイトと名付けた”のでした。

 ”旧約聖書において神の民は、神を力として経験”しました。”主イエスの時代になりますと、「神の力」は、主イエスによって、水がブドウ酒に変えられたり、目の不自由な人の目が開かれたり等、奇跡や、神の癒しにおいて現されるようになり”ました。

 このように「神の力」というのは、”神が生きて働いて下さる事”を言うのです。そして、”十字架と復活による福音が完成してからは、「神の力」は、救いを指すようになったのです。

罪人が永遠の滅びより救い出されて神の子とされ、キリストに似た心と変えられて行く(聖化)事、そして永遠の命を与えられる事を指すようになった”のです…使徒パウロは、この”十字架と復活による救いこそ最大の神の力”と言ったのです。

 人の世は力のある者が勝ちます。ですから、神を知らない人々は、お金の力や、権力や、才能の力を求めます。力を持つ者は、一見社会では華々しく活躍します。けれども、そういう人達の生活の中に一歩入ってみますと、”魂の救いはお金の力でも、権力でも能力でもない事を私共は知る”のです。

松山桑原教会の安井先生が、昨年の献堂記念礼拝で、「人生の幸をプラス、不幸をマイナスの点数で表し生涯を振り返ると、殆どの人は同じ点数である…しかし、Tヨハネ5:5には『誰が世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか』とあるように、キリスト者は、祈りによって神を見上げ、望みのない所に望みが与えられて進み行く力を与えられ、更に、天国まで導かれる”のです。”神の力に預かる者の人生には、永遠の天国の祝福の点数がプラスされる”」と語って下さいました。

「なるほど」と思いました。””主イエスを神の子と信ずる者の人生の収支は、+∞(無限)大”なのです。それは、”お金にも能力にも権力にも代える事のできない祝福”なのです。

 ある宗教学者は「結局の所、宗教というのはお金と病気に関係がある」と言いました。かなりクールな見方ですが、確かに、お金が与えられる、病気が治ると言った事も救いであると思います。
 けれども、”聖書が言う救い”とは、そういう宗教学者の言うような、お金と病気の事ではなくて、”神に背いて来た罪を赦されて、心がきよめられ、神の子供にして頂く事”なのです。

 この地上に長く生きても百年です。永遠の命に比べたらたいした事ではありません。”救いというのは、肉体の生命と共に終わるのではなく、永遠に神との親しい愛の交わりに入れられる事”なのです…”福音とは、そこまで至る救い”なのです。

しかし、「キリスト教は魂の救いの事ばかりで,お金とか病気に対しては無力だから嫌だ」という方もおられます。しかし、”神を畏れ神の御心を御言葉に聴きつつ歩む道は、目先の御利益を遙かに越えた祝福を受ける道”なのです。

 福音とはダイナマイトです…土居町にございます老人養護施設”ちかい”の向かいの山では、頻繁にダイナマイトが仕掛けられ、サイレンと共に煙が立って、地響きと共に大きな岩がゴロゴロと転がり落ちています。砂にダイナマイトを仕掛けてもボワッとなるだけですが、固い岩にダイナマイトを詰め込んで火をつけると激しく砕かれるのです…それは、人の心にも言える事なのです。

 ”どんな頑な人の心も、ダイナマイトの様な、聖霊の火がつく時、心砕かれ造り変えられて行く経験をする”のです。心の罪が聖霊の火によって、心砕かれ造り変えられ…心の傷、悲しみや孤独も聖霊の火に包まれて癒されるのです。

だからこそ、”この神の力を隣人に伝える為にも、私共は、先ず自分自身が、聖霊の火で砕かれるという福音の力を経験したいもの”です。

”自分の心の奥底にある、どうしても御しがたい、コントロ−ル出来ない罪が聖霊の火に砕かれる事を求め、心の傷、悲しみや孤独が、聖霊の火に包まれて癒される事を求めて、聖書に聴いて祈り、イエス・キリストをお招きするのです。

礼拝においても、主イエスに心を開いて主の御前に出る”のです。その時、”主イエスが心を支配して下さり、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」ガラテヤ2:20の御言葉を心に実現して下さる”のです。”そこで人は、十字架で新しくされいた、新しい自分を受け取る事を経験する”のです…”この求めを持たずに1年間礼拝に出席しても、人は変わる事は出来ない”のです。

 B兄の告別式説教でも申し上げましたが、故人は,今年になって体調を崩されるまで、T姉の隣に座られて共に神を礼拝しておられました。教会は勿論、私達夫婦にとりましても、耳が御不自由にも拘わらず礼拝に出席下さる姿は大きな〜励ましでした。

6月に県立新居浜病院に入院され、何時お見舞いに参りましても、御家族の誰かがおられました。B兄は、最後まで愛されながら、また愛する者達の為に生きて帰ろうと病気と闘われました。
月曜日、容態が急変されたとお聞きして、駆けつける前にお祈りした時、主イエスは私の心にヨハネ3:16をお語り下さいました。病院についた時、B兄は40度近い熱と荒い息の中で闘っておられました。

廊下で、子供さんのY兄さんとR姉に、「意識がある内に、天国へ行く準備のお祈りをしましょう」とお話してから、御家族と共にB兄とお祈り致しました。その時、B兄は目を見開かれて聖書の御言葉を見つめ、御家族の涙の中で致しましたお祈りと賛美に目を閉じて心合わせて聴き入っておられました。

ヨハネ3:16「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を(B兄)を愛して下さった。それは御子を信じる者(B兄)が滅びないで、永遠の命を得るためである。」…イエス・キリストは私共の罪を背負い十字架にお架かりになる為に、この世に来られたのでした。私共を、そしてB兄をお救い下さる為、十字架に架けられ、最も悲しく、絶望に満ちた”死の世界に御自身を横たえられた”のでした。

ですから、今、此処で悲しみの淵にいる私共も確信して言う事が出来るのです。「イエス様は、この悲しみと絶望の所を見下ろしておられた方ではない。此処まで来て下さったお方」だと…。

愛する御家族の下から離れて天に帰られた文次兄の寂しさを思います。また、B次兄を天に送られた御遺族の悲しさと寂しさをも思います…これは、”イエス様も十字架に架かる時に味わって下さった痛み”でありました。だからこそ、”イエス様は十字架の3日後に復活”なさって、この”死を絶望の所でなく、慰めと希望を確認する所として下さった”のでした。

”罪赦された者に天国がある事を教えて下さった”のです。そして、今、主イエスは、天国で故人を迎えて下さっているのです。T姉が、病院に泊まられて看病されておられた時、「補助ベットから手を伸ばし、B兄と手を握って眠っておられた」と見回りの看護婦さんが御家族に教えて下さったそうです。

 ”私共は「悲しむ者と共に悲しみなさい」と言われた主イエスの御言葉に従い、T姉の寂しさを共に担いたい”と思います。

 聖書の中に、ある病人の4人の友が、癒して貰おうと友を主イエスのもとに連れて行ったお話がございます…しかし、群衆の為に主イエスに近づく事が出来ず、主がおられる当たりの上の屋根をはがして、友が寝たままで、床の4隅を紐で結んで、上から吊り降ろして、主イエスに癒して頂いたと言う出来事がございます…病人の代わりに4人の友人が癒しの信仰に立ったのでした。

今、私共も、悲しみの中におられるT姉や御遺族の代わりに永遠の命の信仰に立って、心の慰めを祈りたいと思います。この福音の神の力によって、いつの日にかT姉が”天国での再会の希望によって慰められる事”を、共に信じたいと思うのです。

 私共もまた、”自分自身の心の内に於いて、福音の神の力の経験を祈り求め、福音を恥とせず誇る者として頂きたい”と思います。

祈祷>天の父なる神
 今朝、私共は、B兄を天に送った悲しみが溢れる来る中で、共に神の言に耳を傾けました。あなたは、この朝、「福音には救いをもたらす神の力がある」と語って下さいました。
 プリズムが光を7色に分けるように、ホーリネス教団も福音の救いを、新生、聖化、神癒、再臨と整理して神の力を掲げております。

 私共は、心清かにされて、何時も十字架によって罪赦され救われた、この新生の恵み見つめ、あなたの愛と痛みと力とを思い感謝出来るように守って下さい。
 また、聖化も恵みに於ける神の力を体験させて下さい。心の底にある頑な罪や、心の傷の所に、主イエスをお招きし、聖霊の火で砕いて頂き、生ける主イエスと共に生きる神の力を体験させて頂けますように。

 更に、神癒の信仰によって、病める者の痛みを共に負い、あなたの癒しを求め祈り、神の力を見る者として下さい。また死の陰谷を歩む時も。神の平安で守られる神の力を与えて下さい。先週、手術を受けられたF姉をお癒し下さい。S姉の術後の癒しの上にも御手を置いて下さい。他にも病の中にある方々がおられます…支えお癒し下さいますように…。

そして、あなたが復活をもって与えて下さいました再臨と永遠の命の希望を思います。神様にしかお出来にならない神の力を見る事ですが、今、悲しみの中にあるT姉と御遺族の代わりに、私共が永遠の命の希望に立って祈る者として下さい。この希望を与えて下さる神の力によって悲しみの中の中にある方々の上に神の豊かな慰めが与えられるように祈らせて下さい。
尊いイエス・キリストの御名によって、信じ感謝してお祈り致します。 アーメン