「主の証人」 説教者:千葉聖子
使徒言行録1章1〜11
1:1 -2 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
1:7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
1:9 こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
1:10 イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、
1:11 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995
「主の証人」
説教者: 千葉聖子
先週は、ペンテコステ礼拝でした。2千年前主イエスが昇天されて、弟子達が祈っている所に、聖霊が降って来ました。
それまで臆病だった弟子達が、人が変わった様に、伝道を始め、1日で3千人もの人々が、主イエスを信じたのです。そして、主イエスを信じた人々が集まって、賛美し祈り始めた所が、教会となって行ったのです。
先週の、土居教会の礼拝も、米田浩史宣教師をお迎えして、賛美礼拝の時を持ちました。素晴らしい証と賛美を聴きながら、そこに聖霊のお働きを感じました。「今は、聖霊が働かれている時代なんだなあ」と実感させられました。
今朝の箇所は、主イエスが復活されて40日に渡って、弟子達や多くの人々とお会いになり、復活された事を証明され、昇天される迄の所です。
主イエスは昇天される前、弟子達との食事の席で、「エルサレムから離れず、前に私から聞いた、父の約束を待っていなさい」、「父の約束をもらうまで、待っていなさい」と命じられたのです。
<待つ>と言う事は、案外私達にとって大変な事だと思います。
先週、テレビを見ていると、サッカーのワールドカップの出場の為、カメルーンの選手の一行が、九州にある中津江村にやって来ないというので大騒ぎをしておりました。報道陣や観光客などが押しかけ、今か今かと待ちわびておりました。中津江村は人口1800人の小さな村で、村の相当の予算を使って、サッカー場を整えたり、宿泊施設を作ったり、と大歓迎して待っていたのです。本当は19日に到着のはずが、延ばしに延ばされて、4日も経った23日も終わろうとしている頃に、やっと福岡空港に到着し、中津江村に着いたのは、日付も変わった24日でした。おかげで毎日報道があったので、中津江村は一躍有名になりましたが…。
役場の方々や関係者は、情報がくるくる変わるので、その対応の為、疲労困憊されていたようです。
<待つ>と言う事は、疲れる事だと思います。
我が家の事で恐縮ですが、家の子供達も色々欲しい物があるんですね。その時「それは、誕生日に買おうね。それはサンタさんに頼もうね」と言って、すぐには与えないで待たせる事にしています。ですから、下の子は12月に、誕生日とクリスマスを迎えるのですが、どちらも欲しい物が既に決まっています。いつ何をもらえるかが、はっきりしているからこそ待てるのだと思います。
主イエスは5節で「あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」と<もうすぐ、聖霊が与えられる>と約束してくださいました。
しかし、弟子達は、”バプテスマのヨハネが水で洗礼を授けている”所は、見た事がありましたが、主イエスの言われる「聖霊による洗礼」の意味が全く分かりませんでした。弟子達は、聖霊が降るという事は、神様がローマに占領されているイスラエルの国をもう一度復興して下さる事かと思ったのです。
しかし、主イエスは、弟子達に「イスラエルを復興させる事は神に任せておきなさい。聖霊が降るという事は、あなた方が、主の証人になる力を受ける事なのだ」と言われたのです。
その主の証人となる為に、4節「エルサレムを離れず、前に私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」と言われたのです。
弟子達は、主イエスが昇天された後、エルサレムに留まって祈り始めました。そして10日目のペンテコステの日に聖霊が降ったのです。
2章1〜4節を見ますと「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。
何か、SF映画を見ている様ですが、当時の弟子達が、表現できうる言葉で伝えたのだろうと思います。弟子達が、今迄,経験した事のない、激しい風の様な音が聞こえてきて、炎の様なものが一人一人の上に留まって、おのおの聖霊に満たされて外国の言葉で語り出した、と言うのです。
では、「聖霊が私達の上に降り、主の証人となる」とは、どの様な事でしょうか?
「主の証人になる」と言われても、私達は、日々の生活で精一杯です。他から力が与えられなければ、更に何かしろと言われても無理なのです。
聖書は「上から力が与えられ、主の証人とする」と言うのです。教会でも、がっかりする事があります。それが現実です。しかし、そこで諦めてしまったら、教会がキリストの教会と成って行かないのです。私達の内にも、弱く罪深いという現実があります。神様はそういう私達が、キリスト者として生きて行く為に、また、キリストの躰なる教会として生きて行く為、「上から主の証人となる力を与えてくださる」のです。
また、聖霊が降るという事は、「主イエスが私達の心に来て下さる」と言う事です。それゆえ「この教会において、主イエス御自身が、ここにおられる」という世界が創られて行くです。そこに、聖霊が働いてくださり、教会は聖霊によって生かされて行くのです。
預言者エゼキエルは、谷一杯にあった枯れた骨に、神様が息を吹き込まれると、骨が音を立てて生き返る幻を見ました。それが、私達にも起こる聖霊の奇跡なのです。私は、どうせこの様な者なんだ、と疲れ果てて座り込む所で、上から聖霊が与えられ立つ事ができるのです。
聖霊を受けるという事は、その様な弱さの中で”主の証人となる力が与えられる”という事なのです。
しかし、その為には、”エルサレムに留まって聖霊を待ち望む”事が大切なのです。エルサレムに留まると言う事は、私達にとって”今、居る所で祈り待ち望む”と言う事です。
今、祈祷会で「ヤベツの祈り」を学んでおります。
その中に、「私の地境を広げて下さい」という祈りがあります。それは、私の土地を広げて下さい、という意味ではなく、「私の宣教地を広げて下さい」という事です。
先週、来て下さった米田浩史宣教師は、日本全国、海外まで宣教師として働かれておりますが、私達はなかなかそういう訳にはいきません。
しかし、この祈りの中には色々な意味が含まれていると思います。私もこの祈りを祈り出してから、近所の方と話すチャンスが訪れたり、町内の子供会に出る事が多くなったり、学校の先生との関わりが出来たり、と今、私が居る所から、少しずつ証をする場が広げられてきている様に思います。
私達が今居る所で、祈って待ち望んで行く時、私達の宣教地が広がるのです。「私が主の証人とされて行く」のです。
また、土居教会も祈祷会で、多くの方々と祈るようになりました。その中で、先週の賛美礼拝においては、「神様を信じたい」と決心された方々がおられました。本当に感謝な事です。
私達が、今居る所で、また教会で共に心を合わせて祈って行く時、聖霊によって、宣教の業が進められて行くのです。
私達は、弱く、罪深い者ですが、そこに聖霊が与えられて、「主の証人」とされている事を、共に信じ共に感謝したいと思います。