「主が命じられた通りに」
出エジプト40:32ー38
40:32 彼らが臨在の幕屋に入るとき、あるいは、祭壇に献げ物をささげるときは、水で清めるのを常とした。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:33 最後に、幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、庭の入り口に幕を掛けた。モーセはこうして、その仕事を終えた。
40:34 雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。
40:35 モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
40:36 雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。
40:37 雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。
40:38 旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995
「 主が命じられた通りに」 出エジプト40:32ー38、2002,10/27
いよいよ、これで続けて学んで参りました出エジプト記が終わります。
ヤコブ、ヨセフの子孫は400年の内に、450万人以上の大民族となりました…かつてのヨセフの功績も忘れられ、イスラエル人はエジプト人にとって邪魔な民族となり、奴隷の苦役を強いられておりました。
いよいよ、神の国に、神の民族として帰る時が訪れました。
神はモーセを立て、イスラエル民族を10の奇跡と紅海を2つに分ける奇跡をもってエジプトから救い出し、荒野の中を、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導き、朝毎に、天からマナを降らせて食させ、岩から水を噴き出させて飲ませ、民はそれを飲み食いしながら荒野の旅を続け、エジプトを脱出して50日目にシナイ山に到着したのでした。
イスラエルの民は、そこで「神の民」となる訓練を受けました…モーセは、シナイ山に登って行き、神より、イスラエルを神の民とする契約である{十戒}を頂いて帰って来ました。しかし、その間、モーセの帰還を待ち切れなくなった民は、金の子牛の像を造って拝み、淫らな行為にふけったのです…”神への背教”でした。
それを見たモーセは怒り、神に頂いた十戒を砕き割ってしまったのです。そこでモーセは、”再びシナイ山に登り、命がけで民を執り成し、神の赦しと、再び契約(十戒)を頂いて”山から降りて来たのです…モーセは、そこでイスラエルの民に、”十戒”を見せつつ、神に命じられた”幕屋建築”を告げたのでした。
民も、これらの挫折と失敗の中、”神の臨在”を求める大切さを学び、燃える熱情と献身とを持って幕屋建築の為働きました。そして、この最後の章で、主はモーセに対して言われたのです…「第一の月の第一日に幕屋、つまり、臨在の幕屋を建てなさい」と…。
それは、シナイ山に来て2度目のお正月でした…主は、いよいよ幕屋に備える為に、事細かに神に指示されて造って来た用具の組み立てを命じられたのです。
幕屋の組み立てが終わった時、34節に「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」とございます…此処は、ヘブル語の詩的表現が非常に良く出ている所です。”同じ意味を違う言葉で繰り返している”のです。
「雲は臨在の幕屋を覆い」…”雲は神の臨在の象徴”ですから、「主の栄光が幕屋に満ちた」と同じ意味の言葉なのです…お正月が、「神と出会い交わる事が出来る、新しい世界が生れた日」となったのでした。
そして、この出来事は、”25:8の「彼等が私達の為に聖所を造るなら、私は彼等の神になる」や、29:45「私はイスラエル人の間に住み、彼等の神となろう」との神の約束の成就であった”のです。
しかし、40:35を見ると「モーセは会見の幕屋に入る事ができなかった」とございます…「雲がその上に留まり、主の栄光が幕屋に満ちていた」からでした…「主の栄光が満ちていたから幕屋に入る事が出来なかった」と言うのです。
新約聖書に目を移しますと、ぺテロは主に出会った時、ひれ伏して(礼拝して)「主よ、私から離れてください。私は罪深い者です」と叫んだのです…”神の現臨に触れる時、人は足がすくみ、ひれ伏す”のです…私共の”礼拝”も、その様に”神の御前にひれ伏す”ものなのです。
先週、牧師がいなくとも礼拝を守って頂いた事を嬉しく思っています…礼拝は、牧師ではなく、神にお会いする所であるからです…三木兄にも、説教を取り次いで頂き感謝しております…宝塚教会でも、三木兄の御用の為に熱心に祈りを献げて下さっておりました。
宝塚教会に参りまして驚いた事がございました…それは、聖会を教会の最も大切な集会と捉え、”皆が緊張して聖会に臨んでおられた事”です…「今から、神の御前に出る、神に御言葉を語って頂きお取扱いを受ける」姿勢がひしひしと伝わって来たのです…語り手が聖会が初めての若い牧師である事など関係ないのです…”神の御言葉を受ける緊張”でした。
その事に気づかされた時、「ああ、土居教会も、同じ様に、”神の御前に出る信仰”が根付いているから若い牧師を支えて立てて下さっているのだなあ」と思わされました。
私も聖会の御用が、準備の時から、「こんなにも神の御前に出され、取り扱いに預かるものか!こんなにも、足がすくむものか」と初めて知りました…皆様の祈りの支えが本当に感謝でした。
この最後の章に8度も出て来る言葉、それは「モーセは、主が命じた通りに全てをおこなった」と言う言葉です…幕屋の器具の配置後の聖別の儀式を行い、幕屋の聖別、祭司の任職式(聖別)、を、「主が命じられた通りにおこなった」のでした。
「イスラエルの人々は雲が幕屋の上からの登る時、彼等は道に進み、雲が登らない時は、その登る日まで道に進まなかった。彼等はその旅路において常にそうであった」…”信仰の厳しさを思される言葉です”。
彼等とて旅に疲れていた事もあったと思います。しかし”雲が登った時は、彼等は自分の事情を捨てて進んだ”のでした…また”早く目的地に着きたいという願いもあった”と思います。しかし、「彼等は、雲が登らなければ、決してそこから立ち上がろうとはしなかった」のでした…”「主の導きのまま歩んだ」のでした…彼等はその旅路において常にそうした”のです。
ただ神の言葉にのみ聴き、従おうとする迄、「その門は狭く、その道は細い。そして、それを見い出す者は少ない」と聖書にあります様に、それは決して優しい道ではありません。しかし…”この道こそ天国、永遠の命に至る道”なのです。
”出エジプトから約束の地であるカナンに到着する迄の荒野の40年の旅路は、しばしばキリスト者の人生にたとえられます…「主が命じられた通りにした」…彼等は、その後、40年間の旅路において、常にそうした”のです…それこそが、モーセと、イスラエルの民が、出エジプトという大スペクタルを通して学んだ、主の臨在の御前に生きる”と言う事だったのです。
そして、それは、”イエス・キリストに於いて完全に成就した”のです…コロサイ2:9「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余す所なく、見える形をとって宿っており」とございます…神の一人子が、人となって下さった事により、今、私共は”見えない神をキリストを通して見る事が出来る”のです。
宝塚教会の3回の集会の内2回は、ヨセフの生涯より「神様どうして?」…と言う中で、”主の臨在の前に歩むという事”について語らせて頂きました。
その様に導かれたのは、私の初任地である加古川教会時代、教区のキャンプで出会った青年が、バイクの事故で、背骨の神経を切断し、車椅子生活になり祈り交わりました…その後も祈り続けて参りました。彼が宝塚教会員だったからです。
10年ぶりの、その青年との再会も感謝でした…様々な所をクリスチャンホームとして、でも、深い葛藤をもって通過された事も伺い、お父様が、「息子が事故っに遭った時、神等いるものか!…と3日間だけ悪魔になりました…この聖会で主がお語り下さる事に期待します」と赤裸々にお証下さり、また祈り合う事が出来ました。
また、ホテルから送迎下さった方々と話す中、阪神大震災の影響が、まだまだ生傷である事も分かりました…教会に来られていた方の死、隣同士の教会員の片方だけの家が倒壊された事等…「神様どうして?」のテーマの余りの重さに…”このテーマに導かれた神の御旨が分かった”と同時に、重い思いで祈り心で語らせて頂きました…。
私共は”キリストの十字架を通して”、十字架を見上げる事によって、”神が、どんな真実な御方かを知るのです…そのキリスト真実と愛に、身を委ねながら、御言葉に聴き導かれる”のです。
”どんな時も、教会という群れと共に主を見上げ、イスラエルの民の様に、雲がのぼったら立って進み、雲がのぼらなかったら、そこに留まった様に、神なる主イエスに従って参りましょう。”
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