「新しい歌を主に向かって歌え」
詩篇98:1〜9
98:1 新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって/主は救いの御業を果たされた。
98:2 主は救いを示し/恵みの御業を諸国の民の目に現し
98:3 イスラエルの家に対する/慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は/わたしたちの神の救いの御業を見た。
98:4 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
98:5 琴に合わせてほめ歌え/琴に合わせ、楽の音に合わせて。
98:6 ラッパを吹き、角笛を響かせて/王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
98:7 とどろけ、海とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものよ。
98:8 潮よ、手を打ち鳴らし/山々よ、共に喜び歌え
98:9 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き/諸国の民を公平に裁かれる。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995
「 新しい歌を主に向かって歌え」 詩篇98篇1−9節 2003、1/1
新年おめでとうございます。新しい年、AD2003年が始まりました。”AD(西暦)というのは、ラテン語のアンノ・ドミニ(主の年)の略語”です。主イエスが、この世に来られて世を支配されて○○年目という言葉”であります。
今年は羊年です…経済危機や、暗雲立ち込める世界情勢を乗り越える「メエ〜案?」はありませんが、私共は、新年を迎えたこの日に、礼拝に於いて主イエスが今年も御支配下さる事を、共にしっかりと見つめたいと思います。
この新しい年の始まりに、聖書から私共は「新しい歌を喜び歌え」との語りかけを聴いております…では、私共は一体何を喜び歌うのでしょうか?
先月、2人の青年が、十字架への信仰によって救いに預かり、私共の教会の仲間として加わりました。Tコリント1:18に「十字架は…私達、救われる者には神の力です」とございます…私共は、この”神の力への驚きを喜び歌う”のです。また,この”喜びの歌”は、”主に向かって献げる歌”ですから、”日々の礼拝でもある”のです。
モーセの時代、イスラエルの民がエジプトに於いて奴隷生活から解放された時、”先ず、した事は礼拝”でした。時代が過ぎて、敵の国に滅ぼされ捕らえ移されたイスラエルの民が、その捕囚の地から戻ってきた時にも、やはり”最初にしたのは礼拝”だったのです。更に、十字架に架かられ、3日後に、死を打ち破って復活された主イエスに出会った弟子達も、主の前にひれ伏して礼拝したのです。
これらの事は、”神の救いの御業”を見た者達が、”先ず、なすべき事は何か?”を語ります。
何故なら、”人は自分の救いの為には何も出来ない”からです…旧約聖書の四千年の歴史が、それを証明しているのです…人の救いの道は、”神と御子イエスが切り開いてくださった道”なのです…それゆえ、”先ず、礼拝をもって感謝を献げる”のです。
「新しい歌を主に向かって歌え」…昨年のクリスマスの祝会で、青年や子供達がピアノやギターやドラムや手話をもって賛美して下さいました。土居教会にとって初めての事ではないでしょうか?…彼等の若々しい賛美に新しい力が与えられた思いが致しました。
この朝、私共が「主に向かって歌うように」と促されているのは、「新しい歌」です…しかし、これは、新しい歌を練習して歌う事ではありません。”普段、歌っている賛美を新しく歌う”事なのです。
聖書は言う”新しさ”には、もっと深い意味がございます…それは、流行歌の様なものではありません。今のものが古くなって,次々と新しいものがつくられる”新しさ”ではないのです。
この「新しい歌」の「新しい」という言葉が最上級になりますと、「最も新しい事」となります。そして、聖書は、その言葉を、”終末(世の終わりのキリストの再臨)を指す言葉”として用いているのです。
9節を見てみますと「主は来られる、地を裁く為に。主は世界を正しく裁き、諸国の民を公平に裁かれる」とございます…確かに、”此処では、その事を指している”のです。
此処には、”世の終わり(終末)”に、”キリストが再臨され、キリストが愛と力をもって御支配下さる事”が記されております。
”世の終わり”については、なかなか実感が持てませんから、主イエスの再臨については、まだ、おぼろげな信仰の方もおられるかも知れません…しかし、”今、十字架への信仰によって、救いにあずかる者がいる事こそが、世の終わりに、主が再臨されて救いが完成する徴(保証)”なのです。
聖書が私共に「新しい歌を主に向かって歌え」と命じるのは、「世の終わりに、キリストが御支配下さる事への希望から生まれる歌」なのです…”主イエスが愛と力による支配する世界を待ち望む歌”なのです。
昨年のW杯の時、日本代表の試合の前のワクワクした思いを忘れる事は出来ません。しかし、W杯は過ぎ去ってしまいました。しかし、”主イエスが再臨されて生まれる世界は終わる事が無いのです。
その世界が、私共の心に清かに描き出されて行く時、期待と希望が生まれて来るのです…それは、世の荒波に揉まれる中でも、私共の心に、日々喜びをもたらす”のです。
更に,この、「主が再び地上に来られて裁かれる」の「裁かれる」と言うのは、「罰を与える」と言う事ではなく、「神が愛と力で御支配なさる」という事なのです…そこでは、日々老いていく寂しさもなくなり、病や死の悲劇も無くなります。この世で傷ついた心にも慰めを与えられる…”逆転の世・賛美と平安に満ちた新しい希望の世界”なのです。
そうしますと4節の「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」と言う意味も分かって参ります…私共が献げる歌は、”「主の支配を待ち望んで主に向かって歌う歌」”なのです…”終わりの日に、主イエスが完成される救い世界を見つめて歩む時、この世の荒波の中で、病の中で、死を迎える中でさえも、日々、新しい喜の歌が生まれて来る”と言うのです。
この”喜びの歌”を最初に歌ったのは、イスラエルの民でありました…1〜3節に「右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。主は救いを示し恵みの御業を諸国の民の目に現し…。地の果てまで全ての人は、私達の神の救いの御業を見た」とございます。
これは”モーセの時代、イスラエルの民が、エジプトでの奴隷生活から救い出された神の御業を歌ったもの”です。
”その、既に起きた救いの経験から、「地の果てまで全ての人は、私達の神の救いの御業を見た」と、世の終わりの救いの完成を待ち望む信仰が生まれた”のでした…今、”新しい神の民である教会も、人が救われて行く、驚くべき救いの御業を通して、やがての日に、主イエスの再臨を待ち望む信仰へと招かれている”のです。
更に詩編は歌います。7節「とどろけ、海とそこに満ちるもの。世界とそこに住むものよ。潮よ、手を打ち鳴らし、山々よ、共に喜び歌え。主を迎えて」と…。
その時、”人間に限らず、神に造られた全てのもの(被造物)が、主の再臨を喜び歌う”と言うのです。ローマ8:22「被造物が全て今日まで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている事を、私達は知っています」…”神の栄光を現す場として造られた世界が、人間の罪によって破壊され、傷つけられて呻いている…そして、この世界全体が、主の再臨を待ち望んでいる”と言うのです。
私共も今、新年の初めに立って、共に、新しい喜びの歌を歌おうとしております…しかし、”この新しい歌は、この日だけで終わるものではありません…歌い続けるもの”なのです。
”苦しみの中でも、世の終わりの慰めと逆転を見つめ、その希望によって、日々新しい喜びに預かる為”です…”主が、既に成し遂げてくださった、私共の救いという驚くべき御業を振り返って喜び合いながら、やがて主が再臨されて、救いが完成する日を待ち望み続ける時…心から「マラナ・タ」(主よ来てください)と歌う希望が与えられる”のです。
神の子達の歌う新しい歌が響く時、天使達が歌ったあのクリスマスの賛歌が成就します。「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。聖書でいう「平和」は、ヘブライ語の「シャーローム」という言葉で、戦いが無いというだけの「平和」ではありません…”神の愛と力の下に安心する「平安」”なのです…”苦しみの中でも、なくならない平安”です。
十字架によって、神との間の平和を回復して預かる、この「平安」を知った者達には、終わりの日の希望が生まれ、そこに「新しい喜びの歌」が生まれて来る”のです。
新しい年の初め、私共は、”日々新しい喜びに預かる為、既に、私になされた主の救いを顧み、やがて与えられる、世の救いの完成を待ち望みつつ、「新しい喜びの歌を歌う」歩みをする事”を心に刻んでは如何でしょうか?
祈祷>天の父なる神
昨年の歩みを振り返る時、私共の上にも、世界に於きましても、様々な事がございました。
その様な中にあって、主イエスが、真実な、愛と力の御手をもって、導いて下さった事を思い起こして感謝致します。
新しい年が始まりました。世の嵐は更に激しくなるように思います。私共の体も年ごとに老い、病にかかりやすくなります。経済も危機の中にあるままです。世界も激動する中、平和が遠ざかって行くかの様に思えます。そうした中で、私共は、ともすれば、暗雲の上の太陽を見失うかの様に、神を見上げる事が出来なくなる弱さを覚えます。
しかし、そうした時であるからこそ、尚更、どの様な中でも失われない平和をお与え下さい。やがて再臨して来て下さる主イエスが治める世界を、私共の心に清かに描き出して下さい。そこにある逆転と慰めを教えて下さい…そこから日々、新しい喜びに預かり、今の時も、真実な愛と力をもって御支配下さる、主イエスと共にある事に目を向けさせて下さい。
今朝から始まる1年も、主イエスの愛と力の御支配の下、支えと慰めと喜びに預かる年として下さい。 御名によってお祈り致します。アーメン
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