04/19: 佐伯 真
ニックネーム:Saepom サエポン(小中高にかけて呼ばれていたあだ名、当時ヤクザの親分の子供と親友で、彼はヒーポンと呼ばれていた。)
B型牧師(四国教区はなぜかB型の伝道者が多い。大ざっぱで、時に大胆不敵であるといううわさ…)
1960年5月29日 誕生
名古屋市中村区にて、床屋の長男として誕生。
両親の仕事の都合で、愛知県鳳来町(現新城市)のど田舎で幼少期を過ごす。
小学校入学を機に名古屋市中村に戻り、クリスチャンの祖母(現在100歳)に連れられて教会学校に通うようになる。
教会学校では、雨にも負けず風にも負けず、洪水の時にも礼拝を休まなかった教会学校優等生であった。
一時期は、小学校のクラス全員全員を教会学校に連れて行き、公立の小学校でありながら給食時にお祈りの当番が立てられるほどであった。
1973年12月25日 洗礼
中学1年で、知らないうちに出席していた洗礼準備会をきっかけに、気がつけば洗礼を受けていた。
1976年 放蕩息子
高校1生の時、友人に裏切られたのをきっかけに、教師につまずき、家庭でも両親に対する反発が大きくなり、父親にも暴力を振るう始末で、暗く閉ざされた高校生時代を過ごす。神の存在を信じながらも、つじつまの合わない行動に矛盾を感じて悩み、教会と神様のもとを離れて放蕩息子となる。一時は自殺をも考えるほど、行き詰まりを感じていた。
1977年3月 救いの喜び
教会の青年方の祈りと愛の働きかけにより教会生活に復帰し、真剣に聖書に取り組み、1ヨハネ1:9の御言に導かれて、罪を悔い改め、2コリント5:17の御言に触れて、救いの確信をいただく。
救いの喜びのゆえに燃やされ、救い証の生活に入る。 長野で開かれているバイブルキャンプに出席し、ローマ12:1の御言より神様のご計画を知り献身を志す。
1981年4月 聖書学院入学
東京聖書学院入学
1983年3月 13名の洗礼者
野田キリスト福音教会でインターン生として奉仕をする。1年間で13名の洗礼者が起こされ、以後の伝道の大きな支えとなる。
1984年3月 聖書学院卒業
東京聖書学院卒業
1984年4月 副牧師
亀有キリスト福音教会副牧師として奉仕をする。
1987年2月22日 結婚 娘誕生
アメリカ留学から帰ったばかりの妻と出会い、2ヶ月後に結婚。一年後に待望の娘が誕生。
1987年4月 高知へ
日本ホーリネス教団より高知県の越知キリスト教会に遣わされる。東京の大教会から、高知の田舎の教会に遣わされる(飛ばされる? 島流しか? 実は、田舎伝道、開拓伝道を志していたため、水を得た魚のように伝道を開始する)。
過疎化と高齢化と経済的な戦いを乗り越えて、高知市内の開拓伝道を進める。集会は、地下室の酒場から始まり、大学前の長屋、つぶれたレストラン、事務所など5カ所を転々とする。
1994年4月 神様の約束
神様の約束(ヨシュア1:2)が実現され、高知市内に高知グレースチャペル開所された。
以後開拓ヤドカリ教会は、現在の伊野に中古物件を購入し、伊野キリスト教会として落ち着く。
実質は2会堂1教会として高知グレースチャペルグループとして教会形成をしている。
現在 伝道20年目
越知キリスト教会、高知グレースチャペル(伊野キリスト教会)牧師。高知での伝道は、20年目を迎える。
高齢化は脱し、「信仰の継承」を目標にして、教会の中心は、老年から中年層に、更に20年前には、はな垂れ坊主であった子供たちが成長し、The WILD Kidsとなり、次世代の中核が育てられている。
大学生の娘の父親でもある。現在高知グレースチャペル(越知キリスト教会、伊野キリスト教会)牧師。四国教区伝道委員長。
2006年3月10日 青年宣教主事
青年宣教主事IT担当となる。
なぜ、IT担当なのか?
今から20年前、東京からいきなり高知のど田舎に遣わされ、初めのうちは情報飢饉に悩まされました。当時は、高知はテレビも4局しか無く(現在でも5局で、電波状況が悪く、雨が降って番組が見られなくなることもある)、電話代も非常に高い時代であったために、県外の知り合いや身内にも連絡が取りづらい状況がありました。
また、教会が小さく人手が不足していたため、人材不足を補う形で、早くからコンピューターにより事務管理、文書作成、通信、奏楽まで行っていました。
時代は変わり、情報通信分野の飛躍的な発達と共にパーソナルコンピュータが普及し、今や四国でも全ての教会でブロードバンドインターネット接続が可能となりました。四国教区では、早くから各教会間の通信環境を整備され、ホームページが立ち上げられてきました。教区のホームページから教会に導かれた人も多く、救われ、献身に至った人も起こされています。
更に、個人的に放送伝道にも興味を持っていましたので、インターネットを通しての音声動画の配信の可能性を探ってきました。そして、3年ほど前に第1号Media Serverを立ち上げることができました。
今回はリニューアルしたサーバー3号機で、セキュリティー、バックアップ体制も整い、8台のハードディスクで合計2テラ(RAID5とRAID1を組んでいる)、メモリーも2ギガ、CPUはpen4-3ギガというモンスターマシーンで、音声動画配信をストレス無くサポートすることができるようになり、プロバイダーのサーバーと遜色のないマシーンができました。
そのようなわけで、青年の域を超えた私のような者ですが、ITという特命で今回任命を受けさせていただきました。主にあるSeverとして、皆さんに仕える者とさせていだきたいと願っています。Media Server共々よろしくお願いいたします。
(2006年5月6日)
B型牧師(四国教区はなぜかB型の伝道者が多い。大ざっぱで、時に大胆不敵であるといううわさ…)
1960年5月29日 誕生
名古屋市中村区にて、床屋の長男として誕生。
両親の仕事の都合で、愛知県鳳来町(現新城市)のど田舎で幼少期を過ごす。
小学校入学を機に名古屋市中村に戻り、クリスチャンの祖母(現在100歳)に連れられて教会学校に通うようになる。
教会学校では、雨にも負けず風にも負けず、洪水の時にも礼拝を休まなかった教会学校優等生であった。
一時期は、小学校のクラス全員全員を教会学校に連れて行き、公立の小学校でありながら給食時にお祈りの当番が立てられるほどであった。
1973年12月25日 洗礼
中学1年で、知らないうちに出席していた洗礼準備会をきっかけに、気がつけば洗礼を受けていた。
1976年 放蕩息子
高校1生の時、友人に裏切られたのをきっかけに、教師につまずき、家庭でも両親に対する反発が大きくなり、父親にも暴力を振るう始末で、暗く閉ざされた高校生時代を過ごす。神の存在を信じながらも、つじつまの合わない行動に矛盾を感じて悩み、教会と神様のもとを離れて放蕩息子となる。一時は自殺をも考えるほど、行き詰まりを感じていた。
1977年3月 救いの喜び
教会の青年方の祈りと愛の働きかけにより教会生活に復帰し、真剣に聖書に取り組み、1ヨハネ1:9の御言に導かれて、罪を悔い改め、2コリント5:17の御言に触れて、救いの確信をいただく。
救いの喜びのゆえに燃やされ、救い証の生活に入る。 長野で開かれているバイブルキャンプに出席し、ローマ12:1の御言より神様のご計画を知り献身を志す。
1981年4月 聖書学院入学
東京聖書学院入学
1983年3月 13名の洗礼者
野田キリスト福音教会でインターン生として奉仕をする。1年間で13名の洗礼者が起こされ、以後の伝道の大きな支えとなる。
1984年3月 聖書学院卒業
東京聖書学院卒業
1984年4月 副牧師
亀有キリスト福音教会副牧師として奉仕をする。
1987年2月22日 結婚 娘誕生
アメリカ留学から帰ったばかりの妻と出会い、2ヶ月後に結婚。一年後に待望の娘が誕生。
1987年4月 高知へ
日本ホーリネス教団より高知県の越知キリスト教会に遣わされる。東京の大教会から、高知の田舎の教会に遣わされる(飛ばされる? 島流しか? 実は、田舎伝道、開拓伝道を志していたため、水を得た魚のように伝道を開始する)。
過疎化と高齢化と経済的な戦いを乗り越えて、高知市内の開拓伝道を進める。集会は、地下室の酒場から始まり、大学前の長屋、つぶれたレストラン、事務所など5カ所を転々とする。
1994年4月 神様の約束
神様の約束(ヨシュア1:2)が実現され、高知市内に高知グレースチャペル開所された。
以後開拓ヤドカリ教会は、現在の伊野に中古物件を購入し、伊野キリスト教会として落ち着く。
実質は2会堂1教会として高知グレースチャペルグループとして教会形成をしている。
現在 伝道20年目
越知キリスト教会、高知グレースチャペル(伊野キリスト教会)牧師。高知での伝道は、20年目を迎える。
高齢化は脱し、「信仰の継承」を目標にして、教会の中心は、老年から中年層に、更に20年前には、はな垂れ坊主であった子供たちが成長し、The WILD Kidsとなり、次世代の中核が育てられている。
大学生の娘の父親でもある。現在高知グレースチャペル(越知キリスト教会、伊野キリスト教会)牧師。四国教区伝道委員長。
2006年3月10日 青年宣教主事
青年宣教主事IT担当となる。
なぜ、IT担当なのか?
今から20年前、東京からいきなり高知のど田舎に遣わされ、初めのうちは情報飢饉に悩まされました。当時は、高知はテレビも4局しか無く(現在でも5局で、電波状況が悪く、雨が降って番組が見られなくなることもある)、電話代も非常に高い時代であったために、県外の知り合いや身内にも連絡が取りづらい状況がありました。
また、教会が小さく人手が不足していたため、人材不足を補う形で、早くからコンピューターにより事務管理、文書作成、通信、奏楽まで行っていました。
時代は変わり、情報通信分野の飛躍的な発達と共にパーソナルコンピュータが普及し、今や四国でも全ての教会でブロードバンドインターネット接続が可能となりました。四国教区では、早くから各教会間の通信環境を整備され、ホームページが立ち上げられてきました。教区のホームページから教会に導かれた人も多く、救われ、献身に至った人も起こされています。
更に、個人的に放送伝道にも興味を持っていましたので、インターネットを通しての音声動画の配信の可能性を探ってきました。そして、3年ほど前に第1号Media Serverを立ち上げることができました。
今回はリニューアルしたサーバー3号機で、セキュリティー、バックアップ体制も整い、8台のハードディスクで合計2テラ(RAID5とRAID1を組んでいる)、メモリーも2ギガ、CPUはpen4-3ギガというモンスターマシーンで、音声動画配信をストレス無くサポートすることができるようになり、プロバイダーのサーバーと遜色のないマシーンができました。
そのようなわけで、青年の域を超えた私のような者ですが、ITという特命で今回任命を受けさせていただきました。主にあるSeverとして、皆さんに仕える者とさせていだきたいと願っています。Media Server共々よろしくお願いいたします。
(2006年5月6日)








