「強いられた十字架」

マルコによる福音書15章21〜22節

15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
15:22 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
マルコによる福音書8章34節
8:34「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


  
強いられた十字架  
           
マルコ15:21~22、マルコ8:34、 2003.5/4

 今朝、私共に与えられている神の言であるマルコによる福音書15章21〜22節に、共に耳を傾けて参ります。

”キリスト者の人生は、主イエスの十字架の重さをどれくらい知っているかで決まる”とお聞きした事がありました。”十字架を私への神の愛として、どれだけ体験しているか”によって、”キリスト者の人生は、良い地に落ちた種が豊かな実を結ぶように神の栄光をあらわすものとなります”し、”石地に落ちた種がすぐ枯れてしまうように、実を結ばない生涯ともなる”と言う事です。

この様に、”人生を大きく左右する十字架理解”は、”強いられた十字架の中で培われる”と言う事を、この朝共に学んで参ります。

 私共の人生に与えられる”強いられた十字架”は、”当座は決して喜ばしいと思えない重荷や出来事”であります。しかし、そうした”強いられた十字架こそ恵みの時”となる事を、この聖書の箇所は語るのです。今朝の出来事は、その十字架が決まった後の事です。

 主は十字架が決まって直ぐ鞭打たれました。そして、そのまま”自分が架けられる十字架を背負わせられ、ゴルゴダの丘まで歩かされた”のでした。

エルサレムには、今日でも、主が十字架を負って歩いたと言われる道がありまして、”ヴィア・ドロロサ…悲しみの道”と言われております。私もTVで観た事がありますが、受難週に成りますと、巡礼者達が、その道を歩くのです…中には、裸になって自分を鞭打ちながら歩く人もおりました。

 この道を歩く主イエスは、2日前の夜はゲツセマネの園で血の汗を流す徹夜の祈りをなされ、前夜も徹夜の裁判を受けて鞭打たれたばかりだったのです。

しかも、その鞭打ちは尋常なものではありませんでした。鞭の先には鉛の玉がつけられており円心力をつけて打ち付けられたのです。更に、鞭全体に小指大の棘が付けられており、躰から剥がれる度に、肉片がえぐり取られるという凄惨なものでした。40回叩くと、背骨を損傷して死んでしまうので39回迄と定められていた程です。

”精根尽き果てていた主イエスには、もう十字架を背負って歩く余力は残っていなかった”のでした。よろよろ歩いては倒れ歩いては倒れする姿に業を煮やした兵士は、”おもむろに見物人の中からシモンを選び出し、主イエスに代わって、シモンに十字架を負わせた”のでした。

 この様なわけで、キリストと縁もゆかりもなかったシモンは、”十字架の重さを知る人物となった”のです。どの福音書も、この場面の詳しい描写をしておりませんが、4福音中、3つの福音書が、”シモンという名のクレネ人が、イエスの十字架を強いられて負わせられた”事は記しているのです。

この時、祭司長、律法学者、ローマの兵士達、群衆、そして、主イエスの隣に十字架につけられていた犯罪人迄が、”嘲り罵る側の道”におりました。そんな中で、シモンだけが、反対側の”十字架を負う側の道を強いられた”のでした。しかも、当時この十字架は、”神の呪いを受けた者がつけられる”と言われていたものだったのです。

 さて、このシモンという人物はどんな人だったのでしょうか?…先ず言われる事は、”クレネ人のクレネという地名から、北アフリカ出身だった”と言う事です。他に聖書は何と言っているかと申しますと21節に「アレキサンデルとルポスの父シモン」と、簡潔に記述しております。
この余りに簡単な説明が物語る事は、”この聖書が書かれた時代のキリスト者達は、皆、アレキサンデルとルポスを知っていた”という事です。アレキサンデルとルポスと聞くだけで「ああ、あのシモンの子供だな」と分かったのだと思われます。

 ローマ16:13には「ルポスと彼の母」ともございます…同一人物と証明する事は出来ませんが、よく言われる事は、このシモンは、おそらく同一人物であり、この後、彼はローマに移り住んで、”誰もが知るクリスチャン・ホームを築いていたのではないか”というのです。

 ドロロ−サの道を十字架に向かって歩む主イエスについて、聖書が、このシモンの事だけを記したのは、”神が、この出来事に深い意味を見出して聖書記者に書かせた”と理解できるのではないでしょうか?…何故なら、シモンは、”とばっちり”としか思えない、この”強いられた十字架を通して信仰に至った”からでした。

 ”強いられた十字架”…それは、”心に深い傷を負わせる悲しみや苦しみ”かも知れません。しかし、キリスト者が、主イエスに癒されて、その事に、”神の導きを信じる事が出来るようになった時、そこで本当の意味で、キリスト者としての歩みを始める事が出来る”のかも知れません。

何故なら,そこで、”主の十字架の重み、痛み、愛を知る事が出来るから”です。

 前任地の時、青森で開かれた東北バイブルキャンプでのお証をさせて頂きます…そのキャンプに福島教会からSさんという45才の方が参加されました。S兄は下半身が動かず、発音も思うように出来ない障害をお持ちの方でしたが、手だけで這うようにお風呂に入られたり自立されている姿には頭が下がりました。

 彼は7才の時に、養護施設に入られました。その時彼は、親に捨てられた様に思い、窓の外を同じ位の年の子が学校に通う姿を見て羨ましくて涙されたそうです。その後、施設を転々とされ、24年前の宮城沖地震の年に母親を、その3年前に父親を亡くされており、その後、1人で生きて来られた方でした。

6年前に受洗の恵みに預かられ、何時も礼拝の1時間前から1番前の席で祈られるようになられました。キャンプ時も、その姿は変わりませんでした。S兄の祈りによったのだと思いますが、聖霊のご臨在を感じて説教しやすかったのを覚えています。また「私は今、神様の傑作品だと心から言える」と証される姿に、恵まれたキャンプとなりました。

私はS藤兄が、”強いられた十字架によって、主の愛に導かれた”事をしみじみと思わされました。

 今、皆さんの中にも、”自分の強いられた十字架”を思い浮かべておられる方がおられるかも知れません…ここで私共は共にマルコ8:34の御言葉に耳を傾けたいと思います「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」…”自分の十字架を負う道は、主イエスの御足の跡を主と共に歩む道”なのであります。

カトリックの司祭のブリュックベルジュという人が書かれた「キリスト伝」という素晴らしい書物がございます。その本の中に、「十字架について書き記しているとブリューゲルという画家が描いた”十字架の道行き”という絵を思い出す」と言う文がございました。

この”十字架の道行き”という絵はカトリックの聖堂などに掲げられている絵でありまして、”主イエスが、この悲しみの道を歩いてゴルゴダの丘に至る迄を14の場面に描いているもの”です。ですから多くの画家に描かれている絵でもあります。

 所が、ブリューゲルの描く”十字架の道行き”という絵だけは独特でありまして、遠くから見ると、大きな花束を描いたように見えるのだそうです。近づいてみると、1つ1つの花の中に、”いろんな人々の悩みが描かれている”のです。

捨てられた女性。背中を刺されて死んだ男。自分の子供が死んでしまい手放す事が出来ず子供を抱えて嘆く母親。重い皮膚病の患者が、感染をさける為に、自分の存在を人々が気づく様にと鈴をつけさせられている姿。

その様な苦しみの花の中に、”真ん中ではなく、端の方に目立たないように、十字架を負っている主イエスの姿が描かれている花がある”のだそうです。

 「キリスト伝」の著者ブリュックベルジュはこう言います「キリストが、我々と共に苦悩に関わって下さる事を防ぐ力は我々には無い。主は、目立たない仕方かもしれないが、人の苦しみや死の所で必ず一体となって下さるのである。それこそ、最高の神の愛の徴である」と…。

 ”強いられた十字架の苦しみの場は、主イエスと1つとなる場”なのです…”強いられた十字架を負って歩む姿は、主イエスの眼差しの前にあのです、主は痛む人を放っておかれる方ではありません。必ず関わって下さる”のです。”主イエスは、人の心という隠れた世界において関わって下さる”のです”。

 ”主イエスは、そこで人の心と1つになって下さる”のです。正に、”人々の苦しみという花が、主イエスの十字架と言う花と1つの花束の中にあるように、主と1つとなる”のです。
それは”聖霊に導かれる経験”です…”聖霊が苦しみ痛む者の心に注がれて、主イエスのお心と1つとして下さる”のです。”人はそこで十字架の愛と痛みを知り、主に支えられつつ歩んで行く”のです。