「暗闇の中の光

ルカ1:5〜25
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


ルカ1:78〜79

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会

Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995


  
暗闇の中の光」ルカ2:8〜20、ルカ1:78ー79、2002、12/22

 クリスマスおめでとうございます。クリスマスは賛美の季節です。神がお送り下さった神の一人子の御降誕に感謝の賛美を献げる時であります。

”2千年前のクリスマスも天使達の賛美で始まりました”…そして、また、このクリスマスの賛美は、イエス様が誕生された所に私共の心を導くのです。

その夜、ベツレヘムの郊外で野宿していた羊飼い達は、物音一つしない闇夜に包まれておりました。”社会の底辺に置かれていた彼等を象徴するシーン”です…そんな”羊飼い達の前に、突然、目が眩む様な光が現れ、天使が近づいて来た”のです。

 天使は「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方の為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方への徴である」と告げたのです。
 その時、天使の大群が加わり「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と賛美が始まったのでした…その壮大な出来事は一瞬の事でありました。そして、また以前の様な暗闇と静けさが彼等を包んだのです。

 しかし、”地上には確かな変化が1つ起きていたのです…家畜小屋に1人のみどり子が誕生していた”のです。そして、”その小さく見える出来事が、如何に大きな事であるかを天使達の賛美が告げていた”のです。

 今、私共はイラクでの戦争の危機や、隣国の北朝鮮の悲惨な状況を見ております…そして私共の上にも、重荷や悲しみがございます…そうした”悲しみや、苦しみの暗黒の中に呻いている者の象徴こそが、この羊飼い達”だったのです。

そして、”神の一人子イエス・キリストも暗闇のただ中に御降誕下さった”のでした…真っ暗な家畜小屋の、石を彫って造られた冷たい飼い葉桶の中に寝かされたのです。しかも、そこは、家畜のよだれや糞で汚れた所だったのです…”暗闇に閉ざされ、罪に汚れた人の心を暗示する所”でありました。

 此処で1つ心に留めておいて頂きたい事がございます…天使達による”天の高らかな賛美は、地上の暗闇の中にいた、乳飲み子イエスや、羊飼い達に向かって歌い降ろされていた”と言う事です…天使達は、世の暗闇に喘ぐ人々の為に、神のプレゼントである、”世の光”を告げ知らせる為、天から地上へと賛美を歌い降ろしていた”のです…だからこそ、天使達は「神には栄光あれ」という天の喜びと共に、「地に平和を」と地上の幸せを願う祈りを歌ったのです。

 昔、娘が通っていた幼稚園はミッションスクールでしたので、クリスマスには降誕劇をしました…幼児達は誇らしげに、また緊張しながら、イエス様の降誕劇を演じておりました。
 天使役の子供達は、「いと高き所では、神に栄光がある様に、地の上には、御心に叶う人々に平和がある様に」と、”精一杯声を張り上げ、驚くべき神の御業を讃える天使達を表現”していました。

 でも、私は”その賛美は高らかな喜びだけのものではなかった”と思うのです…”世の光である御子イエスによって、暗闇の中で喘ぐ地上の人々に、光が灯るようにとの、重く深い祈りが込められた賛美でもあった”と思うのです。

 ルカ1:78−79に「 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者達を照らし、我らの歩みを平和の道に導く」とございます。

聖書は、”イエスは暗闇と死の陰に座するしかない者達さえも照らす世の光”と語るのです…それは、やがて、”御子イエスが架かられる十字架が、人の罪を赦し、どんな絶望にも,希望の光を与える「永遠の命」ゆえ”でありました。

 ですから”クリスマスの物語には、「暗闇の中に輝く光」というテーマ”があるのです…「暗く、冷たく、汚い飼い葉桶に寝かされた”世の光”」、「闇の中”光”の中に現れた天使」、「世の暗闇の中にいた羊飼い達が、一番先に、”世の光”を礼拝した事」、「暗い夜空に輝く、救い主の御降誕を示す星に導かれて、3人の博士が御子イエスを拝みに来た事」、など…。

それは、”暗闇だからこそ、何かを失ったからこそ、見えてくる光があるというメッセージなのです。”

 ですから、”辛く悲しいクリスマスを過ごしている者こそが、本当は、暗闇の中の光を見い出す事が出来る”のです…この体験こそが、”クリスマスを体験するという事”なのです…人は、暗闇の中で世の光を見出した時、”天使達の様に賛美せずにおれなくなる”のです。

 では、どんな人が、”暗闇の中の光”を見出す事が出来るのでしょうか?…天使達は「地の上には、御心に叶う人々に平和がある様に」と歌いました…”神の御心に叶う人々が、世の光を見出す事が出来る”と言うのです。しかし、一体、”神の御心に叶う人”などいるのでしょうか?…”神の御心に叶う人”…実は、それは、”イエスこそ、自分の心の闇の中の光と信ずる人”の事なのです。

或る本で、島崎光正という詩人が執筆された「星の宿り」という本の紹介がございました。それは、島崎さん自身の半生記で筑摩書房から出版されたものです…短く御紹介します。

 島崎さんは、生まれながら脊髄に障害があった方です。彼が生まれてまもなく医師であった父親が亡くなり、やがて母とも生き別れになりまして、後に母の死を知ったそうです。
 しかし、そんな彼に世間は冷たかったのです…戦争中は共産党員の疑いをかけられ、長く獄中に閉じ込められ、戦争が終わった途端、農地改革により僅かな土地も失ったのです。

 また、自分が負っていた障害ゆえに、女性の愛を求める自信もなく、人生に打ちひしがれた時に、更なる試練が島崎さんを襲ったのでした…肺炎です。長い長い療養生活が始まりました。しかし、そんな彼にも”1つだけ幸いな事”がありました。

”人との出会い”でした…島崎さんが小学校時代に出会った校長先生が手塚縫蔵という方で、優れた教育者であると同時に伝道者でもあったのです。彼は手塚校長との出会を通して聖書を読む様になっていたのでした。信仰を受け入れる心が耕されていたのでしょう…療養中に小さなトラクトに出会った島崎さんは、その内容に引き込まれて行き、ついにキリストに出会ったのでした。

 そのトラクトには、結核で亡くなった1人の婦人の証が書かれていたそうです。この婦人が危篤になって父親が病床に駆けつけ娘の両手を握りしめようとした時、彼女は左手だけを父親に渡し、右の手を握りしめて「イエス様こっちの手を」と言って天に向けてかざしながら息を引き取られたというお証でした。
 島崎さんは、同じ境遇にある、この婦人を自分にだぶらせながら読み進む内に…”死の間際で、イエス様によりたのみ平安の内に天国に凱旋された姿”を見、”信仰を理解した”のでした。

 島崎さんは、病床で”絶望や孤独という暗闇を経験していた”のです…しかし、彼はその”暗闇の中にいたからこそ光を見出した”のでした。やがて、神の恵みによって病が癒され,洗礼に預かった時、彼は「自分の力だけで暗闇と戦おうとして来た所に私の『罪』があった」と言われました…重い言葉です…”暗闇に置かれた時、そこに輝く光が既にあった…その救い主に拠り頼む事こそ、救いに預かる道”と悟ったのでした。

これこそが「神の御心に叶う救いの道」なのです。

 土居教会のU兄は、今年何度も手術されました…心身共に消耗された事と思います。先日の祈祷会でお証頂いたのですが、病院で、看護婦さんやお医者さんに、何度か「何か宗教をお持ちですか?」と聞かれたと、先日の祈祷会でお証下さいました。何時も感謝している平安な姿に、看護婦さんや、お医者さんが、U兄が持っておられる神の平安という光に気づかれたからだと思います。

 世には悲しみや、苦しみがございます。北朝鮮の報道を聞きましても、職場でも、家庭でも、”天使達が歌った、「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和」…この「平和」の必要が心に迫り”ます。

このクリスマス…”クリスマスの天使達の賛美が天の高い所の清らかなもので終わる事なく、私共1人〜の魂の深い闇に向けて歌い降ろされている歌として聴き直して行きたいもの”です。

 先週、神の恵みによって、2人の若者が受洗の恵みにあずかりました。こんな喜びの時に、この様な事を申し上げるのも何ですが、人生には暗闇が必ずあるのです…しかし、その中でこそ、”光である主イエスに出会い、主を賛美するという事を知る”のです。私共も、この”クリスマスに、暗闇の中で光に預かる者とされている”事を信じ”賛美を献げる者となれます様に、共に祈りましょう”。