神様の御計画    創世記45:1〜14
45:1 ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。
45:2 ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。
45:3 ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
45:5 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。
45:6 この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。
45:7 神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
45:8 わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。
45:9 急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。
45:10 そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。
45:11 そこでのお世話は、わたしがお引き受けいたします。まだ五年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらなければいけません。』
45:12 さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬわたしがあなたたちに言っているのです。
45:13 エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」
45:14 ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣いた。

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

   
   神様の御計画      説教者:千葉聖子
*今朝のテキストであるヨセフの生涯には、様々な苦難が襲ってきます。しかしその中に神様がどの様に御自分の計画を進められて行かれたかを共に学んで参ります。

  
T、全ての事の中に働かれる神様
 ヨセフの物語は、37章から50章まで渡る長い物語です。ヨセフは、12人兄弟の11番目であり,父ヤコブの寵愛を一身に受けて育っていた為、兄達の妬みの対象でした。ある日、ヨセフは夢を見ました。夢というのは、当時の人々にとって神からのメッセージや将来の前兆であると信じられていました。ヨセフは夢を兄達に告げました。それは「ヨセフの麦の束が真ん中にあって、回りに兄達の麦の束がヨセフの麦の束に向かってお辞儀をしている」という夢と「太陽、月、11の星がヨセフにひれ伏している」というものでした。それは兄達の感情を逆撫でするもので、兄達はヨセフに対して妬みを超えて殺意さえ抱く様になっていったのです。そして、その機会が訪れました。兄達が遠く離れたシケムという土地で羊を飼っていた時、父ヤコブの遣いでヨセフがやって来たのです。兄達はヨセフを殺そうと相談しましたが、長男ルベンの提案で生きたまま穴に投げ込む事にしました。その後、兄達はヨセフを奴隷商人に売ろうと相談しましたが、ヨセフを奴隷商人に売ったのは兄達ではなく、37章28節をよく読むと、穴に入れられたヨセフをミディアン人が見つけて奴隷商人に売ったようです。兄達は何の利益も得られず、只父ヤコブに何と言い訳したら良いかそればかりを考えながら帰ったのです。
 ヨセフはエジプト人でファラオに仕えるポテファルの家に売られました。しかし、そこでもポテファルの妻の誘惑を断った事で、妻の逆恨みを買い、嘘の告げ口で牢獄に入れられてしまったのです。そこで、ファラオに仕えていた給仕役と料理役の夢を解いた事から、やがてファラオの夢解きをし、それがファラオの心に叶って,とうとうエジプトの最高責任者になり、そして7年間という大飢饉の時に,エジプトだけでなく、近隣諸国まで助ける、という大きな役割を果たしたのです。そして,その助けられた人々の中に”兄達もいた”のです。
 ヨセフは、父ヤコブの溺愛を受け、何の不自由もなく自分が中心に物事が進んでいるような生活をしていました。人に悪意は持ちませんが、人の気持ちも分からないおぼっちゃんでした。ゆえに,平気で夢を話せたのでしょう。しかし,その様な生活から一変して奴隷に売られ、人に仕える立場になり、人の策略によって牢獄に入れられるという、思いもよらない方向に人生が進んで行きました。その中でヨセフ自身も人間として成長していきました。また信仰も成長させられる時だったのです。ヨセフを通して神様の御計画を遂行する為に、ヨセフ自身が成長する必要があったのです。
 ヨセフは「どうして、何故?」という問いを自分にそして神様に、何時もしていたのだと思います。40章14・15節に「どうかファラオに、私が此処から出られる様に言って下さい。私は何もしていないのです」と牢獄に入れられていた時、夢を解いてあげた給仕役に訴えたのです。 ある人が「真の苦難とは、理由の分からない苦しみである」という事を言ったそうですが、まさしくヨセフの苦しみは”理由の分からない苦しみ”そのものだったのです。
 先日、3年位前ボリビアで宣教師として働いていて飛行機で遭難された、トローゼン真砂子先生の追悼文集を作るので、真砂子先生と私が同期という事で原稿の依頼があり、つたない文ではありますが書かせて頂きました。その1部分を紹介させて頂きたいと思います。
”ちょうど「真砂子先生達が乗った飛行機が遭難したかもしれない」と連絡を受けた頃、主人が自律神経を病み辛かった時でもあり、洗礼を受けて間もない姉妹の家が倒産、自己破産、そしてお父さんの突然死という「どうして?」という事が続いた時でもありました。たとえ牧師であっても病気になる…信仰間もない姉妹も、祈っても祈っても事態は、悪くなり、最悪の事態になってしまう…そしてこれから本格的な宣教が始まるはずの、トローゼン真砂子先生御一家の遭難…。
 この時期は、本当に私自身の信仰が練り試された時だった様に思えます。「どうしてですか?」と繰り返すだけの祈りの中で、私の前に叩きつけられたものは【神様の絶対主権】という事でした。牧師でも、宣教師でも、クリスチャンでも、祈っていても、他の人々と同じように病気も死もやってくる。その時、その現実の中に神様がおられる事を知り、神様がその中にも御計画を導いておられる、と言う事を認めていく事がキリスト者の姿なんだろう、と思います。しかし、そう思えるまでが大変なのですが。”…あの頃は辛かったな〜と思い出されました。しかし、振り返ってみると、神様が現実の中にいて導いて下さっている事を、まざまざと感じさせられていた時でもありました。
 39章は、ヨセフが奴隷に売られ、牢獄に入れられ,事態が悪い方へ悪い方へと進んで行きますが、しかし<主が共におられたので>という言葉が、ここに4回も出てくるのです。
苦しみの真っ直中で、ここに主が共におられる、という事を信じる事はとても難しく、どうしても「何故?どうして?」という思いで一杯になってしまいます。
 しかし、ここでは<主が共にいて>とあります。”ヨセフが祈り求めて神様にしがみついていたのではなく、神様がヨセフと共にいて下さった”のです。
 ヨセフは主が共にいてくださる事によって、奴隷とされていたポテファルの家でも、また,牢獄でも全てを任される様になりました。
 ヨセフは人の策略で陥れられて行きます。その陥れられて行くヨセフと主が共にいて下さって、最悪と思われる事態の中にも、神様が御計画を進めて下さるのです。そしてヨセフは,主が共にいて下さる事の恵みをも知る様になって行くのです。

  
U、益として下さる神様
 この39章で得たヨセフの信仰体験は、やがて兄達がエジプトにやって来た時に,兄達と和解出来る原点となったのです。
 エジプトの最高責任者となったヨセフの下に、大飢饉の中、食べ物を求めて兄達がやってくるのです。ヨセフの前で兄達がひれ伏している姿を見て、ヨセフは”何年も前に見た夢の事を思い出していた”と思います。ヨセフはすぐには自分の正体を告げませんでした。 此処で4章に渡って,ヨセフは兄達の心がどう変化しているかを試すのです。そして兄達がもう二度とヨセフにした様な事はしてはいけない、と悔いている事を知って、自分の素性を兄達に告げました。兄達の前でヨセフは、45章4〜8節「 神が私をあなた達より先にお遣わしになったのは、この国にあなた達の残りの者を与え、あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私を此処へ遣わしたのは、あなた達ではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです」と言いました。これは、ここに至るまでの”私の人生を導かれたのは神様なんだ”というヨセフの信仰告白でもあったのです。そして、神様が私を此処に遣わして下さったのは「あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせる為です」と、大飢饉の中イスラエルを救う為にヨセフを先にエジプトに遣わして下さったのだ、と神様の計り知れない御計画をヨセフは知ったのです。
 私達の人生も、神様が導いて下さっています。私達は、今この時も<主が共にいて>導いて下さっている事を信じて行きたいと思います。また、土居教会も様々な祈りの課題をかかえております。しかしその中にも、神様の御計画が、この教会を通してなされて行っている事を共に信じて行く者とさせて頂きましょう。