アマレクとの戦い
出エジプト17:8〜16
17:8 アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、
17:9 モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」
17:10 ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。
17:11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。
17:12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。
17:13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。
17:14 主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」
17:15 モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、
17:16 言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる」

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995

   
   アマレクとの戦い
*非常に厳しい乾きの中、モ−セがレフィディムの地で神の杖で岩を叩き、水を得る事が出来、ホッと胸を撫で下ろしていたイスラエルの民に対し、たたみ掛ける様に、もう1つの試練が襲って参りました。それはアマレク人の襲来です。
アマレク人は、シナイ半島の北を縄張りにしていた、非常に獰猛で好戦的な遊牧民でありました。また、イスラエルの先祖であるヤコブの兄、エサウの子孫とも言われております。 アマレク人は、自分達の縄張りに大群衆が入って来た事に脅威を感じ、また大量に水を消費する事を不快に思ったからでしょうか?…申命記25:18に「彼は〜あなたが疲れきっている時、あなたのしんがりにいた落伍者を全て攻め滅ぼし、神を畏れる事がなかった」とあります様に、イスラエルの民を神の民と知りながら、病や疲れの為、集団のしんがりにいた弱者を襲うという卑屈な手段で攻めて来たのです。
 この時モ−セは、既に80才を過ぎておりました。戦の直中で陣頭指揮を執る事は不可能だった為、若者ヨシュアに向い「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、私は神の杖を手に持って丘の頂に立つ」と命じたのです。
 ヨシュアという名が出て来たのは此処が最初です。モ−セはヨシュアという若者が、深い信仰と勇気を持ち、自分の後継者として相応しいと見抜いていた様です。この時ヨシュアは、実際には、まだ”ホセア”という名でした。 ”ホセア”という名は(救い)という意味ですが…(ヤーウェが救って下さる様に)と言う言葉の短縮形であるとする学者がおります。これからモ−セの指導の下、神の御業を経験して行く中で、”ホセア”は”ヨシュア”という名に(ヤーウエは救って下さるの意味)との信仰を告白する者に…「救って下さい」と願う者から,「主は救って下さる」と告白する者へと成って行くのです。ちなみに”イエス”はヘブル語の”ヨシュア”のギリシャ語の名です。
 「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させよ」…このモ−セの命令は、ヨシュアにとって思いがけないものだったと思います。何故なら、今迄の戦いは、全て”主なる神が戦って下さった戦い”であり、初めて「あなた自身の手で戦いなさい」との命を受けたからです。
 私共の信仰生活におきましても”主イエスが全てを導いて下さる場合”と”私共が,困難と戦わなければならない場合”とがあるのです。しかし、それは人間だけの力で戦うのではありません…この場合もモ−セは”神の杖に拠り頼んで戦いに臨んだ”のです。
 ヨシュアはモ−セの命を受けて速やかに動き出しました。戦いの訓練も受けていない。ろくな武器も持たない人々を引き連れて、勇猛なアマレク人との戦いに出て行ったヨシュア…それは無茶と紙一重に見えますが”信仰の行動”でした。正に、ヨシュアは、モ−セが期待した通りの”主の器”だったのです。
 ヨシュアを戦いに送り出した後、モ−セは奇妙な行動をとりました…戦いを見下ろす丘の上に立ち”神の杖を持つ手を上げて祈り始めた”のです。すると不思議な事が起きました…神の杖を持った手を上げて祈ると,イスラエルが優勢になり、手が疲れて下がって来るとアマレクが優勢になったのです…そこで、モ−セの兄アロンと、フルという人物が、モ−セの手が下がらない様に支えたので、日没にはイスラエルの勝利という大金星が生まれたのです。
 アマレク人との戦いに勝利したモ−セは「私はアマレクの記憶を天の下から完全に拭い去る」と…つまり,この勝利は”神の裁きとしての勝利”であったと書き記す様に命じたのです。これは聖書に記されているヘブル人による最初の公的記録です。1905年、このレフィディムに近い地から、BC1500年頃のシナイ碑文が発見されましたが、おそらく、この時の碑文であろうと言われております。
 この出来事が私共に語る事は”モ−セが神の杖を持って丘に登った”事を見つめる時、見えて参ります…”神の杖”それは、あの出エジプトという歴史的な救いを遂行する為、神がモ−セに与えられた唯一の物で…”神様が共に居て下さる約束の徴”でありました。
 モ−セは、ただ”神様が共に居て下さる事に信頼して”エジプトを脱出し、今、荒野にいるのです。そして”神様が共に居て下さる事に信頼して”祈りの戦いに向かったのです…此処に”祈りの本質がある”のです。世の中にも祈りは沢山あります…しかし”キリスト者の祈り”は”世の祈り”とは違うのです。キリスト者の”祈り”は”信頼”と”服従”の中で生まれて来る”主イエスとの会話”なのです。
 アマレク人は強く、イスラエルの民は弱かったのです。神が1ヶ月で約束の地カナンに着ける海辺の道を避け、40年にも渡る荒野の道に導かれたのは、その道沿いに住む、好戦的なペリシテ人との戦いで、民の心が萎えてしまうと配慮されたからでした。
 ですから此処で,百戦錬磨のアマレク人から攻撃を受けた時、神に従って行こうと思い始めた神の民の意志は、ひとたまりも無く萎えてしまったと思います。形ばかりの”祈り”はしても”神に信頼する祈り”は出て来なかったに違いありません。
 モ−セが、戦う神の民に見える様に”丘の頂で,神の杖をあげて祈った”…それは、心が萎え,神への信頼を失いつつある民に対し”主なる神が共にいて下さる”事を示す為であり、モ−セの”祈り”は”イスラエルの民が、共なる神を信頼する事が出来る様に”との祈りだったのです。それ故にモ−セは、勝利を記念した祭壇に「アドナイ・ニシ=主は我が旗」と名付けたのです。旗は,錦の御旗の様に”力と権威の象徴”であり,勝ちどきに掲げるものです。「主は我が旗」とは、この”勝利は主の力による勝利”との告白だったのです。
 ”神様に信頼して生きる”という事は,深まれば深まる程、その困難を知らされて参ります。問題は、そうした”困難を知らない神の民が多い”という事なのです。共におられる主を信頼する”霊的な戦い”は、モ−セも祈りの手に疲れを覚え、アロンとフルに支えられ助けられた様に”教会という,主の共同体の戦い”なのです。聖徒の交わりは”御言葉により主イエスを信頼する”事を助け合う”祈りの交わり”なのです。その様な”主を信頼する祈り”において”教会の歩みは開かれて行く”のです。
 十字架に架かろうとする主イエスをペテロが裏切る前、主はペテロに「私はあなたの信仰が無くならない様に祈った。立ち直った時、兄弟達を力づけてあげなさい」と言われました…主は”ペテロが裏切る”と言うペテロの弱さも,又,主の執り成しの中で,ペテロが変えられる事をも御存知だったのです。このペテロへの,主の執り成しの祈り故、今の私共の教会もあるのです。そして,今も主イエスは,私共の為に祈って下さっているのです…それ故、私共も祈るのです。
申命記8:1〜8の中に、この荒野の旅路の苦難の意味が記されております「主が、苦しめ、飢えさせたのは、人々の心に主の戒めがあるか?…又、それを守っているかを知る為であった」と言う事でした。
 更に「天からのマナを食べさせた」のは、「人は、主の口から出る言葉によって生きる事を知らせる為だった」とございます。”主の戒めを守る”事は”主の御言葉に信頼する”という事なのです。そして「主の御言に信頼した民は、40年もの荒野の旅路中、着物は古びず足が腫れる事が無かった〜だから、あなた方は、主があなたを訓練される事を心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。そうすれば良い地に導き入れられる」と語るのです…”御言に信頼して祈りの戦いをする者を,主は責任を持って導き、約束の地を与えて下さる”というのです。
”約束の地を与えて下さる”…天国がそれです。重荷からの救いもそうです。また、今、私共は駐車場代替地の為祈っております。そして、主は此処に於きましても”御言を語りたもう主を信頼して祈る事を求めておられる”のです。こうした共同体に於ける信仰経験は、私共1人〜1人の信仰生涯にも生きて来るのです。私共の心に御言をお語り下さる主は、私共の為、十字架にお架かり下さった、真実な主である事を心に留め,主が求めておられる”主に信頼した祈り”を献げ、また祈り合って参りましょう。