「第九の戒め」
出エジプト20:16
20:16 隣人に関して偽証してはならない。

ヤコブの手紙3:5〜10
3:5 同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
3:6 舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。
3:7 あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。
3:8 しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。
3:9 わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。
3:10 同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


  第九の戒め

*皆さんと共に学んで参りました十戒も終わりに近づいて参りました。今朝は”第九の戒め”を学んで参ります。

「あなたは隣人について偽証してはならない」という戒めです。

  
T、偽証するという事

 隣人に対する言葉の多くは、その人の心の奥から出て来る言葉です。

今朝、私共が学ぶ”偽証”も悪意ゆえに口から出て来る言葉です。

また”偽証”は法廷用語でもあります。今日、裁判で証言する事は非日常的な事と思います。しかし、当時のユダヤ社会においては日常的な事だったようです。

 現代の様に警察もなく科学的調査も出来ない時代ですから、証人の証言が非常に重要でありました。

証言1つで、無罪の人が冤罪を被ってしまうのです…ですから”偽証”は、”嘘をついて人を陥れる”大きな罪なのです。

特に死刑の判決を下す時に間違った判決を下さない様に旧約聖書の申命記は数人の証言を定めたのです…例えば、マルコ書の14章には、主イエスを死刑にする為の偽証が一致しなかった事が記されております。

 そして、また、この問題は聖書時代に限ったもので無く、なお今日の問題でもあるのです…まだ記憶に新しいのは、国会のNGO派遣問題で「言った言わない」のドタバタ劇の末、田中外務大臣が更迭された事です。誰かが嘘をついているのです。

”偽証”というものは、人を引き上げる為にする事は殆どなく、”人を引きずり降ろす為にする”ものなのです。

ハイデルベルク信仰問答の問112では、”第九の戒め”を次の様にまとめております。 

問112 「第九戒は何を求めていますか?」

答 「私が誰に対しても…言葉を曲げず、陰口をきかず悪口を言わず、誰をも調べる事なく、軽率に罪に定める事を助けず、かえって全ての虚言、詐欺を悪魔自身の業として、神の重き怒りをおそれるゆえに避けて…。」 

 この様に、”偽証”と言うものは、”曲がった言葉(一方の見方に偏った言葉)、陰口、悪口によって、誰かを引き下げる事であり悪魔に利用される罪”である事と見て参りますと…私共の間でもしばしば経験致します”一方の人の話しだけを聞いて誰かの批判をする事も偽証”だと改めて気づかされるのです。

 私共は、朝起きてから寝る迄、いろんなおしゃべりを致しますが、自分が思う以上に他人の話をしているのではないかと思うのです。

そして、その”他人の話”というのは、思っている以上に、”一方的な情報だけで「あの人はこんな人だ」と”悪いレッテルを貼り人を引き下げている”のではと思うのです。

 これを”偽証”と言うとちょっと厳しすぎるのでは?…と思うのですが、”事実以上に、人を引き下げているならば、やはり偽証であり、弁明出来なかった者を深く〜傷つける”のです。

  
U、舌の制御

 ヤコブの手紙3章5節以下に次の様な記述がございます「同じ様に、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は『不義の世界』です。私達の体の器官の一つで、全身を汚し移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる…生き物は人間によって制御されています…。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私達は舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟達、この様な事があってはなりません。」 

 ヤコブは教会員に「舌を制御できる人は一人もいません」と語りました…私共も、人は自分の口を制御出来ない者である事を知っています。感情から思わず口をついで出てくる言葉をどうする事も出来ない事がままある事を私自身が痛感しております。

 先のヤコブ書の3章1節では「あなた方のうち多くの人が教師になってはなりません」ともございます…これは、神の言を執り継ぐ説教に於いてでさえ、感情によって人を裁く言葉を語ってしまう事があり、それは人を深く傷つけ神の裁きを受けるからなのです。

 この様に”人間が躰の中で最も制御出来ないのが口なのです。”…正に、”小さな言葉の火が大きな森を燃やして行く”のです。

先々週、土居でも火事があり、消防車が到着する前に近くを通っていたのですが、家を包んで燃え上がる炎は本当に怖いものでした…”小さな言葉が、その様な大きな炎に至る”というのです。

ですから聖書は、この罪を”人を呪う事”だと言うのです。”最も制御の難しい舌”は、”人の心を殺す「死をもたらす毒」となる”事を”キリスト者は心に刻まなければなりません。”

  
V、偽証の克服

 主イエスはルカ6:37で「人を裁くな。そうすれば、あなた方も裁かれる事がない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなた方も罪人だと決められる事がない。赦しなさい。そうすれば、あなた方も赦される」と言われました。

”偽証という隣人を引き下げる罪から解放される事は、私共自身が、主イエスの赦しと祝福に預かる事が出来るかが掛かっているのです。”
 では、どうしたら”人を引き下げる偽証の言葉”を捨てる事が出来るのでしょうか?

教会の改革者マルティン・ルターは、この”第九の戒め”についてこの様に語りました「私共は、先ず神を畏れ愛する。だから隣人に対して、偽証をして人を裁いて陥れるという事をしてはならない」と…。

勿論、これは、どの戒めにおいても言える事です…「私共は、先ず神を畏れ愛している…だから殺してはいけない。盗んではいけない。偽証してはいけない」…確かに、ルターの言う様に、”私共が偽証をして、隣人を引き下げている時には、神を畏れ愛せなく成っている時なのです。
 ”私共が真実に神を畏れ愛している時には、”神を褒め称えている言葉をもって人を陥れる言葉を語る事など出来ない”のです。

 ヤコブの手紙も「私達は舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟達、この様な事があってはなりません」と語ります。

これは「そうならない様に気をつけよう」と言うのではなく、「私共が賛美と呪いを同じ口から出している事に気づこう。悔い改めよう」と呼びかけているのです。

 この罪からの解放の為に、第一に言える事は、”神を賛美する良い言葉を口にする様に成る事”なのです。

 ”人が「良い言葉」を学んだ時、隣人に対しても「良い言葉」を持つ事が出来る様になるから”です。”「良い言葉」を、神に向ける時「賛美」となり、人に向ける時「祝福の言葉となる」”のです。 

エフェソ4:29には、こう記されています「悪い言葉を一切、口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられる様に、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」と…。

此処の「造り上げる」と言うのは、”家を建て上げる”との意味を持つ言葉を用いております。”心を生かして建て上げる”言葉の事なのです。

しかし、偽証は”人を突き崩す言葉”です。


 「神への良い言葉」である「賛美」を、本当に身に付けた人が、「隣人」に対して「良い言葉を語る時」”、その言葉は、”人の心を生かし祝福する言葉となる”のです。”崩れそうな人を支える言葉となる”のです。

そして、それこそが、”第九の戒め”が語ろうとしている…”偽証を捨てた時に与えられる、私共が獲得すべき「良い言葉」なのです。