「第四の戒め」
出エジプト20:8−11
20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会 Japan Bible Society,Tokyo,1987,1988,1995
第四の戒め
*今朝は、十戒の”第4戒”について、共に聖書に聴いて参りたいと思います。「安息日を心に留め、これを聖別せよ〜」この御言葉は、分かり易く覚えやすいものです。
”安息”というのは”休息”の事です。
日本は戦後、猛烈に働く事によって、高度経済成長を果たし経済大国を築きあげました。しかし、しばしば過労死のニュースをお聞き致しますし、ストレスによる心の病も爆発的に増えております。外国からはエコノミックアニマルとの批判を受け、国内ではバブルの崩壊、会社人間として家庭を顧みなかった結果の家庭問題等…人は週に1日は休まなければならない様につくられているのだなあと思います。
身体や心を充電しなければならない存在なのです。そして、その心の充電には”神との交わり”が必要なのです。
その”神との交わり”こそが”安息日を聖別する”という事なのです…しかし、この事を生活の中で、きちっと身に付ける事は決して容易くはございません。とくに日本で、礼拝を闘いなくして守り続ける事は極めて難しいと思います。
実際、この”戒め”を、自分の事として受けとめられる方々の多くの方が、お気づきであろう事がございます…それは、皆が礼拝の為に仕事を休むと、礼拝を守る事が出来ない人々が出て来るという事です。
土居教会の場合は車で来られる方が殆どですが、他の教会では、バスや電車を利用される方が沢山おられます。そういった交通機関で働いて下さる方が必要なのです。お医者さんや看護婦さんも日曜日に働いておられます。働いて下さらないと困ります。電力会社もお休みだと困りますし考えたらきりがありません。
私共は、多くの方が働いて下さる事の中で、礼拝を守る事が出来ているのです。
ですから私共は、そうした、働いておられる方々に「あなた方は安息日を守っていない。罪を犯している」とは言えません。非難出来ないのです…勿論、安息日を聖別する戦いを忘れてはなりませんが。
主イエスも「安息日に善をなす事がどうして悪いのか」と言われ病人を癒されました…主イエスは”安息日であろうとも愛の業まで禁じる事は出来ない”と言われたのです。
今朝は、”安息日の意味と、安息日の祝福の広がり”について学んで参ります。
T、安息日の意味
「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」
この”戒め”で、先ず大切な事は”聖別せよ”という事です…言い変えますと”神のものとする”と言う事です。
”今日1日を神のものと思いなさい”と語っているのです。日曜の朝、したい事が沢山ある中で、先ず教会に行くのは”その日を神のものとする為”なのです。
ドイツ人は日曜の朝には、晴れ着や、祝いの服装をして礼拝へ行き、帰宅しても、直ぐにはそれを脱がず、そのまま土曜日の内に準備していた食卓を囲むのだそうです。時には、教会の友人と、また或る時には、旅人や、愛する人を天に送った方を招き、楽しいけれど、何処か厳粛な、主イエスの臨在による慰めに満ちた食事の時を持つのだそうです。
修養生の時、韓国人教会へ遣わされていた時がございましたが、韓国の方々も晴れ着や祝いの服装をして礼拝へ来られました。
思い返せば私も暫くの間、礼服に白ネクタイで講壇に立っていた時がありました…”全てが、安息日を大切にする心のあらわれ”です。
2つ目に大切な事は”安息日”は”主の安息”だという事です…”安息日の意味を知る”時、私共の心に”安息日を大切にする心が生まれて来る”のです。
安息日を”休息と考える”なら、遊びに行った方が遙かに楽しいし楽かも知れません。しかし神様は安息日の事を「7日目は、あなたの神、主の安息日であるから〜」…”主の安息日”と言われたのです。
主イエスが主の祝宴に招いて下さっているのです。
”神ご御自身の安息日”…その起源は、創世記2:2〜3「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され〜この日に神は全ての創造の仕事を離れ安息なさったので、第七の日を神は祝福し聖別された」…”天地創造の業を終えられた神様が、7日目にお休みに成られた事が始まり”なのです。
6日の間、全知全能なる神が、御力の全てを注がれて天地創造の業を終えて”7日目に休まれた時、その日を祝福し聖別された”のです。
神様は、”ご自身の創られたものを御覧になられ”、全てを”良し”とされ”ご自身のもの”として”受け入れられた”のです。
安息日は、その”神ご自身の安息(喜びと受容)にあずかる為の時”なのです…私共1人〜を創造し、私共の良きも悪きも全てを御存知である主に、ありのままに受け入れて頂く…その”主の受容の中に憩う時”なのです。
私共は、主日毎に礼拝に参ります…おそらく中には、過ぎし6日間の間、辛い思いをされて来られた方も、仕事に疲れきって来られた方もおられるに違いありません…皆が、晴れ晴れとした思いで、主日を迎えられている訳ではないと思うのです。
そんな中「主よ、こんな私を祝福して下さい。明日から、また元気で働く事が出来る様に、あなたの平安と力を与えて下さい…あなたの懐の中で、身も心も休ませて下さい」との”祈り心で過ごす事”こそが「主の安息に預かる」事なのです。
そして、その”安息を求める祈り”は、”御言葉を重んじる”事、御言葉への応答として生まれて来るのです…即ち”説教に対する応答”として生まれて来る祈りなのです。
ネヘミヤ8:10に「主を喜ぶ事はあなた方の力です」との有名な御言葉がございます…この御言葉の原語を直訳しますと「主の喜びは、あなた方の力です」となるのです…主に”ありのまま喜んで、ご自身のものと受け入れて頂く事”こそ”私共の心の癒し、平安と、力の源になる”のです。
先週、4ヶ月ぶりに礼拝に出席された大西姉の、祝祷の時の安らかな笑顔が忘れられません…人は”神の言を聴く”事によってこそ、”魂と肉体が安らかになる”のです。
月曜日は”ブルーマンディ”と呼ばれて参りました。憂鬱な月曜日という意味です。日曜日、遊び疲れた人が、また仕事か…と憂鬱な気持ちで月曜日を迎えるからです。しかし、来年から祝日が(月)と(土)に振り分けられ、祝日となる月曜日は、ハッピーマンディと呼ばれるのだそうです。
教区の仕事が土曜日になるのは牧師にはキツイもので、ブルーサタディが増えるのは困りものですが…。
安息日は、月曜日の朝をハッピーマンディにするのです。「昨日、神の言を聴いた。今日もまた新しく生きられる」…その様な、安息日を過ごす事を神は求めておられるのです。
U、広がって行く安息
最後に、この”安息日の恵み”は”広がって行く”事を学びます。
”第四の戒め”の後半に目を移しますと「主の安息日であるから、如何なる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である」とございます。
”自分と一緒に働いて来た者全てに安息を与えなさい”と言うのです。
人は休息する時、他人の事まで考えず、ゆっくりしたいと思いがちではないでしょうか?…しかし、第四の戒めは、主の安息に預かる時には”隣人の安息をも配慮しなさい”と言うのです。
女奴隷や寄留者、牛やロバ迄も、一緒に働く者達が、神の受容の中に憩い。元気を回復して、新しい週を始める事が出来る様に心を用いなさいと言うのです。
”主の安息に預かった者だけが、他者の安息へ心配る事が出来るから”です…神に創造され、愛され受け入れられている喜びを味わった者は、多くの人々の安息の為にも祈れるのです。
私共の”心が神に向かう時、それは人との交わりにも及んで参り”ます。
”主の愛で受け留めて頂いた者だけが、他者を受け留める事が出来る様になる”からです。私共は、安息日をどう生きるか?…どの様に重んじるかが、この”第四の戒め”により問われているのです。