「神の真実を求めて」
ロ−マの信徒への手紙3章1〜4節
3:1 では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。
3:2 それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。
3:3 それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
3:4 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
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「神の真実を求めて」
ロ−マの信徒への手紙3章1〜4節、 03.12/16
今朝は、ロ−マの信徒への手紙の3章1〜4節から、”心の深い所において主イエスと出会う”という事について、共に神の言に聴いて参ります。
精神医学者に、土居健朗という方がおられます。この土居先生の著書に『表と裏』という書物がございます。この本には、”心の病”について「人間は心の底にある秘密の部屋を大事にしないと心の病になる」と記されております。
”心の中の秘密の生活”というのは、「心の底の誰も入って来ない部屋」と言う事です。そして、「ノイローゼ、神経症になる人の多くは、自分の病の原因を、何かのせいに求めがちであるが、自分の心の底に秘密の部屋があるのを知らず、その部屋を持て余しているからだ」と言われるのです。土居先生は「心の病から癒される秘訣は、心の底にある秘密の部屋で、安心できる生活の術を見つける事だ」と言われるのです。
私自身、神経症を患った経験を持つ者として、土居先生の言葉に、思わず「その通りだ」と共感しました。”人は緊張の中でゆとりを失う”からです…それは,キリスト者であっても同じです。同じ生身の人間だからです。”強いストレスが続きますと、ゆとりを失って神経を病んだり、心の病になってしまう事がある”のです。ですから、”心の一番深い所にある誰も入って来ない部屋でゆとりを持つ事が大切”なのです。
それは、”自由、遊び、心の余白"と言い換えても良いものです”心の余白”というのは、決して無駄な所ではありません…例えば、幼い頃、サンタクロースを信じた心の部屋は、大きくなっても残り、”夢や、信仰が住む部屋となる”のです…”誰にも知られない心の部屋が豊か”になりますと、”心が健康を回復してくる”のです。
パウロは、この”心の秘密の部屋に、主イエスではなく、罪を迎え入れて、安心を失ってしまったユダヤ人の惨状を示す為”に、ロ−マ1章の後半から延々と、厳しくユダヤ人批判を記して来たのでした…その結果、”ユダヤ人は立ち所を失った”のです。
”立ち所を失った人がする事は決まっています…人と自分を比較する事”です。”「あの人より、自分の方が少しはましだ」と思い安心しようとする”のです。そして、”人と自分を比較して安心出来るものがなくなりますと、人はいとも簡単に心の余裕を無くしてしまい。ある人は心の病に陥る”のです。
しかし、”本当の安心というのは人と比較しない所に生まれる”のです…ではどうして本物の安心を得たら良いかと申しますと、”イザヤ43:4(新改訳)に「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」とあるような、神の受容の言葉を聴く事”なのです。
昨年の流行歌に「世界にたった1つだけの花」という歌がありました。その中に「No1にならなくてもいい。元々特別なOnly One」という歌詞がありました。聖書の言葉をヒントに作った歌詞かなと思う歌です…何故なら、”聖書は、「神は、私共1人〜を、世界でただ1人の作品として造り愛していて下さる」”と記しているからです。
しかし、”ユダヤ人は、あくまでも人との比較に自分の価値を見出そうとした”のでした。そこで、パウロはユダヤ人達が優越感の拠り所としていた”割礼”を1節で,「ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の益は何か?」と問うたのです。この言葉は、”ユダヤ人を更に追い詰め、神以外に拠り頼む所が無いと気づかさせる為だった”のです。
1節で「では、ユダヤ人の優れた点は何か?」と問うたパウロは、続く2節で「彼らは神の言葉を委ねられたのです」と答を述べて、”彼等の心を神に向けさせ始めた”のです。
この「委ねる」というのは、”信頼して任せる”という事です…”パウロは「神はユダヤ人のあなた方を信頼して、神の言を任せ、生ける神を証する様に託されたのではないか?…あなた方は人との比較に生きるのではなく、神があなた方を信頼して神の言を託して下さった、<神の受容>を思いなさい」と言った”のです。
3節に「彼らの中に不誠実な者達がいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか」とあります…パウロは、「ユダヤ人の不誠実な行いのせいで。神の御業を見る事の出来る、真実な神の言を、不真実なものに見せ来た…しかし、神の真実は無にならない」と言ったのでした。
続く4節でパウロは「神は真実な方であるとすべきです」と言いました…それは,「人や自分が、どんなに不真実でも、神は真実である事を認める・受け入れる」と言う事なのです…ですから私共は、”自分の弱さや思いを超えて、真実なる神を仰ぎ見なければならない”のです。
宗教改革者のルターは、この4節の「決してそうではない。人は全て偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです」という御言葉を、「神よ、どうか私の内で真実を行って下さい」という「祈り」だと言いました。
何故なら、ルターは幼少期に父親から受けた、鞭打ちなどの体罰を含めた厳格な教育のせいで、鬱病となり、鬱と戦った人だったからです。”自分の内の弱さを見つめる時、自分が神の言に生きられる自信を持てなかったから「神よ、どうか私の内で真実を行って下さい」”と祈らずにおれなかったのでした。
パウロは、此処で詩篇51篇の4節を引用しました。「神は真実な方であるとすべきです…それは、あなたが…裁きを受ける時、勝利を得られると書いてある通りです」。
この詩篇51篇は、”悔い改めの歌”と言われます。”信仰者の代表者とされるダビデの悔い改めの歌”なのです。
ある時ダビデ王は、家来の奥さんが美しいので、手に入れたくなり、その家来を、一番激しい戦地に送り殺してしまったのです。そして、”その罪の恐ろしさに気づいた時に、ダビデが詠んだ歌”なのです。
”ダビデは、「私は不真実な罪人です…私は生まれた時から不真実だった。生まれた時から病んでいた」と告白した”のでした…この時、”ダビデは、はじめて自分の心の底の部屋の現実を悟った”のです。そして,「それでも神よ。あなたは真実です…どうぞ不真実な私の内にあって、あなたの真実を貫いて下さい」とダビデは祈ったのでした…それから”神はダビデの人生を大きく祝福し、ダビデは神の器として用いられて行った”のです。
”人は「自分は間違っていない」と言い張る内は、心の底の部屋が病んで行く”のです。それに打ち勝つ道は、「神よ、私は不真実な罪人です。でも神よ、私は神を真実な方であると認めます。どうかあなたの真実を、あなたの力で私の内に貫いて下さい」と、”心の主人の座を、主イエスにバトンタッチする”しかないのです。
”4節の「あなたは…裁きを受ける時」とあるのは、キリストが十字架に架けられる事”であります。そして、「勝利を得られる」と言うのは、”その十字架という主の真実によって、私共の罪が赦され、神の義が与えられ、天国が約束される”と言う、”勝利の道が開かれた事”なのです…そして、”その後も、自分の力ではなく、主の真実な神の言によって勝利して行く”のです。
先程、土居先生が、「我々の心の奥底にゆとりがないと病気になる」と言いました。今、私共は、”本当のゆとりを得る道”を聴きました…”心の底の秘密の部屋に、主イエスをお招きして、心の主人の座をバトンタッチする”のです。
「自分が信じる。自分が真実に生きる。それが信仰だ」と思っている間は、ゆとりが生まれない”からです…そうではなく、”自分の不真実に勝って、神を真実とする(信じる、「真実を行って下さい」と祈る)”のです。
パウロは、この所で、「あらゆる人(自分も含む)を偽り者としても、神は真実だと言おうではないか。信じてそこに立とうではないか」と言ったのです…”これは、「私共の心の底の秘密の部屋を、真実なキリストの部屋として下さい」と言う祈りへの呼びかけ”なのです。
たとえば、”ノイローゼや、心を病んだ時、人は頑張る事が出来なくなってしまいます”…そんな時は、”自分で祈ろうとする必要はない”のです。「神さま祈れません。この祈れない自分を助けてください」と、”そこでこそ、神の真実に委ねる祈りを覚える事が出来る”のです。そして、そこで”4節の「あなたが審きを受ける時、勝利を得る為」と言う事の意味を知る事が出来る”のです。
”神の子イエスが、十字架で審かれたのは、私共が弱さの中で勝利に預かる道を開く為”だったのです。この朝共に、私共1人〜の”心の奥底の赤裸々な部屋に、心の秘密の部屋に、真実なる主イエスをお迎えして安心し、新たな命に生きる”事を祈り求めたいと思います。そして、私共が、同じ弱さを持つ方々、病んでいる方々の為にも、共に祈る者となれたら幸いです。
祈祷>天におられるイエス・キリストの父なる神様
私共は罪に病む者であります。弱さに病む者であります。そんな罪と弱さの中にありながら、尚も、人と自分を見比べ安心しようとする小さき者であります。どうぞ、この朝、私共の心に、あなたを見上げる思いを与え、心の部屋にあなたをお迎えする決心をお与え下さい。
そして、心の内に、神の真実に憩う、ゆとりと自由を与えてくださいますように。あなたの愛の中で安心する…その信仰の確かさに、驚きの目を開く事ができますように。
更に、死に立ち向かっているときにも、この心の秘密のゆえに、勝利する事ができますように。
弱って来られたW姉、また、病や弱さ、重荷を負って過ぎし週を歩んでこられた兄弟姉妹のお1人〜を覚えて御手を置いて支えて下さいますように。
教会堂の屋根の修繕や、壁の塗装の上にも最善の道をお開き下さるようにお願い致します。 主イエス・キリストのみ名によって祈り願います。 アーメン
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