「第六の戒め」
           出エジプト20:13
20:13 殺してはならない。

第六の戒め

   
* 20:13 「殺してはならない」 …これが十戒の”第六の戒め”です。簡潔な文章です。
他の戒めの様に理由も語りません。人間なら誰でも分かる筈の事だからです。

しかし、人間の歴史には必ず殺し合いがついて参りました。

20世紀には、無差別殺人の象徴である原子爆弾さえも使用されました。
しかし、その後も世界には平和が訪れず、隣人の痛みに無感覚な社会が成長し、この1年で幼児虐待により56人もの幼子が死亡し、加害者の4割が実母だそうです。

虐めも益々陰湿化し、殺人、局地紛争も続き、此処に来て、かつてないテロと、世界を巻き込んだ報復戦争が起きています。

今年の世相を漢字1文字で現わすと”戦”だそうです。

”人は当たり前の事が出来ない”のです…多くの人が、殺人がいけない事を知りながら”復讐の感情に支配され殺し合う”のです。

 また、現代の若者からは「どうして、人を殺してはいけないの?」と唖然とする言葉を聞く事さえあるのです。”殺人に罪悪感を感じない”のです…復讐による殺人以前の問題です。
 ”愛”を注いでくれる…”なくてはならない存在を知らない人が増えて来ている”のです。

さて、私共には”答え”があるでしょうか?…今朝、私共は、この「殺してはならない」との”神の戒め”から”何故、殺してはならないのか?、殺さず赦す道”を学んで参ります。

  
T、第六の戒めの語る事

 所でこの「殺してはならない」との戒めは単に”殺人を禁じているだけ”なのでしょうか?
そこで教理集である”ハイデルベルク信仰問答”を見て参ります。

問105「第六戒においては、神は何をお望みになっておられますか?」 

答 「私が隣人を…心の思いや言葉や挙動などにより、まして行為によって、これを辱めたり、憎んだり、侮ったりする事なく、寧ろ一切の復讐心を捨て、その事によって、自 分も傷つけたり、事更に自分を危険にさらす様な事をしないという事であります…。」

問106「それならば、この戒めは、殺す事だけについて語って居るのでありますか?」

答「神は殺人を禁ずる事によって、我々に、嫉妬、憎悪、怒り、復讐などを、殺人の根として憎み、これらの事は、みな、神の御前においては、ひそかなる殺人であるという 事をお教えになっておられるのであるのです」

”聖書の教え”をまとめた、この教理集は、”「人を殺してはいけない」という第六の戒め”を、”「嫉妬、憎悪、怒り、復讐」等の心の思いと同列”に語っております。
何故なら、それらの思いは”殺人を生み出す心の根”だからです。

そして更に、それらを”神の御前に…ひそかなる殺人(心の中の殺人)”だと迄語るのです。

 主イエスも、マタイ26:52で「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われましたが、”殺人”はもとより”嫉妬、憎しみ、怒り、復讐”も、テロを支援したタリバンが崩壊した様に、自分を傷つけ危険にさらすと言うのです。

いえ、それ以上に”自分を永遠の滅びに堕とす危険にさらして行く”と言うのです。

この様に「人を殺してはならない」との”神の戒め”は、”殺人の根である「心の思い」に迄及んでいる”のです。

それ以上に、この”戒め”は”私共を守るもの”であったのです。

  
U、主イエスの解釈

 マタイ5:21〜22「あなた方も聞いている通り、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」…これが”第六の戒め”に対する”主イエスの解釈”なのです。

 ”腹を立て「ばか、愚か者」と罵る事も「殺人」に対する裁きと同列に置かれている”のです。

これは立ちすくんでしまう程の厳しい御言葉です…何故なら、「ばか」と言った事の無い者は少ないからです。
我が家では、誰かが「ばか」と言いますと、他の人が「バカと言う人が、バカなんだよ」と言います。

こんな家族の会話を通して、如何に、そうした言葉を口にしているかと気づかされます。

勿論、此処の”主の言葉”は、冗談の「バカ」を指してはいませんが…。

 何故、主イエスはこんな厳しい事を言われたのでしょうか?…それは”人が他者を罵る時”、殆ど”怒り”を含んでいて、「自分が正しい」と思っているからです。

 「正義の怒り」です…しかし、この”正義の怒りが問題”なのです。何故なら、その時、”相手を否定している”からです…”神に生かされている人の拒絶が生まれるから”です。

それ故、主イエスは「腹を立てる者は、既にそこで殺している」と言われたのです。

 今、世界では「テロはゆるさない」との名目の下に戦争が行われています。

確かに政治的には戦いが必要な時があるかも知れません。しかし、その時、”相手の存在を赦さない心が生まれる事”を私共は決して忘れてはならないのです。

事実、”テロの指導者の存在の否定”のみならず、米国に於いて、”反戦のTシャツを来て登校していた女子高生が虐めにより転校を余儀なくされ”、学校長も、州最高裁も、裁判所も、”転校を支持し勧めた”と言います…存在が否定されたのです。

 宗教改革者カルヴァンは「生命を奪う者はたとえ”最も正しい戦争であっても汚れた事をする”のだ」と言っているのです。中世に於いては、”正しい戦争に参加した者達”も、勝利した時、決して誇らしげに凱旋せずに、”聖餐式に預かる前に、悔い改めの祈りを求められた”そうです。

”神が生かされている人を殺す事は罪”だからです…”「人を殺してはならない」のは、神が生かされている人の存在を否定する罪を犯す”事になるからです。

それ故私共は”起てられている指導者が、最も、主イエスを悲しませない道に進む様に祈る”のです。
 
  
V、人を殺す心から解放する道

 Tヨハネ3章12節〜16節には、この”第六の戒め”を、”十字架から解釈する鍵の言葉”がございます。

「カインの様になってはなりません。彼は…兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです…。兄弟を憎む者は皆、人殺しです。…全て人殺しには永遠の命が留まっていません。イエスは私達の為に命を捨てて下さいました。その事によって私達は愛を知りました。だから、私達も兄弟の為に命を捨てるべきです」

 この物語は創世記が語る人類最初の家庭に起こった悲劇です。

「神を愛して正しく歩んでいたアベルが、神に愛された事に嫉妬した、兄カインに殺されてしてしまった物語」です…嫉妬が殺人を生んだのです。嫉妬の恐ろしさを教えられます。

 此処には、”嫉妬の心を持つ人間は人を殺す者”であるという”人間の本質”が示されています。
と同時に「私共がカインの罪を繰り返さないで済む道…十字架の道も示されている」のです。

 十字架を知った者…即ち”敵さえも愛する「アガペーの愛」を知った者”は、”嫉妬や復讐の思い”を持つ自分の姿に気づいて”原罪の深さに心萎える”のです。

 しかし同時に”十字架”は、そうした”罪深さ”に”解放をも与える”のです。

”十字架の主は、罵り殺す者達の為に死なれたからです”…”十字架の愛”は”アガペーの愛…自分に死ぬ愛”なのです。

この”十字架の愛こそが敵への愛を可能にする”のです。

 ガラテヤ2:19〜20「私は、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」…私共は”自分に死んで、キリストによって生きる事により、始めて敵を赦し、羨む相手を祝福する事が出来る”のです。

 今朝はアドベントの第3週です…いよいよ来週はクリスマスです。2千年前に、”救い主が、家畜小屋の飼い葉桶の中に御降誕下さった日が参ります。”

”家畜の糞やよだれで汚れた飼い葉桶に寝かされた救い主の姿は、汚れた人の心に住んで下さる主イエスを物語っている”のです。

 今、世界は暗い戦争で覆われています…しかし、この朝”私共の心も、殺人の根の感情が巣造り覆われている”事を知りました。

このクリスマス、そうした”私共の心が…飼い葉桶の様な心が生まれ変わり、人を赦し祝福出来るよう…「主よ、私の心に御降誕下さい。あなたと共に生きる者として下さい」と祈り求め”て参りましょう。